二十九話『食糧』
ドクダミがそう言うと、命じられた河童は何と、躊躇いなく自らの左上に爪を立て、さらに歯を使って左腕を千切り始めた。
どよめき、顔を背ける管理人たち。
「ちょ、ちょっと、何をしているんですか。わかりましたから、すぐさまやめさせてください」
しかし、ドクダミは久千管理官の言葉に耳を貸さず、やがて命じられた河童は、関節の手前から先を千切ってしまった。
鈍い音と共に、左腕が地面に落ちる。水かきのついた指先がぴくぴくと痙攣しているのが、何とも気味が悪い。河童の残った腕の切断面からは、淋漓として赤い血が滴り落ち、生臭い鉄の臭いが鼻を刺激した。
唖然としてしまい、言葉も出ない管理官たちに対し、ドクダミはどこか得意気な笑みを向ける。
「……これで、わかっていただけたかな? あたしたちは、横の繋がりを持つ人間とは違い、絶対的な縦の繋がりの下で種を存続させている。他の河童があたしの命令に対して従順なのは、くだらない敬畏や崇拝などではなく、種族としての本能なのさ」
左管理官は反駁する気も起きないのか、苦い表情を浮かべ、視線を落とした。すると、柳川管理官が、
「しかし」と心配そうな顔で、左腕を失った河童を見る。
「……大丈夫なのですか?」
ドクダミは「心配ないよ」と短い鼻息を飛ばす。
「別に、腕の一本失ったところで、死にはしないし、どうってことないさ」
柳川管理官は、「それならいいのですが」と沈痛な面持ちで、一切痛そうな素振りを見せない、腕を失った河童を見つめた。
すると、久千管理官が、「それより」と汗の滲んだ額を拭う。
「一つ気になるのは、ドクダミさんは、全ての河童の中で最も偉いんですよね? それはこの火伯地区だけではなく、全国にいる河童の中で、ということですか?」
「勿論、そうだよ」
「なら、二つの疑問があるのですが、まず、あなたが一人で、全国に存在する全ての河童を生み出しているのか。そして、その全国の河童たちに、どのようにして、あなたが人間と和平を結んだと伝達するのか。それらにお答えいただけませんか?」
鋭い質問に、ドクダミは一瞬、顔を歪めた。そして、少し考えてから、ドクダミは小さく首を横に振る。
「……こちらの情報に関しては、申し訳ないが、和平条約を結び、人間が完全に信頼出来ると判断したあとではないと、公開することは出来ないね。あたしたちも馬鹿ではないから、人間がこの世界において強大な力を持っていることくらいは、理解している。つまり河童としては、もし人間が河童の情報を全て手に入れた際、河童を殲滅出来ることを念頭に置き、警戒しなければならないのさ。ただ、全国の河童に情報を伝達する手段は存在するとだけ言っておこう。勿論、その方法は教えられないが」
久千管理官は「わかりました」と引き下がった。すると、これまで一言も発していなかった坂本管理官が、「しかし」と口を開く。
「こんな言い方をするのもあれだが、得体の知れない相手と、和平条約を結ぶなんて、人間社会では有り得ませんけどね。こちらは、あなたたちを信用、信頼して、こうしてここまでやってきたのですから、そちらも何かしら、誠意を見せて貰わないと。ねえ?」
坂本管理官が隣に座る古賀管理官に視線を向けると、古賀管理官は、「え、ええ」と慌てて頷く。
「そうよ。人間は信用出来ません。こちらの情報は明かせません。でも、仲良くはしたいです。なんて、そんな都合のいい話、人間社会では通用しないのよ。ましてや、今回のこの交渉は、そちらからの希望なのよ。それなのに、あたしたちがわざわざ、こんな僻地にまで足を運んでいる時点で、人間としてはあなたたちに、特別な敬意を見せているの。対等な存在として交渉する以上は勿論、そちらにも譲歩して貰わないといけないことも、あると思うけど」
ドクダミは「それは失敬」と掌を向ける。
「確かに、少し一方的に、こちらの要望を伝え過ぎたね。……では、人間側の意見、要望を伺おうじゃないか」
「人間側としては、今後、互いに命を奪い合うことなく、この世界で河童と共存し、この星の中で、よきパートナーとしての関係性を築き上げていきたいと思っています」
久千管理官の言葉に、ドクダミは「共存ね」と溜息を吐く。
「確かに、河童としても魅力的な提案だね。ただ、それを達成するには、どうしても外せない大きな問題がある」
「問題、ですか?」
「そう、食糧の問題よ。……河童が人間を襲うのには、感情と本能、二つの理由がある。前者に関してはあたしの命令で制止させられるけど、後者に関しては、程度によってはあたしの命令が効かない場合がある」
「その本能が、食欲ですか」
「そう。そして、河童は雑食だから、普段は山にある植物や動物、魚などを食べて生きているけど、今、その食糧が減ってきている。それに関しては、原因に心当たりがあるんじゃないかい?」
久千管理官は、「はい」と苦い顔で頷く。
「人間が自然を奪っているから、ですよね」
「そうだ。そして河童は生存するために、相手が食べられるものなら、食べようとする。それは生物としての本能だから、あたしでも完全には制御出来ない。だから、河童が人間を襲わないようにするためには、河童の食糧を確保する必要がある」
すると古賀管理官が、「だから」と不快感を露わにする。
「それも、そちらの要望じゃない。それくらいは、河童で何とかして欲しいけどね」
ドクダミは睨み返すように、古賀管理官に視線を向ける。
「自然を奪ったのは、人間じゃないか。それに、これは単なる要望ではなく、和平条約を結ぶ際に、こちら側が譲歩出来ない絶対条件だ。もし、人間がその環境を整えられないのなら、この交渉は決裂だよ」
その強気な言葉に、久千管理官は「待ってくださいっ」と僅かに腰を浮かす。
「……わかりました。その方向で考えたいと思います」
「ちょ、ちょっと、キミ。何を勝手なことを言っているのだね」
「勝手ではありません。和平のためには、必ず考えなければいけない問題ですし、それにドクダミさんのおっしゃる通り、その原因は我々人間にあります。そして私は、この問題を、交渉の最重要事項だと捉えています」
抗議する坂本管理官に、久千管理官は落ち着いた表情でそう返した。久千管理官の精悍で凛とした態度に、坂本管理官は一瞬、鼻白んだものの、すぐさま「いや」と否定の言葉を吐き出す。
「しかし、だからといって、人間が河童の食糧を用意するなんて……」
「何も、人間が河童の食糧を用意するなどとは言っていませんよ」
久千管理官はドクダミたちへと視線を移す。
「あなた方は、我々と変わらない知性を持っています。つまり、あなたたちにも、食糧を確保する方法があるはずです。それを、この会談の中で考えていければいいのではないでしょうか。そして、その方法に人間の協力が必要ならば、私たちは迷うことなく手を差し伸べます」
ドクダミは「ほお」と目を僅かに開く。
「そんな方法があるのなら、教えて貰いたいね。幸い、労働力ならいくらでもある」
久千管理官は「そうですね」と顎に手を当てる。
「例えば、一例ではありますが…………」




