三十一話『絶体絶命』
僕は左の踵だけを靴から脱ぐと、そのまま左足を思い切り振り抜いた。すると、飛んでいった靴は、スイセンの隣にいた河童の皿に直撃し、皿の割れる乾いた音が鳴り響く。
僕たちが履いている戦闘靴アルファ型は、つま先に鉄板が入っているため、河童の皿くらいなら簡単に割ることが出来る。
これで、残り八匹。
僕はそのまま、前方へと向かって走り出す。後方の二匹は班長と八幡さんに任せ、僕は前にいる六匹を何とかする。
無論、同時に六匹なんて相手にしたことはないし、おそらくこの状況を切り抜けるのは極めて不可能に近いだろうが、今は出来ると信じ込むしかない。どの道、何もしなければ殺されてしまう。
僕は椅子を手に取ると、スイセンに向かって投げた。スイセンは軽々とそれを避けると、一瞬、僕に向かって突っ込んでくる素振りを見せたが、どうしてか、急に踏みとどまった。そして、後方の河童たちに、行け、と顎で指示を出す。
なるほど。まずは彼らに戦闘させ、様子を見ようというわけか。
冷静だな、と僕は深く息を吸い込んだ。ただ、スイセンが戦闘に参加してこないのは、僕にとっては都合がよかった。あいつはおそらく、他の河童とは違う。ちょっとした動きから、僕はそれを感じ取っていた。
しかし、スイセンを除いたとしても、六匹。
僕はふと、視界の端に銃が落ちているのを見つけた。門番をしていた河童が、僕たちから取り上げ、持ってきていたものだ。
後方を一瞥すると、二人は苦戦していた。さすがに、久千管理官を守りながら、素手で河童を倒すのは、班長たちといえども、厳しいものがあるのだろう。
まずは、あれを取り返さないと。
僕が靴で倒した河童が限界まで膨張し、鈍い音を立てて爆発した。
飛散する赤い霧の中に、僕は敢えて飛び込んでいく。すると、六匹の河童たちは一斉に僕に向かって、走ってきた。
僕は河童たちが腕を伸ばしたのを確認すると、滑り込むようにして、一匹の河童の股の下を潜り抜けた。
河童たちは慌てて僕に視線を向けるものの、走ったその勢いと、爆発した河童の体液や臓器に足を取られ、六匹が交錯した。
転倒した一匹の皿が割れそうだったものの、我慢して、落ちている銃へと向かった。僕の意図を察したスイセンが、急いで止めようと僕に向かってきたが、僕が銃を手に取る方が早かった。
僕が銃を手に取った瞬間、スイセンは慌てて引き下がった。しかし、僕は躊躇わず、散弾銃を一発、スイセンに向かって発砲した。
勿論、こんな姿勢で、ましてや僕の技術で当たらないのはわかっている。それでもその衝撃は凄まじく、河童たちは怯んだ。僕はその隙に、班長と八幡さんに向かって走る。
「班長、八幡さんっ」
僕は抱えていた散弾銃とライフル銃を、二人に向かって投げた。班長は河童の隙をついてそれを拾うと、「でかしたっ」と声をあげ、銃口を一匹の河童へと向けて発砲した。しかし、僅かに外れたらしく、河童の皿の横にある毛が、ふわっと広がった。
僕はじっとその光景を見つめながらも、意識は近付いてくる足音に集中させていた。そして、その足音を限界まで引きつけると、僕は矢庭に身体を傾けた。
僕を襲おうとしていた河童は勢い余って、無防備な体勢のまま、僕の前方を横切っていく。僕は即座に足を振り上げ、その皿を掬い上げるようにして割った。
河童は僕を睥睨したあと、地面に落ちた自身の皿の破片を発見し、けたたましい声で咆哮した。
ただ、どれだけ泣き叫ぼうが、もう助かることはない。彼は目に悔し涙を滲ませながら、じっと僕を見つめ、やがて爆ぜた。
その様子を眺める、残り五匹の河童とスイセン。スイセンの表情からは何の色も感じなかったが、五匹の河童には、ありありと恐怖が滲んでいるのがわかった。
しかしそれでも、彼らはまるでロボットのように、僕へと向かってくる。
僕はこれまでの彼らの動きから、あることに気付いた。
五匹は共闘しているように見えるものの、一切、連携などは取れていない。むしろ、自分が倒してやる、と全員が前のめりになっているせいで、互いの動きを阻害し合ってすらいる。
これは五対一ではなく、一対一が五つあるだけだ。そう思うと、僕は何とかなりそうな気がしてきた。
スイセンが小さく声を発すると、僕に近い二匹が、僕に向かって走ってきた。僕がすぐさま散弾銃を彼らの皿の高さへと向けると、二匹は皿を守るように、顔の前に腕を構えた。二匹の皿が割られたのを目の前で見て、警戒しているのだろう。
僕は散弾銃を引き下げると、思い切り地面を蹴り、向かってくる彼らへとこちらから飛び込んでいった。そして、がら空きになっている一匹の腹に、右足で思い切り蹴りを入れると、左足でそのまま身体を一回転させ、回し蹴りの要領で、もう一匹の首元目がけ、右足を振り抜いた。
一匹目の腹には蹴りが入ったものの、二匹目は瞬時に反応されたため、防がれた。それでも、一匹目に対して入れた蹴りは相当効いたらしく、蹴りを受けた河童は蹲り、全身を紫に染めながら、地面に泡の混じった液体を吐いている。
僕はすぐさま間を詰めようとするものの、別の河童が立ち塞がったので、身体を引いた。蹴りが相当深く入ったのか、紫に染まった河童は起き上がろうしたものの、そのままうつ伏せで倒れる。
すると、スイセンがその河童へと近付き、見下ろした。
「……お前はもう使えない。邪魔だ」
スイセンはそう言うと、次の瞬間、何とその河童の皿を蹴りで割ってしまった。
皿を割られた河童は目を開きながら、膨張を始める。
仲間ではなく、道具か。
彼らの縦の関係は、人間社会の縦の関係とは、全く異なるものなのだろう。スイセンは膨れる河童に視線を向けることなく、冷淡な眼差しで、じっと僕を見つめている。
やがて、僕とスイセンの間に真っ赤な壁が現れると、僕はそれと同時に、一匹、離れて立っていた河童との距離を詰めた。
河童は、自分に来るとは思っていなかったからか、一瞬、反応が遅れた。しかし、戦場においては、その僅かな気の緩みが命取りになる。
僕は最短距離で、皿へと掌底打ちをする。しかし、角度が悪かったのか皿は割れず、代わりに、皮膚から何かが剥がれるような音が聞こえ、皿が僅かに浮き上がった。
僕はすぐさま後方へと下がり、カウンターを警戒する。
しかし、河童がこちらに向かってくる気配はなく、全身が徐々に赤色に染まり、そして皮膚が盛り上がり始めた。
割れるだけではなく、剥がれても死ぬのか。
そんな情報はこれまでになかったので、僕はこんなところで、河童に関する新たな情報を知った。
すると、爆発するのを眺めている間もなく、残っているスイセン以外の河童四匹が、一斉に僕に向かって走ってきた。
さすがに学習したのか、四匹は重なることなく、僕が逃げられないよう、四方から囲むように、僕との距離を詰めてくる。
皿の剥がれた河童が爆発し、僕のすぐ傍で赤黒い塊が宙を舞う。
僕はじっと目を凝らし、抜けられる場所はないかを探す。しかし、どこにも穴は見つからない。これは、ある程度の傷は覚悟しないといけないか。そう思った時、「おいっ」とスイセンの叫ぶ声が聞こえた。
それと同時に、立て続けに二回大きな銃声音が聞こえ、四匹の河童の内、二匹の頭の上に白い粉が舞った。
振り返ると、班長がこちらに向かってライフル銃を構えていて、その傍で二つの爆発が起きている。どうやら、無事、二匹を倒すことが出来たらしい。
班長は八幡さんにライフル銃を渡し、散弾銃を手に持つと、こちらに向かってきた。
僕は二匹の河童の攻撃をかわすと、班長へと近付く。
「班長がライフル銃を撃っているところ、初めて見ました。上手いんですね」
「加藤がいると、撃つ機会がないからな。まあそれでも、あれくらいの距離で警戒されていなければ、当てられるさ」
ライフルで撃ち抜かれた河童が、ほとんど同時に爆発した。その音を耳にしながら、班長は僕の全身を眺める。
「それより、大丈夫なのか?」
自分の身体に視線を落としてみると、服に血や肉片がべっとりとついていた。掌底で倒した河童が爆発した際に、ついたものだ。
「これは返り血です。僕はまだ、傷を負っていませんから。……むしろ、班長たちこそ、大丈夫ですか?」
班長、そして久千管理官についている八幡さんからは、結構な血が流れている。班長は苦い顔を浮かべながらも、「問題ない」と深く息を吐く。
「致命傷になるようなものはない。……さて、残るは三匹だが、問題は奥のあいつだな」
全部で九匹いた河童が、残り三分の一になっていた。前方の二匹の河童は、既に全身を紫に染めながらも、その顔には見てとれるほどの不安が滲んでいる。
しかし、スイセンはこれだけ形勢が押されているにも関わらず、口元には笑みさえ浮かべている。
「……あいつは、僕に任せてください」
「大丈夫なのか?」
僕が「はい」と前へと出て拳を握ると、班長は「わかった」と二匹の河童へと散弾銃の銃口を向け、そして発砲した。




