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三十三話『異変』

 いまにも割れてしまいそうな、そんな静寂が洞窟内の広場には漂っていた。

 

 僕と班長が戻ると、管理官たちの身体を確認していた八幡さんが、顔を上げる。


「どうでしたか?」


 班長は小さく首を横に振る。


「下が川になっていて、逃げられた。それより、管理官たちは?」


 その問いかけに、八幡さんは一瞬、言葉に詰まった。しかし、訊ねなくても、その答えは明らかだった。


「……残念ながら」


 班長は「そうか」と目を閉じ、胸の前で腕を組み、並べられた管理官たちに対し、黙とうした。僕たち三人も続いて、弔いの祈りを捧げる。


 管理官たちとは、今朝初めて会ったばかりだ。さらに、元々幹部についてはいい話をほとんど聞かず、そして実際に会ってみても、残念ながらその悪いイメージが覆ることはなかった。


 それでも僕は今、胸が痛かった。


 確かに彼らは、幹部の仕事を全うしていたとは言えないかもしれない。それでも今日、こうしてここまでやってきた。とてつもなく大きな不安と恐怖を抱きながらも、河童の襲わないという約束を信じて、交渉の席についたのだ。


 そんな彼らの勇気を、河童たちは無残に踏みにじった。それも、人間と河童の暗澹たる未来に、一筋の光が差し込んだと信じた、その瞬間に。


 赤黒い怒りが、僕の心の奥底から沸々と滾る。


 河童は所詮、河童だ。


 僕はこれまで、僕たちが河童を探し、殺していることが、自分の中でずっと消化出来ないでいた。しかし今、僕の中でその違和感は解消された。


 河童は、駆逐しなければならない。


 熊やイノシシなどとは違う。明確な悪意の下、人間という生き物に対して敵意を抱き、危害を与えている。そして向こうがその気なら、こちらも全力でそれに応じるしかない。


 ただ、今の僕には、ぐっと下唇を噛みしめること以外に出来ることはなかった。


「……何てことだ。まさか、こんな」


 管理官たちの亡骸を見つめながら、悲痛な面持ちを浮かべる久千管理官。


「久千管理官、怪我などは?」

「……私は大丈夫だよ。それより、キミたちは血清を打たなくていいのかい?」

「勿論、今から打ちます」


 班長と八幡さんはそう言うと、ポーチから応急キットを取り出し、慣れた手つきで駆血、小切開、吸い出し、洗浄などの応急措置を取り、血清を打った。


「えっと、瀬織くんは?」

「僕は大丈夫です。爪や牙による傷を負っていないので」


 僕が受けた傷は、スイセンに横腹を蹴られた際の打撲と、その時に地面で腰を少し擦ったくらいで、他には特になかった。


 久千管理官は「そうか」とどこか驚いた様子で、まじまじと僕を見つめる。


「じゃあとりあえず、ここを離れましょ。河童がまだ襲ってくる可能性も充分に考えられます。それにちょっと、オレと班長は血を流し過ぎてるし」


 八幡さんの言葉に、班長は「ああ」と頷いたものの、どうしてかその足は、来た道ではなく、広場の端へと向かっていく。


「……班長?」


 班長は「少し待っていてくれ」と僕たちに掌を向けると、上の服を脱ぎ、そして河童たちが忍んでいた池の中へと飛び込み、潜っていった。


 予想外の行動に唖然とする僕たち。やがて一分ほど経過して、班長は水面から顔を出した。その手には、野球ボールより少し大きいサイズの、白くて丸い石が握られている。


 僕はそれを見て、加藤さんとドクダミの会話を思い出した。


『ほら、石で確認した方がいいんじゃない?』

『ああ、それなら心配ないよ。既に見てある』


 もしかして、この石はあの会話と何か関係あるのではないだろうか。しかし、だとしたらこの石で一体、何を確認するのか。


 そして、どうして班長がこの石のことを知っているのか。いくつかの疑問が、僕の頭の中を過っていく。


 班長は池から上がると、苦い表情を浮かべて、その石を見つめた。


「置いていったということは、やはり……」


 班長は呟くようにそう言うと、その石を思い切り地面に叩きつけてしまった。石は真っ二つに割れ、その滑らかな断面をこちらに向ける。


「は、班長、一体何を?」

「説明はあとだ。今は八幡の言う通り、早くここを離れた方がいい」


 確かにその通りだ。僕は一旦、疑問を飲み込む。気になることは他にもたくさんあるので、それは落ち着いてから、ゆっくりと訊こう。


「では、管理官たちの亡骸はどうしますか?」

「申し訳ないが、今は持ち帰ることは出来ない。帰って、しっかりと体勢を整えてから、また回収しにこよう」




 異変が起きたのは、洞窟を出てから十分ほど経った時だった。


 それまで足早に歩いていた八幡さんが、突然、立ち止まった。


「八幡さん、大丈夫ですか?」


 僕が心配すると、八幡さんは「ああ、大丈夫や」と笑って頷き、また歩き出した。ただ、その笑顔は引きつっていて、そして額には大量の汗が滲んでいる。もしかしたら、思っているよりも血を失っているのかもしれない。


 しかし、そこから少しして、また八幡さんは歩を止めた。今度は、明らかに様子がおかしい。呼吸が荒く、そして足元がふらついている。


「八幡さん、本当に大丈夫ですか?」


 僕が八幡さんに近付き、肩を支えると、八幡さんは「いや」と力のない笑みを零す。


「大丈夫やないかもしれん。何や、力が入らんし、目が……」


 八幡さんが目を擦ると、後ろから、「尾角くんっ」と久千管理官の慌てるような声が聞こえてきた。振り返ると、班長も地面に膝をついていた。


 班長は何とか立ち上がると、「おかしい」と眉をひそめた。


「身体が痺れてきている。この感覚、俺の知っている河童の毒による症状とは、明らかに異なる」

「まさか、毒が……」


 班長は「ああ」と顔の片側を歪め、小さく頷く。


「もしかしたら、変わっているのかもしれない」


 僕は言葉を失った。


 しかし、応急措置は済ましてあるし、河童の毒が回った時に出る、体表の変化も見られない。それなのに、傷を負った二人だけが身体に異変を来しているということは、その可能性は充分に考えられるだろう。


 そうなると、一刻も早く帰り、然るべき処置を取らなければ。


 僕は体躯の大きい班長へと近付き、その腕を肩へと回した。そして、「久千管理官」と僭越ながら、指示を出す。


「僕が班長に肩を貸すので、久千管理官は八幡さんをお願いします」


 久千管理官は一切逡巡することなく、「わかった」と頷くと、八幡さんの元へと向かい、その華奢な身体で支えた。


「しかし、そんなことが有り得るのでしょうか? 河童の毒が変わるなんて」


 進みながら僕が訊ねると、班長は「どうだろうか」と荒い呼吸を交えて答える。


「河童は、カエルや蜘蛛などの有毒種を捕食することによって毒を形成するのではなく、自らの体内で毒を形成する。だから、突然その毒の成分が変わるなんてことは考えにくいが、何分、河童に関してはまだまだ不明な点も多いから、正確にはわからない」


 訥々と、しかしはっきりと所見を述べる班長。確かに、これまでに一度も河童の毒の成分が変わらなかったのに、いきなり変わるなんて、偶然にしては都合が良過ぎる。


「では、ドクダミたちが、何らかの方法を用いた可能性は?」

「現時点だと、それが最も有力な説だろう。……ただ、だとしたら疑問は残る。まず、それが可能だとしたら、どうしてこれまでにやらなかったのか。そして、果たして奴らに、そこまでの知識があるのか」

「前者に関してはわかりませんが、後者に関しては、交渉や戦闘を見る限り、言葉を話せる個体は、人間と変わらない知能を有しているとは思いました」


 班長は数秒間、何かを考えるようにじっと一点を見つめたあと、「とにかく」と眉間に深い皺を刻んだ。


「もし、河童の毒の成分が変わったのだったとしたら、即座に解析をし、抗毒血清を作る必要がある。でなければ、抗毒血清が出来るまで、河童から傷を受けた者は全員死んでしまう。だから、もし俺が死んだら、すぐにこの身体を研究へと回すよう、瀬織から強く伝えておいてくれ」


 その班長の言葉に、僕は胸が詰まり、何も返すことが出来なかった。すると、少し前を歩いていた久千管理官が振り返り、「尾角くんっ」と班長を真っ直ぐ見据える。


「キミほどの男が、何を弱気になっているんだ。生きるんだよっ」


 班長は驚いたように久千管理官を見つめたあと、ふっと力なく笑みを零し、小さく頷いた。


 僕はぐっと班長の身体を持ち上げ、力強く、一歩を踏みしめた。


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