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四十一話『予想外の人物』


 腕時計の針は、夜の九時半を差している。


 メモ用紙にあった住所の街までやってきた僕と加藤さんは、浮かれた人混みの中を、縫うように歩いていた。


 東海地区最大の繁華街。街の雰囲気は、十年ほど前の関東第一地区といったところだろうか。飲食店が立ち並ぶ一画には、まるでこの世界は平和に満ちているかのような、そんな陽気で乾いた笑い声が響いている。


「メモにある住所は、この辺りですけどね」


 表通りから少し中へと入った、飲み屋の密集する区画。スーツを着たサラリーマン数人が肩を組んで大声で歌い、店先ではカップルが静かな喧嘩をしていて、大学生らしき若者は顔を青く染めて蹲っている。


 それらが、僕の目には何とも白々しく映り、まるで世俗から離れている僕と加藤さんに対して、『お前たちが来る場所ではないぞ』と伝えるために、みんな演技をしているのではないかと疑ってしまう。


「それにしても、メモの場所に何があるんでしょうか?」

「さあ。察しがつかないわけではないけど、行ってみないとわからないわ。わたしも直接は何も聞いていないから。……ここかしら」


 加藤さんはある小さな店の前で立ち止まった。見ると、そこはどこにでもあるような、居酒屋だ。一体、こんなところに何があるのだろうか。


「とりあえず、入ってみましょう」


 加藤さんはそう言うと、躊躇うことなく店の扉を開け、中へと入っていった。僕もそれに続くと、まず、アルコールと煙草の臭いが、鼻ではなく目に沁みた。そして、人いきれによって生温かくなった空気が、粘つくように肌へと纏わりついた。


 それほど多くない席は、八割ほどが既に埋まっていて、一人一人の声が聞き分けられないほどの喧噪が充満している。


 すると、厨房兼カウンターの中にいた中年の店主が僕たちに気付き、「いらっしゃい」と腹から声を出すと、僕たちは若い女性店員によって、端のテーブル席へと案内された。


 席につくと、僕は前のめりになりながら店内を見渡す。


「えっと……、普通のお店ですよね」

「何て言った?」

「ここ、普通のお店ですよね?」


 顔を近付けないと、互いの声が聞こえないほどの騒がしさ。加藤さんも、「ええ」と困惑した様子で、周囲を見渡している。


「でも、まだ時間には少し早いから、とりあえず十時になるまで、食事を取りながら待ちましょうか。食べられる時に、食べておいた方がいいから」


 僕は「そうですね」と頷き、メニューから適当に、腹もちのよさそうなものをいくつか注文した。店には申し訳ないが、お酒は頼まない。


 運ばれてきた品に箸をつけながら、僕は何気なく、加藤さんに訊ねる。


「そういえば加藤さんって、普段、何を食べてるんですか? 外食しているところを見たことがないですけど」

「栄養を考えて、自炊しているわ。体調を崩してしまったら、迷惑をかけるから。……そう。それに関してはわたし、前々からあなたと八幡くんに、注意しなければいけないと思っていたの」


 突然、加藤さんの目が厳しく光り、僕は「は、はい」と背筋が伸びる。


「あなたたち、よく帰りに外食したり、休みの日はコンビニの袋をぶらさげて歩いているのを見かけたりするけど、意識と責任感が、欠如していると言わざるを得ないわ。わたしたちの仕事は、健康な身体が資本。健康でなくなった時点で、河童ハンターとしての務めを全う出来なくなる。あなたたちのやっていることは、ドライバーが自分の車に粗悪なガソリンを入れているようなもの。今は若さで動いているかもしれないけど、必ずいつかそのつけがくるから……って、聞いてるの?」


 加藤さんが軽くテーブルを叩き、僕は「あ、はい」と意識を加藤さんへと向ける。しかし、僕の視線は自然と、店の入り口へと向く。


「加藤さん。あの人、怪しくないですか?」


 店の入口には、黒い眼鏡をかけた一人の男性が立っていた。身長は低く、痩身で地味な風貌。年齢は三十代前半だろうか。


 男性は少し前に店の中に入ってきたのだが、店主と店員は気付かず、そして他の客たちも一切、男性に目を留めない。


 男性はまるで誰かを探すかのように店の中を見渡しているものの、相手が見つからないのか、困惑した様子で佇んでいる。


 すると加藤さんが、「あ」と小さな声を上げ、その男性に向かって手を上げた。するとその男性は、加藤さんに気がつき、こちらに近付いてくる。その反応を見るに、男性は加藤さんのことを知っている様子だ。


 男性は僕の隣に座ると、加藤さんを見て、「なるほど」と小さな声を発した。


「キミが来るかもしれないとは思っていたが、変装か。わからなかった」


 加藤さんは「お久しぶりです」と頭を下げた。そして加藤さんは固まる僕に、「ほら」と視線で挨拶を促す。


「ほら、あなたも挨拶。先輩なんだから」

「先輩? えっと、この方は一体?」

「あなたが来る前まで、火伯支部で班員だった相模さんよ」


 僕は「え?」と一瞬、頭が真っ白になる。


「ちょ、ちょっと待ってください。相模さんって、殉職されたのではなかったのですか?」

「表面上はね」


 表面上。一体、どういうことだ。


「え、でも、八幡さんの話では、相模さんは探索活動中、気がついたら河童に襲われていなくなっていたとのことでしたが」

「だから、それは嘘よ。そもそも、八幡くんがいながら、河童に襲われて気付かないなんてことが有り得ないでしょ」


 確かに、言われてみればそうだ。あの時はまだ、八幡さんの力を知らなかったから、一切疑問に思わなかった。


「しかし、どうしてそんな……」


 相模さんは、「そうか」と固まる僕と加藤さんを、交互に見る。


「まだ、この子には何も言っていないのか」

「はい。わたしが王の一族に近付いていた件は話しましたが、もう一つに関しては、相模さんと会ってからの方がいいかと思いまして」


 その言葉に、相模さんの眉がぴくりと動く。


「加藤は、私がここに来るのがわかっていたのか?」

「わかっていたわけではありませんが、班長がこの場所の住所と日時を書いたメモをこの彼に託したということは、そこに来るのは相模さんだろうと予想はしていました。それより相模さんこそ、わたしが来るかもしれないと思っていたということは、既に班長と八幡くんのことはご存知なのですか?」


 相模さんは「ああ」と表情に苦さを滲ませる。


「全て、ある筋から情報は入っている。ただ、まだ箝口令が敷かれているらしく、自然環境火伯病院内でも、一部の人間にしか知らされていないようだ」

「ということは、二人がどうなったかもご存知なのですか?」


 その加藤さんの問いかけに答えるのに、相模さんは一呼吸置いた。その僅かな間に、僕の心臓が嫌な跳ね方をした。


 相模さんは目を閉じ、ゆっくりと口を開く。


「……残念ながら、二人は亡くなったそうだ」


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