表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/61

二十四話『入院』


 無骨な天井の柄をじっと見つめていると、気分が滅入ってくる。しかし、そんなことを気に出来ているということは、身体はもう、充分に回復しているのだろう。


 支部で応急処置を受けた僕は、そのまま環境省が設置、運営する自然環境火伯病院へと運ばれ、そこで入院することとなった。


 自然環境火伯病院は、全国、各支部の近くに設置されている自然環境地区病院の一つで、設立からしばらくは、環境省職員とその家族に利用者を限定していたものの、医官の技術向上や運営の効率化、そして近年の医師不足などの観点から、近年、一般にも開放されるようになった。


 ただ、僕が入院している棟に一般患者はおらず、そして、たとえ家族であっても、許可なしでは入ることは出来ないようになっている。


 そのせいなのか、そもそも僕が入院していることが誰にも伝えられていないのか、入院してから三日が経ったものの、部屋には誰も訪れてこない。さらに、僕はこの部屋からの外出を禁止されているため、僕は今、外がどんな状況になっているのかも、全くわかっていない。


 加藤さんは、どうなったのか。


 班長たちは、何をしているのか。


 友人や家族が来ないのはわかるが、班長が来ないのはなぜだろうか。班長の性格からして、すぐにでも飛んできそうなのに。


 情報が入ってこないので、僕はつい、よくない想像をしてしまい、何が出来るわけでもないのに気持ちだけが焦り、そして疲れる。そんなことを繰り返しながら、ただただ、過ぎゆく時間に身を委ねていた。


 すると、病室のドアが開き、僕を担当してくれている若い女性看護師が顔を覗かせた。名前は中村さん。僕よりも三歳年上で、どこか頼りない感じがするのだが、とても注射が上手いので、中村さんが入ってくると、僕は安心する。


「あ、あの、入りますよ」


 僕は上半身をもたげ、「はい」と頷く。中村さんは「失礼します」と慇懃に頭を下げて病室の中へと入ってくる。前髪を留めている花柄のヘアピンが、今にも落ちそうなのが、少し気になる。


「えっと、お体は大丈夫ですか?」

「もう、大丈夫です。痛みもありませんし、痺れもないです」

「それはよかったです。今朝見た限りでは腫れも引いていますし、おそらく、もうすぐ退院出来るのではないかと。あ、わたしの勝手な推測なので、違ったらごめんなさい」


 慌てて謝る中村さんに、僕は「いえ」と苦笑する。しかし、看護師の人にそう言って貰えるだけでも、不安はいくらか和らいだ。


 中村さんは僕の腕から点滴の針を抜くと、「あ、あの」とベッドに浅く腰かけ、好奇心の宿った目で、僕の顔を覗き込む。


「瀬織さんって、河童ハンターなんですよね?」


 いつもの中村さんと少し違う雰囲気に戸惑いながら、僕は「は、はい」と頷く。


「そうですけど……」

「ということは、普段から河童と戦ってらっしゃるんですよね?」

「ええ。それが仕事ですから」


 すると、中村さんは真剣な表情で身体を僅かに僕の方へと近付ける。僕はその威圧感に気圧され、身体を引く。


「河童を退治する時は、どうするんですか?」

「どうするとは、方法のことですか? それなら、その時の状況にもよりますが、そのほとんどはライフル銃で遠くから射撃します」

「それって、河童は苦しんでいますか?」


 意図の読めない質問に、僕は「苦しむ?」と訊き返す。中村さんは「そうです」と僕を見つめながらも、その瞳は、僕ではない、別の何かを見ているようだった。


「河童は、苦しみながら死んでいるのでしょうか?」


 その質問はどちらの答えを期待しているものなのだろうか、と考えたものの、わからないので、正直に答えることにした。


「うちの狙撃手は優秀で、ほとんどの場合、一発で皿を撃ち抜くため、おそらく苦しまずに死んでいるのではないかと思います」


 すると中村さんは、「そうですか」と明らかに消沈した様子で、視線を下げた。


「……不満ですか?」


 そう訊ねると、中村さんは「はい」と言下に頷いた。


「では、河童には苦しんで死んで欲しいと?」

「当然です。出来るだけ、もがき苦しんで死んでいって欲しいです」


 その中村さんの表情には、憤怒が強く滲んでいた。


 ということは、おそらく。


「中村さんは、過去に、大事な人を河童に?」

「ええ。小学生の頃、妹を。……手と足、全ての指だけを残して、妹は河童に食べられてしまいました」


 その声は恐ろしいほど無機質で、冷たいものだった。僕は何も言葉をかけることが出来ず、重い沈黙を鼻からゆっくりと吸い込む。


「では、中村さんがここで看護師をしているのは、それがきっかけですか?」

「はい。本当は、わたし自身がハンターになって、河童を懲らしめてやりたかったんです。しかし、わたしは全く運動が出来ないし、とてもハンターにはなれそうになかったので、それならせめて、ハンターを後方から支援したいなと思い、看護の道を選びました」


 自然環境病院にいる職員は、医者、看護師、研究員のほとんどが、施設研究生でもある。だから、中村さんのような意思を持って獣害対策課に入ってきた人も、少なくない。


 そしてその『意思』の多くは、おそらく中村さんと同じく、復讐だろう。勿論、そうではなく、正義感や、八幡さんのように金や福利厚生を目的として目指した人もいるとは思う。しかし、僕が知っている限りでは、河童に大事な人を奪われた過去を持っている人が、かなり多い。


 復讐。


 こんなことを思ってはいけないのかもしれないが、復讐という感情の下で獣害対策課の職務に就いている人は楽だろうな、なんて考えてしまうことが、時折ある。


 僕は河童に対して、個人的な憎しみはない。


 だから、河童ハンターになった当初は、一方的に河童を狩ることに対して、果たしてそれが倫理的に正しい行為であるのかと、深く悩んだ。


 そんな僕に八幡さんは、いつか慣れる日が来るはずだ、と言った。確かに、日が経つにつれ、次第に違和感は薄くなっていったものの、それは違和感自体がなくなったのではなく、その大きさのまま、分離しただけだった。すなわち、僕の中には依然として、あの時のままの違和感が、澱となって浮かんでいる。


 未だに僕は、それを消化出来ず、しかし中途半端にならないよう、その部分から目を逸らして河童を殺し続けている。


 僕は「しかし」と中村さんの話に、意識を戻す。


「河童を必要以上に苦しめて殺すことは、不可能です。なぜなら、彼らは死を悟った瞬間に、隠死してしまいますから」


 中村さんは「そうなんですよね」と下唇を噛む。


「人間のことは苦しめるくせに、自分たちは苦しまないよう、保険をかけている。……本当、卑怯で野卑な生き物」


 中村さんがぐっと掴んだシーツは、中村さんの手の甲に隆々と浮かぶ血管と繋がっているかのように、皺となる。


 僕がそれをじっと見つめていると、中村さんは「す、すみません」と我に返ったかのように、慌てて謝った。


「わ、わたし、何を言っているんでしょうかね。こんなこと、瀬織さんに言っても仕方がないのに」


 立ち上がり、耳を赤く染める中村さん。僕は引いていた身体を元の位置へと戻すと、出来るだけ柔和な笑みを浮かべる。


「いえ、貴重なお話を聞けて、嬉しいですよ。それより……」


 僕はさりげなく、話題を変える。


「今、火伯支部の方がどうなっているかについて、何かご存知ですか?」

「どうなっているとは?」

「えっと、何か大きな事件というか、情報などはありませんか?」


 僕は慎重に言葉を選んだ。現在、どんな状況なのかがわからない以上、僕は久千管理官からの『誰にも言ってはいけない』という指示を守る必要がある。


 中村さんは怪訝な表情を浮かべ、首を傾げる。


「いえ、特に何も聞いていませんが。……あ、ただ、幹部の方が何度か、この病院に瀬織さんの様子を窺いに来ましたよ」

「幹部の方が、ですか?」

「はい。そして、『絶対に誰も通さないように』と指示を出されていきました。なので、入院初日に瀬織さんのご友人がお見舞いに来られたのですが、申し訳ありませんが、お引き取り願いました」


 瑞己が来たのか。ということは、瑞己は僕が入院していることは知ったということだから、きっと僕の部屋の鍵を支部の職員にでも預けて、無事、帰ったのだろう。


 僕は「そうですか」と胸を撫で下ろし、小さく頷く。すると中村さんは、何かを思い出したかのように、「あ」と手を叩いた。


「そういえば、これはあくまで噂なのですが、火伯支部の職員が一人、横領の疑いで本部の留置施設に送られたそうですよ」

「横領っ?」


 つい声が大きくなり、僕は「すみません」と謝る。


「……横領って?」

「いえ、詳しいことはわからないですし、確証があるわけではないので大きい声では言えないんですけど、そういう噂が流れているんですよ。ただ、不思議なのは、火伯支部からはその話が全く入ってこないんです」

「どういうことですか?」


 中村さんは一瞬、ドアを気にしてから、「それが」と小声で答える。


「その噂は、本部に勤務する人たちから流れてきているんですよ。ただ、火伯支部の人たちには箝口令が敷かれているのか、火伯支部からは一切情報が入ってこなくて」


 箝口令。もし、横領が事実だったとしたら、そんなことでわざわざ箝口令が敷かれるとは思えないが、現状がわからない以上、僕には答えようがない。僕は「そうですか」と嘆くような溜息を吐いておく。


 中村さんは「では」と一礼し、病室を出て行った。


 僕はふと、窓の外を見つめる。


 空には、鉛を敷き詰めたような黒い雲が広がっているのに、雨はまだ降っていないようだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ