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二十七話『山』

 車両二台に分かれ、山へと入る地点まで向かった。僕は八幡さん、古賀管理官、坂本管理官と同乗したものの、一切会話はなく、気まずい時間を過ごしているうちに、目的地へと到着した。


 車から降り、準備を整えていると、近くに班長がやってきて、「瀬織」と僕の名前を呼んだ。靴紐を確認していた僕が見上げると、班長はそっと僕の肩に手を置いた。


「色々と、大変だったな。身体は大丈夫か?」


 僕は「は、はい」と慌てて立ち上がる。


「問題ありません」


 そう答えると、班長は安心したように、「そうか」と頷いた。僕は班長にたくさん訊きたいことがあったものの、久千管理官が「尾角くん」と班長を呼んだため、班長は久千管理官の元へと向かってしまった。


 僕は病院から久千管理官と共に支部へと来て、そのまますぐにこの任務に就いているので、班長たちと話す時間がなかった。色々と現状について知りたいものの、とても訊ける雰囲気ではなく、僕はもどかしさを抱えながら、ここまでやってきた。


 靴紐が解けないか確認した僕は、駄目だと自分に言い聞かせる。任務中は、護衛のことだけを考え、集中しなければいけない。気になることは、いくらでもあとで訊くことが出来る。


「では、出発します。管理官の皆様は、瀬織、八幡のあとに続いててください。もし、何かありましたら、遠慮せずに申してください」


 僕と八幡さんは視線を見合わせ、頷くと、山の中へと入っていく。それにしても、会議室とは違ってやけに静かだなと思い、ふと振り返ってみると、久千管理官を含め、管理官たちの顔には、不安が滲んでいた。もしかしたらここにきて、自然の冷たさを、肌で感じ取ったのかもしれない。


 僕は以前から、幹部たちは一度、現場の空気を味わうべきだと思っていたので、少しだけ、爽快感を覚えた。


 そこからしばらくは全員大人しく、順調に歩いていたが、十分ほど進んだところで、古賀管理官が「ちょっと」と立ち止まった。


「は、早いわよ。もうちょっと、ゆっくり進めないの?」


 古賀管理官は額に大量の汗を滲ませ、肩を上下に揺らしている。すると坂本管理官が、口元に下衆な笑みを浮かべる。


「……推薦とはいえ、古賀管理官は外してもよかったんじゃないですかねぇ。ほら、どうしてとは言いませんが、こうなることは、予想出来ていたのですから」

「それはどういう意味よ?」


 古賀管理官が坂本管理官を睨み、坂本管理官は「おお怖い」と、わざとらしく慄くような仕草を見せる。


 久千管理官によると、今回の会談に同行する管理官は、三人が推薦で選ばれたらしい。というのも、最初は立候補制だったが、その段階で手を挙げたのが、久千管理官と柳川管理官の二名のみだったため、あとの三人を、幹部間での無記名推薦投票によって、決定したとのことだ。


 ただ、申し訳ないが、この古賀管理官の様子を見ている限り、僕も坂本管理官の皮肉の通り、古賀管理官は外してもよかったのではないかと、思ってしまう。


 班長が「では」と長い息を吐いたその時、八幡さんの肩がぴくりと何かに反応した。そして、「静かにっ」と人差し指を立てる。


「な、何だね突然っ」


 慌てる左管理官を、班長は「静かに」と睥睨し、左管理官は慌てて口を閉じる。そこから数秒間、八幡さんは黙ったままじっと虚空を見つめ、音を捕まえにいく。


「……止まったけど、かなり近い。何かが潜んどる」

「河童か?」 

「いや、まだわかりません。ただ、小さくはないです。一瞬やったから完全に捕捉は出来てませんけど、おそらく、あの茂みの辺り」


 八幡さんが指差したのは、正面、三十メートルほど先、背の高い雑草が生い茂る場所だった。ただ、今は鳴りを潜めているのか、緑は風に揺られているだけで、動きはない。


 緊張感が高まる。


「ちょ、ちょっと。河童は襲ってこないんじゃなかったの?」


 焦る古賀管理官に、班長は「だから」と苛立ちのこもった声を向ける。


「静かにしてください。音が聞こえなくなる」


 班長がそう言ったと同時に、落ち葉が擦れるような音が茂みの中から聞こえた。そしてそこから、一匹のイノシシが現れた。


 河童ではなかったか。ただ、このイノシシはかなり体躯が大きい。体高は八十センチくらいだろうか。あの大きさなら、体重は百キロを裕に超えるだろう。全身の毛が逆立っていて、さらにカチカチと牙を鳴らす音が聞こえてくる。威嚇行動だ。


 すると突然、古賀管理官が叫び声を上げながら、後方に向かって走り始めた。それに続いて、坂本管理官、そして左管理官も逃げ出す。


 まずい。


 案の定、突然大きな声を出し、走り出したことに刺激され、イノシシはこちらに向かって猛進してきた。


「瀬織、八幡っ」


 班長は僕たちを一瞥し、肩から下げていた散弾銃を手に持った。僕はイノシシの注意をこちらに向けるため、管理官たちが走った方向とは違う方向へと走り出す。八幡さんは、残った久千管理官、柳川管理官二人の前へと立った。


 イノシシは無事、僕に狙いを変えてくれたようで、こちらに向かってくる。イノシシは真っ直ぐしか進めない、なんて噂が世間には流布しているが、あれは間違いだ。実際、イノシシは見た目に反して身軽で、フットワークは軽い。特に、跳躍力は凄まじく、一メートルほどの高さの柵なら、簡単に飛び越えてしまうほどだ。


 僕はイノシシを見ながら、しかし班長から離れ過ぎないように走る。


 やがて、イノシシが班長の近くを通り過ぎようとしたその瞬間、激しい銃声が山の中へと響き渡り、班長の持つ散弾銃の銃口から硝煙が上がった。そして、イノシシはそのまま滑るように、横向けへと倒れ込む。


 鳥さえ鳴かず、葉も踊らない静寂。


 班長は動かなくなったイノシシを見下ろしたあと、顔だけを逃げた三人の管理官へと向ける。立ち止まり、呆然と佇む三人は、ばつが悪そうに班長から視線を逸らす。


「……イノシシや熊などと遭遇した際は、決して大きな音を出さず、こちらの指示に従ってくださいと注意していたはずですが」


 すると、坂本管理官が元々の笑い顔に、さらに引きつった笑みを重ねる。


「いや、それは勿論、頭ではわかっているけどね、人間、咄嗟のことになると、狼狽してしまって、冷静な行動を取れなくなるものだよ」

「そ、そうよ。仕方ないわよ」


 班長は天を仰ぐと、何かを鎮めるかのように、口を窄めて深く息を吐いた。そして、冷たい眼差しを三人へと向け直す。


「イノシシでよかったですね。もしこれが河童なら、今頃、あなた方三人は、この世にいなかったかもしれません」


 班長は抑揚のない声でそう言うと、憂いを帯びた顔をイノシシへと向けた。


 三人の管理官は、イノシシに視線を向けることすら出来ず、黙り込んでいた。



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