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五十話『伏魔殿』


 車を茂みに停めると、ビデオカメラをボンネットに置き、僕たちは身体を寄せて、ビデオカメラのモニターに注目した。


「ほな、再生すんで」


 緊張感が漂う中、花さんが再生のボタンを押した。


 小さなモニターに、誰もいない部屋が映し出される。高い位置から、見下ろすような角度。料亭の一室だろう。床は畳みではないものの、和風に設えられた個室には、中央に黒い長机が構えていて、そこに計七つの椅子が置かれている。


 照明が薄い暖色だからか、よくいえば雰囲気があり、悪くいえば何ともいえない陰気臭さが漂っている。


 数分間、誰もいない状態が続いたが、やがて物音が聞こえてきた。すると、画面の端からスーツ姿の人物が次々と現れ、予め決まっているかのように、滞りなく着席していく。


「幹部たちやな。けど、誰が誰かまでは、ようわからんな」


 確かに、画質が荒く画面が小さいので、なかなか個人を判別するのは難しい。さらに、おそらくカメラが見つからないよう、かなり遠くから撮っているため、聞こえはするものの、声も小さい。


 するとその時、「やはり」と加藤さんが、小さな声を出した。僕は画面を見て、「嘘」と思わず言葉が漏れた。


 荒い画質の中、見覚えのある姿がそこにはあった。


「そんな、まさか久千管理官が……」


 枝が伸びたような痩身の身体に、光を反射する眼鏡。画質は悪いものの、それは確かに久千管理官だった。


 しかし、僕はかぶりを振る。


「いや、でも有り得ない。だって久千管理官は和平交渉の席で、他の管理官たちと共に、襲われていた」

「でも、あの人だけが生きている」


 加藤さんの言葉が、僕の中の希望を破砕した。


「そもそも、久千管理官があなたにわたしをマークするように指示を出している時点で、あの人は限りなく黒に近かった。ただ、純粋にわたしを疑っているという可能性もあったから言葉にはしなかったけど、これではっきりした。あの人は黒よ」


 そうだ。僕は加藤さんから一連の話を聞いた時、そのことに薄らと気付いていた。だが、これまでの久千管理官の言動などがとても嘘とは思えなかったので、久千管理官だけは騙されているか、何かの間違いなのではないかと、自分の中で勝手に白に染め上げていた。


 しかし、現実は今、僕の視界の中にある。


 モニターの中で全員が着席すると、『おい』と、一人の男性が声を荒らげた。


『久千くん。この事態は一体、どういうことか、説明したまえ。河童との和平交渉の席で全員を始末する予定だったではないか。それが、一人を取り逃がし、さらに加藤を奪われるとは。河童たちが彼らを殺せなかった場合、代わりに始末をする。それがキミの役目だったのだろう』

『だからわたしは、彼女はさっさと処分するべきだと言ったのよ。万が一の事があったら、取り返しのつかないことになると』

『いや、それは得策ではないかと。なぜなら、他にも、河童の秘密について知っている者がいるかもしれない。それを全て把握するためにも、彼女は情報源として、置いておくべきだった』

『だったら、もっと厳重な警護体制を敷くべきだったんじゃないの。たった一人、使えない人間を檻の前に座らせていただけなんて、あまりにも粗末過ぎる』

『しかし、過剰な警護をすると、他の者たちに怪しまれる可能性が出てきますよ。名目上は、ただの横領なんですから。それにまさか、あの状況から生き延びる人間がいるとも思わなかったし、その上、本部に乗り込んで無理矢理奪還するなんて、さすがに予想出来ませんよ』

『そもそも、俺はあの気の強そうな女が、簡単に口を割るとも思わんけどな』

『それは何とでもなる。我が強く正義感に溢れる奴は、他人の命を使ってやれば、火にかけたアサリのように口を開く。だからこそ、簡単に処分などという言葉が口に出るのは、思慮の浅い証拠だ。死んだアサリを火にかけても、口は開かんだろう』

『それは、わたしに対して言ってるのかしら?』

『さあな。特定の名前は出しておらんが、あんたがそう思うのなら、そうなのだろう』

『まあまあ、みなさん、一旦、落ち着いてください』


 久千管理官は立ち上がり、宥めるように掌を向ける。


『落ち着くも何も、全ては河童とキミが、一人を取り逃がしたことに原因があるのだ。河童が任務に失敗したのなら、キミが残っている人間を始末してしまえばよかっただろう。拳銃を隠し持っていたんだろ?』

『勿論、機会は窺っていましたよ。ただ、二人は予定よりも毒が回るのが遅く、さらに無傷だった瀬織は、素手で河童を十匹近くも倒してしまうような化け物なんです。残念ながらその隙がなかった』

『……そもそも、キミが間違いなく、全員を殺せるはずだと言ったんじゃないか』

『あの状況を作れば全員を殺せると言ったのは、河童サイドです。ですから、契約不履行による担保は、既に確保しています』

『担保? 一体、何なのよ?』


 久千管理官は腕を大きく広げる。


『優秀な兵力です。それも、極めて我々に従順な』


 管理官たちが、『おお』と感嘆の声を漏らし、そして、互いに不敵な笑みを向け合っているのがわかった。


 すると一人の女性管理官が、『でも』と不満のこもった声を零す。


『そもそも、どうしてドクダミたちは、加藤と繋がっていることを隠していたの? 彼らがそのことをわたしたちに伝えていれば、もっと早くに対処することが出来たのに。そのせいで、瀬織からの報告を受けるまで、彼女が王の一族と繋がっている確信が持てず、結果、後手に回ることになってしまった』

『そうだ。それに、加藤の不審な行動を掴んだ時点で、強硬的な手段に出るべきだったのだ。あの時、その意見に反対した者は、今の状況をどう説明するのだね?』

『落ち着いてください。今は身内で糾弾し合っている場合ではありません。それに私は、あの時の判断が誤っていたとも思いません。我々の性質上、出来る限り、目立つことは避けなければならない。加藤が王の一族と繋がりがあるとの確証が得られるまでは、やはり動くべきではなかったでしょう』


 久千管理官の言葉に、不満気な空気こそ流れたものの、反駁する者はいなかった。


 久千管理官は、少しの間を置いて続ける。


『……ドクダミが加藤の存在を我々に伏せていたのは、加藤と繋がっていることにメリットがあったから。どうやら加藤は、ドクダミたちと会う際、食糧などを持参していたようです。そして、それを我々に伝えると、我々が加藤を消してしまうことを、ドクダミはわかっていた。だからドクダミからすると、それを伝えることによって、それまで受け取っていたものが受け取れなくなることを、恐れたのでしょう』

『あほやな。もし、加藤に俺たちと王の一族の関係がばれたら、ドクダミたちにとっても大変なことになるかもしれんのに』


 久千管理官は肩を竦め、鼻で笑う。


『彼らは確かに聡明ではありますが、所詮、河童。そこまでの先を見通せるほどの知能はない。貪欲に、かつ狡猾に、目先の欲を拾いにいく。それが河童という生き物なのです』

『下手な商人、といったところか』

『ええ。要するに、ビジネスなのです。私たちは彼らに探索の範囲を教え、一定の食糧などの物資を供給する。彼らは、適度な量の河童を供給することにより、我々の立場の保全に協力する。これが現在、我々と彼らの間に取り交わされている契約です。そして、その他の条件については、別で交渉しなければいけない。今回は、もしも他の人間との接触があった場合にそれを我々に伝える、という条件をこちらが提示していなかったため、こういった事態が起きてしまった。故に、同じ轍を踏まぬよう、改めてしっかりと契約しておきましたので、今後は大丈夫です』

『それにしても、杓子定規な奴らだな』

『彼らには人間特有の信頼関係や情などはないので、ドライなのでしょう。ただ、私からすると楽ですよ。与えるものを与えている限りは、彼らもこちらの要求には応える。人間社会にある、上辺だけの信頼や情の押し付け合いをする必要がありませんから』


 管理官たちは納得した様子で、各々、頷いている。見ている限りでは、どうやら久千管理官が、会話の指揮を担っているようだ。


 すると一人の男性管理官が、『しかし』と苦い声を出す。


『我々は奴らに甘過ぎやしませんかねぇ。人間と河童の力関係は、対等ではない。それくらいは彼らも理解しているでしょう。それこそ、ビジネスと言うなら、我々が大企業で、彼らは精々、町工場に過ぎません。もっと、圧迫してもいいかと思うのですが。それこそ、こちらからの餌は安全の提供だけに留めるべきでは?』


 久千管理官は『いや』と即座に否定する。


『確かに、力関係だけを見れば、そうかもしれません。しかし、お忘れなく。ビジネスはビジネスでも、我々がしているのは、闇のビジネスです。彼らも我々の立場を理解しているので、あまりこちらが調子に乗ると、痛い目を見ますよ』


 問いかけた男性管理官は、それに対する反応は見せなかった。


 一瞬の静寂。


 久千管理官は立ったまま、全員の顔を見渡していく。


『……とにかく、今は起きてしまったことを責めている場合ではありません。河童の秘密を知ってしまっている加藤、瀬織の二人を何としてでも、見つけ出して捕らえなければならない。現時点で、彼ら二人についての情報を入手した方はいらっしゃいませんか?』

『加藤が逃げた日の夜に、東山地区のあるホテルに泊まったことと、その次の日に、近くのショッピングセンターで、服などの買い物をしたことはわかっているわ』

『変装したのでしょう。それからは?』


 端に座る男性管理官が、小さく手を上げる。


『その日の夜、東海地区のとある居酒屋で、加藤と瀬織らしき人物が食事をしているのを、店員と複数の客が確認している』

『……東山から東海。そう遠くまでは移動していないのですね。これは、何か理由があるかもしれませんね』

『ただ、そこで有力な情報が一つ、手に入った。どうも、その二人と共に食事をしていた人物がいたらしい』

『逃走の協力者がいる可能性がある、ということですか。それは厄介なことになりましたね。……その人物の特徴は?』


 その情報を提供した男性管理官は、腕を組んで首を捻る。


『それが、男ということしかわかっていない』

『なるほど。特徴のない男性、ということですか』


 久千管理官は何かを考えるように一点をじっと見つめて、一人頷いた。


『そして、それからの動向については?』


 管理官たちは互いに顔を見合わせるも、口を開く者はいない。


『ということは、そこからの動向は一切不明ということですか。結構、居そうな場所は勢力を上げて虱潰しに探しているはずなんですけどねぇ。一体、彼らはどこに隠れているのでしょうか』

『遠くに逃げているのかもしれない』

『うーん。私は、案外近くにいるような気がするんですけどね。それこそ、彼らの庭である火伯地区なんかに。……根拠のない勝手な憶測ですが』


 その久千管理官の慧眼に、僕と加藤さんの身体が一瞬、ぴくりと反応した。


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