一話『覚悟』
「しかし、まさか瀬織がハンターになるなんて。驚いたよ」
「僕だってびっくりだよ。十年前の僕が聞いても、多分、信じないんじゃないかな。河童なんて、全く興味なかったし」
瑞己はハイボールの入ったグラスを傾け、氷の音を鳴らしながら、「だって」と遠い視線を宙に浮かべる。
「あの日、俺と遊ばなかったら、ハンターになってなかったわけだろ」
「まあ、そうだね。河童に襲われなかっただろうし」
「しかも、俺がゲーム下手くそで、帰る時間が遅くなったから、河童と遭遇したんだろ。ってことは、今のお前がいるのは、俺のおかげってことじゃないか」
「……うーん。それはどうなのかな」
僕はつくねの串に手を伸ばし、苦笑した。瑞己は「そうだって」と言いながら、呵呵大笑している。しかし、陽気な喧噪に包まれた店内では、瑞己の笑い声なんて、すぐに溶けてなくなってしまう。
小川瑞己は、僕の幼稚園の頃からの幼馴染で、二十二歳になった今でも、こうして時間を見つけては会うほどの親友だ。そして、家族以外で唯一、僕が気を遣わずに言いたいことを言える相手でもある。
会話が途切れると、どこか湿った沈黙が降りた。
瑞己は「そっか」と何に対してなのかはわからないが、小さく頷く。
「……でも、向こうに行ったら、会えなくなるんだよな。えっと、どこだっけ」
「近畿地方。火伯地区だよ」
「ああ、そうだ。かなり西だな。で、火伯に行ったら、もうずっとそこに住むのか?」
「そうなるだろうね。異動でもない限りは」
「まとまった休みは取れるのか?」
「いや、それは理由がないと無理かな。連続休暇は二日が限度で、一週間前から申請しないといけないし、火伯から離れてはいけない決まりになっているから。それに、休んでいても、緊急の呼び出しがあれば、どんな理由でも戻らないといけない」
瑞己は「うわ」と憐憫の眼差しを僕に向ける。
「……なんだそれ。河童に人生捧げてんじゃん」
「まあ、そう言っても過言ではないかもね。実際、研修施設入りした時、教官から開口一番に、『まともな人生を送りたい奴は、今すぐ帰れ』って言われたからね」
「それだけの覚悟がないと出来ないってことなんだな」
「本当に命を懸けるからね」
命という単語が出た瞬間、瑞己の目尻が僅かに動いたことに僕は気付いたが、敢えて見なかったふりをする。
瑞己は「そっか」と残っていたハイボールを一気に呷る。
「じゃあ、お前に会いたくなったら、俺から会いに行けばいいってことだな。あれだろ? ちょっと飯を食べに行くくらいは出来るんだろ?」
「勿論。一週間に一度、非番の日があるからね。まあ、その時でも呼ばれたら行かないといけないんだけど、そうそう緊急呼び出しなんて起きないから」
瑞己は「なるほど」と頷くと、店員を呼び、二杯目のハイボールを頼んだ。僕はお酒を飲まないので、ウーロン茶を注文する。
「でも、瑞己だって忙しくなって、遊びに来る時間なんてないんじゃない? 四月から社会人なわけじゃん」
「そうだけど、さすがに休みくらいはあるだろ」
「いやー、わかんないよ。だって就職先、マスコミ関係でしょ。マスコミって、激務だって聞くけど」
瑞己が就職したのは、有名な大手広告代理店だ。一般的にもその名は知られていて、メディア業界に大きな影響力を持っていると言われている。当然、かなり優秀でないと就職出来ない企業の一つであるが、瑞己はこう見えて昔から成績はすこぶるよかったので、驚くことでもない。
瑞己は「あー」と苦い顔で、手を大きく左右に振る。
「もうこの話はやめよう。社会に出ることを思うと、憂鬱になる。……それに、今日は一応、お前が河童ハンターに選ばれたことを祝う会なんだから、そっちの話をしようぜ」
瑞己は空咳を挟むと、「ところで」と前のめりになる。
「そもそもさ、俺、よくわかっていないんだけど、ハンターになるってどういうことなんだ? 『河童ハンター』っていう部署があんのか?」
「いや、河童ハンターは俗称だよ。正式には、『環境省自然環境局獣害対策課特定動物捕獲管理班』の所属になるってこと」
瑞己は「うわ」と顔をしかめる。
「肩書が長えよ。何だって? 特定動物……」
「特定動物捕獲管理班。特定動物ってのは、河童は勿論、熊とかワニとかマムシとか、人に危害を加えるおそれがある動物のことね」
「え? じゃあハンターって、河童以外も対象にしてるのか?」
「まあ、一応はね。だけど、ほとんど河童以外の特定動物を相手にする機会はないみたい。他の害獣に関しては、『認定鳥獣捕獲等事業者制度』っていう、基準をクリアした法人の狩猟を都道府県が認めるっていう制度があるんだけど、それで認可を受けた事業者に任せきりになっているってのが現状かな」
「その人たちは、時には河童も狩るのか?」
「いや、彼らでも河童の狩りだけは禁止されているから、河童は特定動物捕獲管理班にしか狩れない。だから巷で、『河童ハンター』って呼ばれているんだよ」
とはいっても、毎年、河童を狩ろうとする事業者や、認定されていないにも関わらず、違法に河童狩りをしようとする者たちが必ずと言っていいほど現れる。しかし、その多くは河童に返り討ちに遭い、命を落としている。
河童は、熊やイノシシのように、簡単に狩れる相手ではない。河童を狩るための特別な訓練と、それ相応の装備がない状態で狩りに臨んでも、それは自殺行為に等しいと言えるだろう。
店員が注文の品を運んできて、一旦、会話が途切れる。
瑞己は目を閉じてグラスに口をつけると、「でも」と細い眼差しを僕に向ける。
「流は凄いよな。だって、ハンターって、なかなかなれるもんじゃないんだろ? 定員が決まっていて、学校の中で一番優秀な奴だけがなれるって聞いたけど」
「正確には、学校じゃなくて、『特定動物対策研究施設』だけどね。給料も出るし、河童が出没した際には、住民の避難誘導や交通規制みたいな後方支援活動をするから。まあでも確かに、ハンター養成の側面もあるから、間違ってはいないけど」
環境省自然環境局獣害対策課に入ると、まずは全員、例外なく特定動物対策研究施設に入ることになる。九割の人間は、入ってから退任するまでその特定動物対策研究施設の職員として過ごすことになるが、その中から選ばれた百人だけが特定動物捕獲管理班へと移動し、俗に言う『河童ハンター』となる。
「でも、その施設にはたくさんの職員がいるわけだろ。その中から、何を基準にして河童ハンターに選ばれるんだ?」
「選抜基準が公表されているわけじゃないから、正確にはわからないけど、河童に関する知識や戦闘能力、銃を扱う技術なんかを見られているんだと思うよ」
「流はそれで、一番だったわけか」
「……一番だったどうかはわからないけどね」
僕が苦笑すると、瑞己は「はいはい」とつま先で僕の靴を蹴ってくる。
「でも、どうしてこのタイミングなんだ? 決まった試験があったりするわけじゃなくて、突然、ハンターに選ばれるんだろ?」
「それは簡単だよ。特定動物捕獲管理班は、定員が百人って決まっているんだ。新しく人が補充されるということは、誰かが一人、抜けたってこと」
「ああ、定年退職か」
「それもあるけど、半分近くは殉職だね」
唐揚げに箸を伸ばそうとしていた瑞己の手が止まった。そして、緩んでいた瑞己の顔に翳りが差す。
「……殉職って、死ぬってことだよな」
「そうだよ。河童ハンターは毎年、数人が職務中に命を落としている。河童ハンターになった人間のうち三分の一は、十年以内に死んじゃうんだって」
瑞己は伸ばしていた箸を引っ込めると、「そっか」とテーブルに視線を落とした。
「じゃあ、祝いの会なんて言ってるけど、河童ハンターになるのは、めでたいことじゃないのかもな」
空気が重くなり、僕は「いや」と努めて明るい声で否定する。
「そんなことはないよ。だって、河童ハンターになる人はみんな、施設入りした際にそれを希望した人たちだから。希望しなかったら、どれだけ優秀でも選抜されることはないし、希望した人たちはみんな、その覚悟の上で河童ハンターを目指している」
「……じゃあ、お前も?」
僕はじっと瑞己の目を見返し、「うん」と頷く。
「勿論。覚悟を持った上で、河童ハンターを目指していたよ」
瑞己は数秒間、黙って僕を見つめていたが、やがて長い息を吐いた。
「……そうだよな。そうじゃなかったら、目指さないよな。ましてや、一度河童に襲われて死にかけているんだから」
瑞己は切なげな笑みを浮かべると、「でも」と真っ直ぐ僕を見据える。
「……絶対に死ぬなよ」
僕は「ああ」とその言葉を噛みしめるように、深く頷いた。




