三十話『裏切り』
会談の議題が、河童たちの食糧確保の方法へと入ってから、既に一時間近くが経過しただろうか。
始めは緊張していた管理官たちも、河童が襲ってこないとわかったからか、次第に食糧問題についての話に参加し始めた。それに対し、ドクダミは感心の相槌を打ちながら管理官たちの話を真剣に聞き、予想外に、会談は和やかな雰囲気で進行していた。
一通りの案が出ると、ドクダミはナズナ、スイセンと顔を見合わせ、頷いた。
「……なるほど。確かに、食糧については何とかなりそうだね。ただ勿論、人間の協力なしではどうしようもないから、そのあたりは申し訳ないけど、頼らせて貰うよ」
管理官たちは、ドクダミが下手に出たからか、みんなその態度を軟化させ、それなら仕方がないなとでもいうような、優越感と余裕が滲んだ表情を浮かべている。
久千管理官は「では」と少し丸まっていた背筋を、真っ直ぐに伸ばす。
「今日はこの辺りにして、一旦、具体的な方法などを検討するため、持ち帰らせていただきます。早ければ次回にも、和平条約を結べるのではないかと」
「そうかい。楽しみにしているよ」
久千管理官は立ち上がると、「では」とじっとドクダミを見つめた。
「握手をしましょう」
久千管理官が移動し、手を差しだすと、ドクダミも腕をあげた。他の管理人たちも立ち上がり、ナズナ、スイセンと握手をする。
その時だった。
僕は殺気を感じ、反射的にその一歩を踏み出していた。
次の瞬間、突然、スイセンは握手をしていた坂本管理官の喉を、爪で横一文字に切り裂いた。それと同時に、その隣では、ナズナが古賀管理官の首へと鋭利な牙を立てている。
真っ赤な鮮血が噴き出し、洞窟内に突如として、悲鳴が響き渡る。
「瀬織っ、八幡っ」
班長がそう叫んだ時には、既に僕はスイセンの横腹に、思い切り蹴りを浴びせていた。ふと見ると、ドクダミからの攻撃を寸前でかわした久千管理官が、柳川管理官を襲おうとしていた河童へと体当たりして、その勢いのまま、地面に倒れている。
「久千管理官っ」
僕は急いで久千管理官の元へと向かい、その身体を起こす。
「こ、これは一体。ど、どうしてだ?」
「罠だったんですっ。とりあえず、久千管理官は下がっていてください」
久千管理官は、ふらつく足取りで、僕の背中へと下がる。
他の管理官も、助けなければ。
そうして全体を見渡すも、僕の視界に飛び込んできたのは、想像もしたくない最悪の光景だった。
地面に倒れ、既に目を見開いている柳川管理官と左管理官。「助けなさいよっ」と泣き叫びながら、介抱しようとする八幡さんに向かって、真っ赤な手を差しだす古賀管理官。そして、鮮血の噴き出す首を手で押さえながら、「わ、わ」とふらつく、坂本管理官。
ただ、僕の視線はそこではなく、自然とその奥に集まった。
洞窟奥にあった池から、五匹の河童が上がってきたのだ。
「ずっと潜んでいたのか……」
後方から聞こえてくる、久千管理官の声。
そんな、まさか。
僕は久しぶりに、恐怖から、足が震えて動けなくなった。
その時、「お前らっ」と班長の怒鳴り声が、鼓膜を叩いた。
「何、ぼけっと立ってるんだっ。やられるぞっっ」
その言葉で僕は我に返り、地面についていた足を何とか離した。
古賀管理官の泣き叫ぶ声は聞こえなくなり、そしてふらふらと歩いていた坂本管理官は「話が違うじゃないか……」と呟くと、崩れ落ち、動かなくなった。
ほんの僅かな時間で、四人の人間が死んだ。
僕たちは任務に失敗した。
しかし、僕は自分でも驚くほど落ち着き始めていた。経験則上、今は悲観に暮れている状況ではないとわかっているからだろう。
僕は冷静に状況を判断する。
現在、こちらで生きているのは、僕たち三人と、久千管理官。
それに対して相手は、いつの間にやったのか、班長の前で二匹の河童がちょうど爆発したところだった。残っている河童を見ると、死んだのは、ナズナと片腕が千切れた河童だ。
ドクダミは肉片となった二匹を見て、「へえ」と感心する。
「この一瞬のうちに、素手でナズナともう一匹をやったのか。まあ、あいつは片腕がなかったが、ナズナを殺せるということは、さすが、護衛に選ばれるだけのことはあるね」
班長はその言葉には反応せず、周囲を見渡して状況を確認している。すると八幡さんが、「後ろや」と僕たちが進んできた道を振り返る。
「足音からするに、二匹やな」
「へえ、あんたはいい耳を持ってるね」
すると、八幡さんの言った通り、二匹の河童が、逃げ道を塞ぐように、僕たちの入ってきた場所に仁王立ちした。
前方に八匹、後方に二匹の計十匹。
それに対し、こちらは素手のハンターが三人と、管理官の中で唯一生き残った、久千管理官ただ一人。
さて、どうする。
僕は口を窄め、ゆっくりと青黒い雑念を吐き出す。
すると、ドクダミが「じゃあ」とスイセンの肩に手を置き、僕たちに背中を向けた。
「あとは頼んだよ。全員、始末してしまいなさい」
「ちょ、ちょっと待ってくださいっ」
久千管理官が呼び止めると、ドクダミはゆっくりと振り返った。
「ど、どうして、こんなことを?」
「どうして? そんなの、人間なんて信用出来ないからに決まっているじゃないか」
「じゃあ、最初から……」
ドクダミは嘲笑するかのように、肩を震わせる。
「ああ。最初から全員、殺すつもりだったよ。だから、お前たちが真剣に未来のことを話しているのが、おかしくってね。こいつら、もう少ししたら、この世からいなくなるのにって」
ドクダミはそう言うと、高笑いを響かせながら、奥へと消えていった。
やはり、河童は所詮、河童だということか。
僕の中に、こんな奴らに絶対に殺されたくないという思いが、ふつふつと湧き上がってくる。
僕は「班長、八幡さん」と二人に呼びかける。
「……お二人は、久千管理官をお願いします」




