三十二話『vsスイセン』
二匹の河童はそれぞれ、弾を左右にかわし、中央が開けた。
僕はその間を抜けると、スイセンまでの間を一気に詰め、皿へと向かって掌底を打った。しかし、スイセンは軽く避けると、僕に向かって腕を振り下ろす。僕はすかさず屈むと、その腕を足で蹴り上げて軌道をずらし、一旦、距離を取った。
スイセンは「おいおい」と肩をすくませる。
「馬鹿みたいに突っ込んできて、そんな単調な攻撃が俺様に当たるかよ」
「わかっているさ。とりあえず、キミの動きを見ようと思ってね。……ただ、思った通り、他の河童と身体能力は、ほとんど変わらない」
スイセンは一瞬、不快な表情を浮かべたものの、意外にも「ああ」と僕の指摘を素直に認めた。
「まあ、それに関しては、否定しねえよ。ただ、お前らならわかってんだろ。戦闘において重要なのは、どこなのか」
僕は「勿論」と頷くと同時に、踵を外しておいた右の靴を、スイセンの皿を目がけて勢いよく蹴り飛ばした。しかし、スイセンはそれも読んでいたようで、「うぜえっ」と手で靴を叩き落とす。
「他の河童に効いた攻撃が、俺様に通用すると……」
思っていないよ、と心の中で呟きながら、僕は重心を低くして、スイセンの懐に飛び込むと、そのまま足を払った。
バランスを崩したスイセンは地面に倒れ込み、僕はすぐさま追い打ちをかけるため、腹に向かって踵を落とした。
すると、スイセンは「くそがっ」と手も足も使わずに身体を起こしてそれを避けると、僕に向かって腕を伸ばした。しかし、僕はかわされることを予想していたので、後方に下がり、難なくその攻撃から逃れた。
スイセンの尻の上辺りから、長い尻尾が揺れていた。小学生だった頃、河童に襲われた時に、尻尾には苦戦させられた。
だから僕は常に、河童と対峙する時は、尻尾の存在を意識するようにしている。今も、きっと尻尾を使って避けるだろうなと思っていた。
見ると、スイセンには先ほどまでの余裕はなく、身体の半分を紫に染め、呼吸が荒くなっている。その表情には、明らかな怒りが滲んでいる。
すると後方から、散弾銃の発砲音と共に、皿が割れるような音が聞こえてきた。一瞥すると、どうやら班長が二匹のうち、一匹を仕留めたようだ。
これで、残るは河童一匹とスイセンだけ。数だけでいえば、こちらが有利になった。
スイセンは小さく舌打ちをする。
「ったく、使えねえ奴らだな。あんだけの数がいんなら、せめて一人くらい、ぶっ殺してみせろやっ」
スイセンは大きな声でそう言うと、「オラッ」と声を上げながら、真っ直ぐ僕に向かって突っ込んできた。そして、特にフェイントをかけるでもなく、ただ、闇雲に腕を伸ばしてくる。
終わったな。
激高して、冷静な判断が出来なくなっている。
僕は落ち着いて腕をかわし、尻尾に注意しながら、ぐっと拳に力を入れた。そして、皿に向かって思い切り突きだそうとした時、視界の端で、スイセンの口角が上がったことに気がついた。
本能で危険を察知した僕は、拳を解き、後方へと下がろうとした。しかし次の瞬間、僕の横腹に激しい衝撃が加わり、僕の身体は宙に浮いていた。
とても長い時間、浮遊しているような感覚だったが、実際は一、二秒だったのだろう。身体を丸めるくらいしか受け身が取れず、僕の身体は地面に叩きつけられた。
さらに、スイセンは間髪入れずにこちらへと向かってくる。
僕はすぐさま、後転するように地面に手をつき、足を浮かすと、そのまま手首で地面を押し返し、一気に身体を起こした。しかし、横腹に鋭い痛みが走り、僕はその場に膝をついてしまう。
まずい。
そう思ったその時、乾いた銃声音が響き、スイセンはぴたりとその動きを止めた。僕はその隙に、何とか体勢を立て直し、深呼吸をする。
鈍い痛みは徐々にではあるものの、遠ざかっていく。
スイセンはゆっくりと、音が鳴った方向へと視線を向けた。その先には、ライフル銃を構える八幡さんの姿。どうやら、八幡さんが威嚇射撃をして、僕を助けてくれたらしい。
「くそ、余計なことを」
スイセンは憤る様子を見せながらも、身体からはゆっくりと紫色が引いていっている。
「……キミ、もしかして、身体の色を自由に操れるのか?」
僕が訊ねるも、スイセンはその質問には答えない。しかし、あの時の不敵な笑みから考えると、おそらくスイセンは、身体を紫に変色させ、僕の油断を誘ったのだろう。
さらに、蹴りでの攻撃。河童は通常、蹴りでの攻撃はしない。それは、足の爪は鋭利ではなく、相手に当てたとしても毒を入れることが出来ないからだ。
冷たい汗が、頬を舐めるように伝っていく。
思っていたよりも、遥かに賢い。
自分たちの特性を人間が充分に理解していることを、彼は理解し、それを逆手に取って
戦闘の構成を組み立てている。すぐに激情し、身体を紫に染め上げてしまう他の河童たちとは、明らかな格差がある。
すると、河童が破裂する虚しい音が響いた。
振り返ると、息を切らして立つ班長の前に、赤い水溜まりが広がっていた。
「……さて、これで形成逆転だね」
嵩にかかって攻める、絶好の機会。班長が僕の隣に立ち、スイセンと向き合う。
スイセンはゆっくりと洞窟の中を見渡すと、途端に身体の向きを反転させ、走り出した。しかし、逃亡を予想していた僕は素早くその一歩を踏み出し、強く地面を蹴ってスイセンの足元へと飛び込んだ。
スイセンの足首を掴むと、スイセンはそのまま前のめりに倒れた。そして班長が即座に、スイセンの背中に馬乗りになる。
「ちくしょう。まさか俺様が……」
スイセンはそう言うと、身体を震わせて「ふひひ」と笑い始めた。そして顔を僅かに傾けてこちらを見ると、「死ね」と一言呟いた。
「まずいっ、巻き込まれるぞっ」
スイセンの身体が赤く染まって膨張し始め、僕と班長は慌ててスイセンから離れる。やがて、スイセンの身体が二倍以上の大きさになると、僕は来たる衝撃に備え、身体を硬直させた。
しかし次の瞬間、スイセンの身体は大きな破裂音ではなく、下品な空気音を放出しながら萎んでいき、やがてスイセンは元の大きさに戻った。
そして立ち上がると、スイセンは口元を歪ませ、広場の奥へと走り出した。
「フェイクだったかっ」
僕と班長はすぐに走り出す。広場の奥はまた狭い道になっていて、暗くて前がよく見えない。それでも僕と班長は、罠を警戒しながら、スイセンの足音を頼りに追いかける。
やがて、洞窟を抜けると、スイセンがこちらを向いて立っていた。
「……覚えとけよ。次に会った時は必ず殺して、お前の臓物を食わずに、この手で握り潰してやる」
そう言うと、スイセンは振り返り、そして視界から消えた。
僕たちが慌てて追いかけると、そこは崖になっていた。十メートルほどの高さがあり、下では滝壺が白い口を開けて待ち構えている。
そこから川が下っていて、目を凝らすと、スイセンと思われる水飛沫が遠ざかっていくのが見えた。
「くそ、逃げられたか」
班長は悔しそうに、壁を叩く。
僕は、足元から崩れ落ちそうになるのを、何とか堪えた。




