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二十五話『見舞い』

 身体は完全に元気なのにも関わらず、一向に退院の話が出てこない。担当医に訊ねても、「もうすぐです」と答えるだけで、具体的な回答をはぐらかされてしまう。


 ただ、僕には医学的な知識がなく、さらに強制的に退院するような立場でもないので、仕方なく薄暗い病室で、自重力トレーニングなどをして時間を潰していた。


 軽く腹筋をしながら、僕は昨日の中村さんが言っていた、横領で本部に送られた職員の話を思い出す。


 本部とは、正確には関東第一支部のことである。関東第一支部は支部の一つではあるものの、首都にあることや、その規模の大きさ、そして他の支部にはない施設などが充実していることもあり、俗称として本部と呼ばれている。


 本部は、全二十五の支部の中では最も河童が出ない地区のため、施設生の管理や河童の研究、各支部の情報の統率など、他の支部がしない業務も担っている。


 そしてその中の一つに、不正行為などを働いた職員から聞き込みを行うというものがあり、疑いのある者は一旦、本部の留置施設へと送られる。当然、環境省には逮捕権などはないので、そこで違法行為が認められると、警察へと引き渡されることになる。


 僕は施設生だった頃、どうして不正行為を働いた者を直接警察へと引き渡さず、まず本部で聞き込みを行うのかが疑問で、先輩に訊ねたことがあった。


 すると、『外部に漏れると困る情報が絡んでいた際に内々で処分をするからだ』という黒い話を教えて貰い、僕はその時生まれて初めて、権力というものの恐ろしさを知った。


 ただ実際は、職員が本部の留置施設に送られたという話は、ほとんど聞かなかった。稀に、窃盗や喧嘩などで利用されることはあったようだが、それらは全て、すぐに警察へと引き渡されていた。


 しかし気になるのは、火伯支部からその噂が入ってこないという話だ。火伯支部とこの病院は距離も近く、互いの職員が出入りすることも多いので、もしそんな話があれば一気に広まっていてもおかしくない。


 やはり箝口令が敷かれているのか、とも思ったが、そうだとしたら、本部からも情報は流れてこないはずだ。


 一体、外では何が起きているのだろうか。


 このタイミングで横領が発覚したということは、久千管理官の聞き取りから、それが露見したのだろうか。


 全くわからない。


 僕はその疑問を掻き消すように、腹筋を続けた。


 するとその時、コンコン、とドアがノックされた。僕は腹筋を止め、「はい」と返事をする。ゆっくりとドアが開いたかと思うと、そこに立っていたのは、久千管理官だった。


 僕が「お疲れ様ですっ」と慌ててベッドから下りようとすると、久千管理官は僕に掌を向け、「そのままでいいよ」と丸椅子へと腰を下ろした。僕の背筋は、自然と真っ直ぐに伸びる。


「容態はどうだい?」

「はい。おかげさまで、大丈夫です」

「そうか。キミが無事だったと聞いた時は、安堵の息が漏れたよ。キミほどの優秀な人を失うのは、組織として、とても大きな損失だからね」


 久千管理官は柔和な表情で、僕の肩に手を触れた。僕は照れ臭さから、「恐縮です」と身体を小さくする。


 久千管理官は僕の肩からそっと手を離すと、真剣な面持ちになった。


「キミには今から、退院して貰う。そして、病み上がりに唐突で申し訳ないが、午後から早速、ある特別な任務に就いて貰うことになる」

「特別な任務? 探索活動ではないのですか?」

「違う。任務内容は護衛となる」

「……護衛、ですか」


 久千管理官は「そうだ」と小さく頷いた。


「キミから連絡を受けてから、私は火伯支部へと足を運び、加藤くんと話をした。すると彼女は、素直に全てを話してくれたよ。……彼女と河童の関係と、河童の秘密についてね」


 久千管理官は立ち上がると、窓の外を眺める。


「確かに、キミの言っていた通り、人間の言葉が話す河童が存在するようだ。彼らは全ての河童を統率する存在で、そして唯一、繁殖能力を持つ特別個体でもある」

「繁殖能力っ? では、その河童たちを殺せば、河童を殲滅することが出来るのでは?」


 興奮して前のめりになる僕に、久千管理官は「まあ」と苦い表情を浮かべる。


「理屈としてはそうかもしれないが、繁殖能力を持つ河童がどれだけいるか、加藤くんにもわからないそうだ。その全容を把握しない限り、殲滅は難しいだろう。……そこで加藤くんを通じ、河童サイドから一つの提案を受けた」

「和平交渉ですか」

「ああ、そうだ。そして既に、我々は河童との和平交渉の席を設けることを、決定した」

「え? 交渉するんですか?」

「幹部会議を行い、過半数以上の賛成を集めたからね。その理由としては、第一に、彼らが知性ある生き物であり、そして和平をこちらに打診してきている以上、それを無碍に拒否することは理性ある生き物としての倫理に反するのではないかということ。二つに、交渉により、彼らの情報が手に入るかもしれないこと。そして三つ、現時点で交渉することに、人間側のデメリットが存在しないこと。そして最後に、交渉次第では、河童というこの国最大の災厄から、解放される可能性が大いにあることだ」


 確かに、和平交渉をして、河童と人間が上手く共存出来るようになれば、それに越したことはない。幹部たちの決定も、納得出来る。


「しかし、僕が加藤さんと河童の会話を聞いていた限りでは、河童サイドは和平に難色を示している様子でしたけど」

「そうみたいだね。ただ彼らの存在がばれた以上、彼らにとっても、交渉する方が自分たちの安全が確保出来ると考えたのではないだろうか。まあ、その辺り、彼らがどう考えているのかはわからないが」


 なるほど。僕に見つかり、そして僕を逃した時点で、彼らはその選択肢を取らざるを得なくなったというわけか。


 僕は「では」と久千管理官の横顔を見上げる。


「護衛というのは、その和平交渉での護衛ということですか?」


 久千管理官は横目で僕を一瞥し、頷く。


「そういうことになるね。正確には、その和平交渉の会場までの道中も含まれるが」

「道中? 和平交渉は、どこで行われるのですか?」

「彼らの指定した場所だよ。今回の和平交渉において、河童サイドが提示してきた条件は三つ。一つは、彼らが設置した場所までこちらが赴くこと。二つ、交渉の席につく人間の数は五名、護衛の数は三名までとすること。三つ、道中の武器の携帯は好きにしてもいいが、交渉の場では武器を外すこと。これら条件が守れないのなら、交渉は出来ないそうだ」


 僕はつい、苦笑が漏れる。


「交渉のための交渉ですか。それにしても、随分と強気ですね。一方的に条件を押しつけてくるなんて」

「いや、逆だよ。彼らは、人間を恐れているんだ。だから、それだけの条件下でないと、安心して交渉につけないと考えたんだろう。ただそれはつまり、思い上がらず、客観的に自分たちと人間の力関係を把握出来ているということ。……それだけでも、彼らの知能がかなり高いことが窺える」


 確かに、河童の立場になって考えてみると、それくらい慎重になるのは仕方ないのかもしれない。


「しかし、それが罠だという可能性は? 交渉の場に赴いて、そこで襲われる危険性もあると思うのですが」

「いや、加藤くんの話では、それは極めて低いそうだ。もし、交渉の場に向かった者たちが河童に襲われたということになったら、人間の河童に対する感情はどうなる?」

「当然、悪化します」

「そうだ。人間はより厳しく、河童に対して殲滅活動を行うことになるだろう。そして、彼らはそのことを理解しているようだ。ましてや、彼らがこれまで隠してきた自分たちの存在が、人間にばれたんだ。現時点で、そんなリスクを背負うような真似はしないと思う」


 僕は納得した。それに、交渉の場に来た人間を殺したところで、河童にとってメリットがあるとも思えない。


 少しの沈黙を挟み、僕はもう一つ、気になっていたことを訊ねる。


「加藤さんは、どうして河童の味方をしているのですか?」


 両親を目の前で殺害された加藤さんが、河童の味方をしている理由。一体、どんな理由がそこにあるのか、僕は単純に興味があった。


 久千管理官は小さく溜息を吐き、答える。


「……彼女は河童を両親に殺されたあと、施設で育てられた。ただ、その施設で彼女は酷い虐めに遭ったらしい」

「虐め、ですか」

「ああ。さらに、大人たちは誰も彼女の味方をしてくれず、彼女は孤独に毎日を過ごしていたそうだ。そんなある日、彼女がふと、近くの山に入って遊んでいると、彼女はそこで憎い河童と出くわした。彼女はそこで死を悟ったそうだが、その河童は彼女を襲わず、話しかけてきたそうだ」

「その河童は、特別個体だったということですか」


 久千管理官は「ああ」と頷く。


「そこで、彼女は河童と話をした。その中で、彼女が両親を河童に殺されたことを伝えると、その河童は彼女に謝罪をし、そして自分たちのことをもっと知って欲しいと、特別個体たちが隠れ住んでいる場所へと彼女を案内したそうだ。それから彼女は、河童という生き物を知っていくうちに、河童に対して親和な感情を抱くようになったらしい」

「しかし、どうしてその河童は加藤さんを襲わなかったのでしょうか? これまでにずっと姿を隠してきたのに」

「どうやら河童の側でも、人間に歩み寄るべきだ、という声が大きくなっていたみたいだね。人間は時代と共に、この星の支配をより強めている。このままでは、やがて河童が殲滅される日も遠くないから、人間との共存を図るべきであると」

「その橋となる存在に、加藤さんが選ばれたというわけですか」


 久千管理官はその問いには反応せず、窓を少しだけ開けた。今朝まで降っていた雨は止んでいるものの、空にはまだ、機嫌の悪い雲が跋扈している。湿り気を帯びた風が、おそるおそる病室の中へと流れ込んでくると、重い空気が少しだけ薄まったような気がした。


「それで、僕以外の護衛の二人は?」

「尾角くんと八幡くんだ。地形などを考えると、やはりここは火伯支部のハンターをつけるべきだという判断で、キミたちが選ばれた」

「では、加藤さんは?」


 久千管理官は僅かな間を空け、首を横に振った。


「彼女は同行させない。河童サイドについている以上、護衛に就かせるわけにもいかないからね」

「しかし、河童を一番よく知っているのは加藤さんですし、加藤さんを同行させた方が、交渉も上手くいくのでは?」


 久千管理官は窓を閉めると、僕に身体を向ける。


「彼女の中の『上手い交渉』が、果たして人間にとってなのか、河童にとってなのかがわからない以上、彼女は連れていくべきではないとのことだよ。……私は、彼女を連れていってあげたいんだけどね」


 その久千管理官の力のない笑みには、深い疲弊が滲んでいた。きっと僕たち現場にいる者にはわからない苦労が、幹部である久千管理官にもあるのだろう。僕はそれ以上、何も言わなかった。


 僕は、加藤さんが今、どうしているのかなども訊ねたかったが、その疑問も飲み込むことにした。どうせ、あとになったらわかることだ。


 久千管理官は、「では」と僕に手を差し出す。


「この和平交渉は、これからの人間と河童の関係性を左右する、とても大事なものとなるだろう。その交渉には、私を含めた管理官たちが行くことになっている。共に、気合いを入れていこう」


 僕は、その細くしなやかな手を、そっと握りしめた。



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