二話『八幡さん』
ホームに降りると、心地よいひんやりとした空気が僕を出迎えてくれた。すっと深く息を吸い込むと、土地の香りがすっと鼻腔を通り抜けていく。
僕は大きく腕を伸ばすと、ホームに迎えの人物の姿を探した。話では、同じ班に所属する加藤萌華という先輩が迎えに来てくれるということだったが、見渡しても、それらしい人物は見当たらない。
しばらく待ったものの、一向に現れる気配がないので、僕は仕方なく自分の足で支部へと向かうことにした。
改札を抜けると、突然、一人のジャージ姿の男性が近付いてきた。金髪で眉毛の薄い、一昔前の不良のような風貌。男性はポケットに手を入れていて、くちゃくちゃとガムを噛んでいる。
僕が立ち止まって身構えると、男性は「よお」と人懐こい笑みを浮かべて、小さく手を上げた。
「キミ、瀬織流くん?」
僕が「はい」と頷くと、男性は手を合わせた。
「ごめんごめん。ホームまで迎えに行けって言われたんやけど、中に入ると入場料かかるやろ。せやから、ここで待っとったんや」
「あ、ということは、迎えの方ですか?」
男性は「せや」と頷く。
つまり、この人が加藤萌華か。名前から、僕はてっきり女性だと思っていたが、最近は女性らしい名前の男性もいるので、きっとそうなのだろう。
僕は鞄を下ろし、背筋を伸ばす。
「初めまして。今日から、火伯支部、尾角班でお世話になります瀬織流と申します。不束者ですが、精一杯頑張りますので、よろしくお願いします」
そう言って深く頭を下げると、男性は「あー」と僕の肩に手を乗せた。
「そんな堅苦しくせんでええで。軍隊ちゃうんやから。……まあでも、よろしくな。オレは尾角班、八幡晴亮や」
「八幡さん、ですか」
「何や、驚いた顔して。もしかしてオレ、施設で有名やったんか?」
僕は「いえ」と慌てて首を振り、嘘を吐き出す。
「同じ名前の同級生がいたので、ちょっと。すみません」
八幡さんは「何や」とつまらなさそうに口を尖らせる。
「てっきり、施設で『伝説の先輩』みたいな感じで有名になってんのかと思ったわ」
僕は苦笑しながら、あながち間違いでもないので、否定は出来なかった。
僕が八幡さんの名前を聞いて驚いたのは、二つの理由からだった。一つは、迎えにくるはずの加藤萌華ではなかったこと。そしてもう一つは、八幡晴亮の名前が、研究施設では少し有名だったからだ。
河童ハンターに選ばれた人の名前は、自ずと施設内では知れ渡るので、例えば僕のような影の薄い人の名前でも、施設の職員たちは知っている。
しかし、八幡さんはその中でも、特別有名だった。
それは、彼が選抜された理由が、不透明なことにある。
通常、河童ハンターに選抜される人間は、周囲が納得するほどの秀でた人間である場合がほとんどだ。例えば、総合的に優秀だったり、そうでなくとも、一部分が突出して抜きん出ていたりする。しかし、八幡さんは特に秀でた部分がないにも関わらず、選抜されたらしい。
八幡さんがハンターに選ばれたのは、僕が施設に入った二年前なので、僕は直接八幡さんのことは知らない。しかし、八幡さんのことをよく知る先輩たちは口を揃えて、どうして彼が選ばれたのかがわからないと言っていた。ましてや、二十五ある地区のうち、もっとも過酷だと言われている、火伯地方に。
この人は一体、どうして選ばれたのだろう。
僕がじっと八幡さんを見つめていると、八幡さんは「ん?」と眉をひそめる。
「なんや、人のことをじろじろ見て」
僕は「い、いえ」と慌てて視線を逸らす。
「すみません。ちょっと、ぼんやりとしてしまって」
八幡さんは半歩下がると、怪訝な顔で、僕の足から頭の先までを眺める。
「……キミ、ほんまに瀬織くんか?」
予想外の質問に、僕は「はい?」と戸惑う。
「え、えっと、そうですけど」
僕が鞄から免許証を出して見せるも、八幡さんは「うーん」と納得出来ないような表情を浮かべる。
「いやー、なんやろ。聞いてた感じと、雰囲気が合致せえへんねんけど。ほら、身体は細いし、頼りない感じやし」
「それはよく言われます」
八幡さんは釈然としない様子ながらも、「まあええわ」と太い息を吐いた。
「どの道、現場に出たらわかることやからな。……ほな、とりあえず支部に行こか。ロータリーに車止めてるから」




