四十二話『幹部』
まるで、耳の奥に栓をしてしまったかのように、突然、僕たちのテーブルにだけ、重い静寂が訪れた。
正直、頭の奥底には、ずっと黒い想像がこびりついていた。あの時の二人の状態から考えて、助かる見込みの方がずっと低く、さらに班長が既に覚悟を決めていたことも、わかっていた。
ただ、それでも、僕は一縷の望みを自分の中で肥大化させ、二人は助かるものだと言い聞かせていた。あとで、あの時は本当に危なかった、なんて笑う八幡さんと班長の姿を思い浮かべて、不都合な未来を塗り潰していた。
僕の頭と心は今、信じられないという気持ちと、避けようのない厳しい現実の狭間で、バラバラになっている。冷静にならなければと思うのに、どうしてか、混乱したままでいたいという自分がいて、それを止めている。
僕の中でそれが落ち着いてしまったら、きっと僕の内側に、僕の器では受け止めきれないほどの青い感情が押し寄せてくることが、わかっているから。
加藤さんが、すっと鼻から息を吸い込む。
「……それが間違った情報だという可能性は?」
相模さんは「ない」とはっきり断言する。
「八幡は病院に着いた時には既に息を引き取っていて、尾角さんは病院に着いたあと意識不明となり、数時間後に亡くなったそうだ」
加藤さんは「そうですか」と、何かに蓋をするように目を瞑ると、数秒の間を溜めてから、ゆっくりと開いた。
そこからまた、濁った沈黙が流れそうになったものの、女性店員が相模さんに気付いて水の入ったグラスを持ってきたことで、遠ざかっていた喧噪が戻った。
相模さんは加藤さんと同じメニューを注文すると、「しかし」と小さな息を吐く。
「来てよかった。尾角さんが亡くなった以上、ここに来ても仕方がないと思っていたが、加藤が留置施設から脱走したと知って、もしかしたらと足を運んだんだ」
相模さんはそう言うと、僕に視線を向ける。
「えっと、キミは瀬織だったか」
「あ、はい。すみません。自己紹介が遅れました。火伯支部、特定動物捕獲管理班、瀬織流と申します」
周囲に聞こえないとはわかっていても、自ずと小声になった。
「……しかし、どうして僕の名前を?」
「尾角さんから、話を聞いていた。それも、キミが施設に入る前から。『あの小学生はいつか必ず、凄いハンターになる』と。そしてキミが火伯支部に配属されてからも、会うといつも嬉しそうに、『あいつは天才だ』と、キミの話をしていたよ」
それを聞いて、僕は鼻の奥を捻られたような感覚になり、慌てて太ももをつねった。
相模さんは「それにしても」と苦笑を浮かべる。
「加藤が横領の罪で本部に送られたと知って、何とかしようと思ったが、なかなか打つ手が見つからずに困っていた。それなのに、まさか無理矢理、脱走させるなんて」
「班長から、どんな手を使ってでも、と言われたので」
相模さんは「確かに」と真剣な表情で頷く。
「あのまま放っておいたら、加藤は間違いなく殺されていただろうからな。加藤を救うためには、少々の無茶はやむを得なかっただろう」
僕が「殺される?」と悍ましい単語を拾うと、相模さんは何かを促すような視線を加藤さんへと投げ、加藤さんは頷いた。
加藤さんは両肘をテーブルにつくと、上半身を僅かに前へと倒す。
「……幹部よ」
「幹部? まさか、殺されるって、管理官たちにですかっ?」
驚きのあまり、つい、僕は声が裏返った。そんな僕に対し、加藤さんは「ええ」と落ち着いた様子で頷く。
「わたしたちはずっと、管理官たちに不信感を抱いていた。それは、彼らの仕事に対する姿勢などではなく、彼らが頑なに守ろうとする、筋の通らないルールに対して」
「筋の通らないルール?」
「そう。わたしたち河童ハンターは毎日、河童の探索活動を行うけど、その探索範囲は全て幹部たちが決めている。それに対して班長はずっと、自分たちに決定権を与えて欲しいと訴えていた」
「現場を知らない幹部たちが机上に地図を広げて決めるより、現場に出ていて指揮をとる支部の班長たちが決めた方が、必ず効率がいいからな。その日の天候や、班員の体調などにも配慮が出来る」
加藤さんの眉間に、軽い皺が出来る。
「それなのに、幹部たちは頑なにそれを認めなかった。他の仕事は出来る限り手を抜こうとするくせに、どうしてかその仕事だけは、やけに真剣に取り組んでいた」
「確かに、言われてみればおかしいですね」
国の行政機関というものはそういうものだと割り切っていたので、疑問に思わなかったが、考えてみれば、管理官たちがわざわざ全支部の探索範囲を決める必要性はなく、効率も悪い。
加藤さんは続ける。
「他にも、一部の管理官たちの交友関係や行動などに不審な点があり、わたしたちは幹部を信用していなかった」
僕はここで、「あ」と昨日の加藤さんの話を思い出す。
「だから、河童の子供を見つけた時、上に報告しなかったんですね」
「そうよ。無能な幹部によって、折角のチャンスを台無しにされてしまうわけにはいかなかったから。ただ、その時はまだ、単純に使えない人たちだという認識をしていたくらいだった。だけど、わたしが王の一族と接触して、ある疑惑が浮かんだ」
僕が「疑惑」と乾いた唇の間隙から復唱すると、じっと虚空を見つめていた加藤さんの視点が、僕に向いた。
「……幹部と王の一族が、繋がっている可能性よ」
コップに伸ばそうとしていた僕の手が、自ずと止まった。
「まさか、そんなことが……」
加藤さんは僅かに目を細める。
「まず疑問に思ったのは、ドクダミたちが人間のことを知り過ぎていたこと。彼らは随分と、人間社会について詳しかった」
「しかし、人間の言葉を理解出来るのなら、特別おかしなことではないのでは?」
「いえ、彼らは言葉を聞いて理解し、話すことは出来ても、文字を読み書きすることは出来ないの。そうなると、彼らが人間社会について知るには、誰かから伝聞される方法しかないはず」
「そもそも、人間の言葉を話せるということ自体、人間の介入がなしには考えられないからな」
加藤さんは、相模さんの言葉に頷く。
「元々、彼ら同士でのコミュニケーションに人の言葉は必須ではない。彼らは低周波音を用いて意思の疎通が出来るのだから。……そしてもう一つおかしいと思ったのは、わたしが初めて、王の一族と会った時のこと。あの時、わたしは河童の子供の案内で、王の一族の元へと向かったのだけど、わたしを見たドクダミたちは、わたしが突然現れたことに、ひどく驚いた様子だった」
「あれ? ドクダミは石を使って、災厄を予知出来るんですよね?」
「そう。わたしは、河童を殲滅させることを目的として、彼らに近付いたのだから、彼らにとっては、わたしの存在は災厄のはず。なのに、わたしが来ることを、ドクダミは予知出来ていなかった」
僕は首を小さく傾げる。
「それって、どういうことですか?」
「ドクダミには、災厄を予知する能力なんてなかった可能性が考えられる」
「嘘をついていたということですか?」
加藤さんは「ええ」と小さく頷く。
「ただ、嘘だという確証がない以上、ドクダミのその能力もあると仮定した上で、わたしはドクダミの命と白い石を狙っていた。だけど、和平交渉の際の話を聞いた様子では、やはり嘘の可能性が高そうね」
「和平交渉の話?」
相模さんが眉をひそめ、加藤さんは僕に視線を向けた。僕が、ドクダミたちが白い石を置いて去ったこと、班長が白い石を壊したことを説明すると、相模さんは「なるほど」と顎に手を当てた。
「確かに、もし災厄を予知する能力があり、それにその石が必要ならば、河童一匹や二匹の命に代えてでも守ろうとするだろう。そもそも、私は未来予知の能力など、端から信じていないが」
「しかし、だったらどうして王の一族はこれまで……」
僕はそこまで言って、話が繋がったことに気付いた。




