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三十八話『暗雲』

 予想外の回答に、僕は一瞬、言葉に詰まった。しかしすぐに、僕の中にある記憶の引き出しが、勢いよく開いた。


「石って、もしかして白い石ですか?」

「そうよ。俄かに信じ難かったけど、実際、もしそうだとしたら、言葉を話せる河童がこれまで人間に見つからなかったことも、毎回警戒せず、同じ場所でわたしを迎えていたことも、説明がつく」

「でも、ちょっと待ってください。それって、ドクダミのみに可能なことなのですか?」


 正面を見つめていた加藤さんの視線が、僕に向く。


「彼女の話では、そうみたい」

「しかし、だとするなら、火伯地区以外にいる王の一族は、どうしてこれまで見つからなかったのですか? そもそも、火伯地区以外にも、その王の一族とやらはいるのですか?」

「王の一族は、全国に点在しているらしい。ただ、その王の一族の中でもドクダミは一番偉くて、そして彼女だけが災厄を予知する能力を持っている。彼女は災厄を予知すると、それを全国にいる王の一族たちに伝えるの」

「伝える? 一体、どうやって?」


 山が全て繋がっているわけでもないから、まさか、足を使うわけにもいかないだろう。それに、一体どれだけ先の災厄を予知出来るのかはわからないが、それだとあまりに時間がかかる。


 すると加藤さんは、「低周波音よ」と、聞き慣れない単語を口にした。


「低周波音、ですか?」

「そう、低周波音。周波数百ヘルツ以下の音のことを指すのだけど、その中でも、人の聴覚では感知出来ないとされている二十ヘルツ以下の音を、『超低周波音』と呼ぶの。そして全国にいる王の一族は、その超低周波音を用いて連絡をし合っている」

「イルカみたいなものですか?」

「まあ、そうね。あれは超音波だけど。低周波音を用いて会話する動物としてはゾウが有名で、彼らは環境次第では、十キロ先の仲間と会話することも可能だと言われている」


 そうだったのか。イルカやコウモリが超音波を使うのは知っていたが、ゾウがそんなものを使えるのは、初めて聞いた。


「しかし、今までの研究では、河童が低周波音を用いるなんて情報はなかったですよね」

「それは当然。低周波音を使えるのは、王の一族だけだから」


 なるほど。研究材料が手に入らなかったというわけか。


 加藤さんは「そして」と険しい表情で、虚空を見つめる。


「その事実を知ったわたしは、白い石を壊すか、もしくはドクダミを殺すことにした。そうすれば、彼らは未来を予知出来なくなり、河童を殲滅出来る可能性が見えてくるから。……だけど、ドクダミもわたしのことをかなり警戒していたし、白い石は洞窟の池の中に沈められていたせいで、なかなか実行に移せず、わたしは虎視眈々とその機会を窺っていた。そんな時、あなたに見つかって、上に報告されてしまった」


 加藤さんが僕に視線を向けたので、僕は反射的に「す、すみません」と謝った。しかし加藤さんは、「いや」と小さく首を振る。


「あなたが謝る必要はないわ。つけられたのは、完全なるわたしのミスだから。あなたを警戒はしていたんだけど、あの日は霧の深さに甘えて、油断してしまった」


 僕は「で、でも」と前のめりになる。


「ドクダミは逃がしてしまいましたけど、その白い石なら、班長が壊していましたよ」


 それを聞いた加藤さんは、「え?」と僅かに目を大きく開く。


「それは本当?」

「はい。河童が全員いなくなったあと、洞窟内の池に潜り、おそらくその白い石を取ったあと、割っていました。……ただ、班長は、河童たちがその石を置いていったことを気にしていた様子でした」


 加藤さんは眉間に皺を寄せ、一点を見つめる。


「確かに、その石は河童たちにとって、絶対に壊されてはいけない大事なもののはず。置いて逃げるとは思えないけど」

「ドクダミは、まさかあの状況で河童側が負けないだろうと高をくくっていて、あとで戻ってくる予定だったのではないでしょうか。最後に残ったスイセンという河童も、逃げるので精一杯で、石を取るほどの余裕はありませんでしたから」


 加藤さんは「だといいけど」と、どこか釈然としないような様子で、首を傾げた。


 そこで会話が止まると、また、静寂が漂う。


 どうやらこれ以上、加藤さんから話すことはないようで、加藤さんは風に髪を遊ばせながら、ぼんやりと公園を見渡している。


 しかし、これで大体の流れは掴めた。


 偶然、河童の子供を見つけた班長たちは、その河童を利用し、河童の秘密を探ることにした。ただ、それは『ある理由』から上には報告せず、班長たちだけで決定、決行され、潜入役を買って出た加藤さんが、人間の言葉を話す王の一族へと近付くことに成功した。


 そこで加藤さんは、未来の災厄を見ることが出来るドクダミと、その道具として使われる石の存在を知り、そのどちらかを消す機会を窺っていた。


 ただ、そんな加藤さんの動向に不信感を抱いていた管理官たちは、新人の僕に、加藤さんを監視するよう指示を出した。


 そして僕は、加藤さんが王の一族と懇意にしている光景を発見し、そのまま上へと報告してしまった。


「ということは、加藤さんが河童たちとの和平交渉を提案したのは、その席でドクダミを殺すか、石を壊すためですか?」


 すると加藤さんは、「いえ」と立ち上がる。


「わたしは和平交渉なんて、提案していない」


 僕は「え?」と固まった。しかし、加藤さんはそれ以上、その件については何も言わずに、「それより」と僕に手を差しだした。


「あなた、携帯電話は持っている?」


 僕は「は、はい」とポケットから携帯電話を取り出す。


「貸しなさい」

「え? 誰かに連絡するんですか?」

「違うわ。適当に走っているトラックの荷台に入れるの」

「どうしてそんなことを?」


 驚く僕に、加藤さんは「どうしてって」と片側の眉を僅かに下げる。


「当然でしょ。支給されているこの携帯電話には、実はGPSが搭載されていて、携帯電話を持っていたままだと、すぐに本部から居場所が特定されてしまう。だから、少しでも錯乱するために、走っているトラックの荷台に入れる」

「……ああ、そういうことですか」


 僕はその説明には納得するものの、そもそもどうして追われる状況にあるのか、その理由がよくわかっていないので、腑に落ちない部分はある。


 しかし、加藤さんからこれ以上は訊いてくれるな、という雰囲気が伝わってきたので、それもきっと、加藤さんが言うように、あとになるとわかるのだろう。


「それで、これからどうするのですか?」

「とりあえず、どこかで身体を休めたあと、ここに向かうわ」


 加藤さんは胸ポケットから、明日の夜の十時、東海地区の繁華街の住所が書かれているメモ用紙を取り出した。


「そこには一体、何が?」

「行けばわかる。そしてそこでおそらく、あなたは全てを知ることになってしまう」

「……なってしまう?」


 加藤さんは「そう」と止めているバイクへと向かって、歩き出した。


「……それは同時に、河童の、そして人間の醜さを知ってしまうということだから」


 加藤さんの背中には、怒りや憎しみを超えた、憂いが漂っていた。


 僕は加藤さんを追いかけながら、どうしてか、その一歩ずつが、まるで沼を進んでいくかのように、重くなっていった。


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