十七話『つかの間の休息』
部屋に入るなり、瑞己は「うわー」と無意味に腕を広げて、リビングの中を見渡す。
「なんだこの部屋の広さは。金持ちが住むとこじゃん。ってか、一人暮らしでこんだけ広いと、孤独感が増すだろ」
「そうなんだよ。掃除も面倒臭いし、使わない部屋が二つもあるし。でも、宿舎にはこの間取りの部屋しかないんだってさ」
「さすが、国家公務員様だな。まあ、河童を退治してくれてると思うと、仕方ないなってなるけどな」
瑞己はそう言いながら、当たり前のようにソファーへと寝転んだ。「何か飲む?」と僕が訊ねると、「水」と即答したので、僕はコップに水道水へと入れて、瑞己へと渡した。
明日僕が非番のため、今日の夕方から、瑞己が火伯に遊びに来ている。今は、僕の仕事が終わってから落ち合い、二人で焼肉を食べに行き、そこから帰ってきたところだ。三ヶ月ぶりに会ったものの、一切変わった様子はなくて、僕は何だか安心した。
水を一気に飲み干した瑞己は、「美味いな」と感心して、窓の外に視線を向けた。
「いやー、それにしても、マジで田舎だな」
「でも、この辺りは、まだマシでしょ」
「まあな。でも、どこを見渡しても、その先に山の影がある。こんなの、関東第一地区じゃありえないだろ」
「確かにね。あっちは、背の高い建物が多いから」
特に、都会である関東第一地区から来たのなら、そう感じるのも無理はないだろう。
「……それで、どうよ?」
少し笑みを含んだ顔で訊ねる瑞己に、僕は「どうって?」と問い返す。
「いや、焼肉屋では俺の話ばっかりしただろ。だから今度は、お前が河童ハンターになってどうなんだよって話だよ」
僕はテーブル席に着くと、視線を斜めに上げる。
「うーん、まあ、それなりに上手くやってるよ」
「そっか。じゃあ、もう河童を退治してるのか?」
「うん。それが僕たちの仕事だからね」
瑞己は「すげえなあ」と感心するような溜息を吐くと、「ところで」と前のめりになる。
「一つ、ずっと気になってたんだけどさ、河童ハンターって、毎日全国で河童を退治してんだよな?」
「そうだよ。まあ、見つからない日も多いけど」
「でも、実のところ、河童の数って減ってんの?」
僕は一瞬、答えに詰まる。
「……いや、河童は増え続けている。だから年々、被害者の数も増えているんだ」
「やっぱそうだよな。昔に比べると河童に襲われたってニュースが多くなった気がするもん。けどさ、それってこのまま放っておくと、さらに増え続けるんじゃないのか?」
「どうだろうね。河童の生態がわかっていないから、何とも言えない部分はあるけど、確かに、ハンターが遭遇する河童の数も河童による被害者の数も、右肩上がりに増え続けているから、この状態が続けばそうなるだろうね」
瑞己は、不安気な表情を浮かべる。
「それってさ、何とか出来ないのか? ハンターの数を増やすとかさ」
「ハンターの数を増やさないといけないってのは、数年前から言われているよ。一説によると、十年後までには現在二十五ある地区をさらに四十にまで細分化して、ハンターの数を六十人増やさないと、河童に対応出来なくなるんだって」
「じゃあ、増やせばいいじゃん」
「そう簡単にはいかないよ。国が決めることだから」
「でも、河童が増えたら、国民の命が脅かされるし、増やすべきだろ。どうして国は増やさないんだ?」
眉根を寄せる瑞己。僕は人差し指を立てて説明する。
「まずは、予算の問題。今、百人いるハンターの数を百六十人に増やすと、当然、それだけの予算がかかる。そして次に、人員の問題。僕が言うと自慢みたいになっちゃうけど、ハンターになれる能力を持った人間っていうのは、そういない。でも、ハンターになりたいと希望する人はたくさんいるから、じゃあ、彼らを上から順番にハンターにしていけばいいのにって思うかもしれないけど、それはハンターの質を下げることになって、結果的に有能なハンターの数を減らすことになりかねない。そしてもう一つ、河童を退治することに反対する団体の存在。彼らは、動物愛護の主張の下、僕たち河童ハンターの存在自体を否定して反対運動を行っている。数こそ多くはないものの、ハンター増員に動こうとした人に対して過激な妨害運動をするから、なかなかみんな、表だって動けない」
「前から不思議だったんだけど、どうしてあの人たちは反対するんだ? 河童に殺された人や遺族の気持ちもそうだけど、自分もいつか、河童に殺されるかもしれないって思わないんだろうか」
「どんな理由があっても、生き物の命は奪うべきではないんだってさ。河童も、殺すんじゃなくて、他に必ず何かいい方法があるはずだって」
瑞己は首を傾げる。
「何かいい方法って……」
僕は「あるといいけどね」と苦笑すると、話を戻す。
「そして最後、ハンターを増員出来ない最も大きな原因となっているのは、国民の無関心だ」
「無関心? 河童に対してか?」
驚く瑞己に、僕は頷く。
「そうだよ。意外かもしれないけど、実は国民は河童に対して、それほどの関心を持っていない」
「いや、それは嘘だって。毎日、河童の出没情報もやってるし、被害者が出たら、大きく報道されている。実際、俺も一番気になるのは、河童の情報だ」
「それは、僕がいるからだ」
黙り込む瑞己。僕は「そりゃ」と小さく息を吐く。
「友人が河童に襲われて、しかも河童ハンターになってるんだから、瑞己は河童を意識するでしょ。でも、河童による被害者は、年間千人前後。去年、平成十一年の交通事故による被害者が約九千人だから、九分の一くらいしかいない。まだまだ多くの人にとって、河童は遠いどこかに存在する、自分とは関わりのない存在なんだ」
「なるほどな。国民の声が大きくないから、政治家も動かないってことか。……でも、このままだとマズいんじゃないのか? 河童が増えると、必然的に人間の被害者も増えるだろうし」
「そうだよ。だから、何とかしなければいけない。でも、僕たちが駆除出来る河童の数は増やせないから、難しいよ。一番いいのは、彼らの最大の秘密を暴くことだけど」
「……どうやって生まれてるか、だろ?」
僕は窓の外に視線を向け、ゆっくりと頷く。
「彼らがどういった生殖方法を以て個体を増やしているかがわかれば、それを止める方法を考えられるかもしれない」
「でも、不思議だよな。河童はあれだけたくさんいるのに、どうやって生まれてきているのかがわからないなんて。だってあれなんだろ? あいつらには、生殖機能が見当たらないんだろ?」
そう。それこそが、河童における最大の謎だった。
十数年前までは、彼らにも当然生殖機能が備わっているものの、彼らの隠死により、それらが確認出来ないだけだとされていた。しかし、研究が進んでいくにつれて、彼らの身体には生殖機能が備わっていないことが明らかになり、世界に大きな衝撃が走った。
僕は「確かに」と瑞己に視線を移す。
「彼らの身体からは、生殖機能が見つかっていない。けど、彼らがこの世界にいる以上、必ず生まれてきている方法が存在する。もしかしたら、他の生物とは異なる方法で、生殖しているのかもしれない」
すると瑞己は「じゃあさ」と身体を起こす。
「もしかして、あれなんじゃないか? 実は河童は自然に生まれた生き物じゃなくて、人間が科学で造り出した化け物、みたいな」
「よく都市伝説で言われるけど、有り得ないと思うよ。まず、あのクオリティーの生き物をあれだけの数作るとなると、相当な規模の施設と予算が必要だろうし、そもそも目的がわからない。何より、河童は百年以上前から日本にいたと言われているんだ。その時代にそんな科学技術はないでしょ」
瑞己はつまらなさそうな顔で、「まあ、確かにな」と再び身体を横にした。
「でも、だったら一体、どうやって生まれてきてんだろうな」
「一番有力なのは、『女王』が存在するという説だけど」
「女王? 女王蟻とか、女王蜂みたいにか?」
「そう。僕たちが普段見ている河童とは別に、繁殖専門の雌の個体がいる可能性は確かに考えられる。というか、それ以外が考えにくいんだけど。……ただ、それも疑問に残るけどね。特定動物捕獲管理班が発足してから五十年間、ハンターたちが探し続けて、一匹もその女王を見つけられないなんて」
「めちゃくちゃ警戒心が強いのかもな」
警戒心が強いからといって、一度もその姿を見ることすら出来ていないのは考えにくいが、しかし、現時点で確認出来ていないので何とも言えない。
すると、「あ」と瑞己は何かを思いついたような表情を浮かべる。
「それか、もしかしたら、女王を見た人は全員、必ず殺されてきたのかもよ。女王がめちゃくちゃ強くて」
僕は「あのさ」と白い視線を瑞己に向ける。
「そういうこと言うの、やめてくれないかな。山に入るのが怖くなるじゃん」
瑞己は「悪い悪い」と笑いながら謝ると、「でも」と後頭部で手を組み、じっと天井を見つめる。
「もし女王がいたとして、そいつらを全部駆除することが出来れば、この世界から河童がいなくなるんだよな。そしたらもう、誰も殺されることもなくなるし、河童に怯えることもなくなるのか」
「女王説も、何の確証もない、ただの憶測だけどね」
「まあそうだけどさ。でも、そうなればいいなと思って」
河童がいない世界。
そんな世界が、果たしてこれから先、やってくるのだろうか。
誰よりも河童と接している身からすると、どうしても、そんな未来を想像することが出来ない。むしろ、毎年その数が増え続けていることを考えてしまい、河童がより脅威となっている暗い未来ばかり、頭に描いてしまう。
いや、今はそんなことを考えるのはやめよう。
僕は席を立つと、「よしっ」と短く、太い息を吐いた。
「折角だし、久しぶりにゲームでもしようよ」
瑞己は「おっ、いいね」と身体を起こし、首を鳴らす。
この時間くらいは、河童のことを忘れて息を抜こう。僕はコントローラーを手に持ち、ソファーへと向かった。




