十六話『瀬織の能力』
河童は一旦、後ろに下がり、僕の出方を窺った。紫が多かった身体も、ほとんど緑に戻っている。この辺りは、やはり通常体とは違って冷静だ。班長の言った通り、上位体の河童はかなり知能が高いようだ。
とりあえず、血清を打つ時間を稼ぎたいので、僕は踏み込みたいのを我慢して、河童の足に集中する。動く際は、必ず足で地面を蹴る必要が出てくるので、足に注意を向けておくことで、素早く反応することが出来る。
やがて、八幡さんに血清を打ったのを確認すると、僕は躊躇いなく河童へと向かっていった。河童は一切臆さない僕に気圧されたのか、一瞬、反応が遅れた。
僕はその隙を見逃さず、思い切り正面から蹴りを入れる。さすがに河童は腕で防御したものの、しっかりと足で地面を掴んでいなかった分、身体がよろけた。
僕は間を空けずにそのまま足元に横蹴りを入れ、河童を地面へと倒した。そして、すぐさま横向きに倒れる河童の元へと向かい、足を振り上げる。河童は咄嗟に腕で皿を庇ったものの、それは予想していた。
僕は皿ではなく、河童の横腹を目がけて、全力の蹴りを入れた。ぎりぎり、柔い部分に入れたため、つま先がめり込み、河童は大量の液体を吐いた。地面に落ちた液体の中には、欠損した魚やねずみが見えた。
河童の全身は再び紫へと染まり、尻尾も出てきた。ただ、蹴りがかなり効いたらしく、河童は蹲ったまま動けない。当然、僕にとっては絶好のチャンスなので、手を休めずに追撃を加えに行く。
河童は何とか尻尾を振るものの、普段、使い慣れていないからか、その動きはかなり緩慢だった。僕はしっかりとその軌道を見極めると、先ほど蹴りを入れた横腹に視線を向けたまま、踏み込んだ。
河童は、横腹の前に腕を構える。
ただ、残念。それは僕の単純な罠だ。
僕は視線を河童の横腹に向けたまま、思い切り地面を蹴ると、身体を捻り、右下から皿を目がけて、足を振り抜いた。
パリン、と皿が割れる音が聞こえたかと思うと、河童は静止した。そして、河童は地面に落ちた皿の破片を見つけたあと、頭へと手を伸ばして皿を確認すると、ようやく事態を呑み込んだようで、瞠目した。
すると河童は、大きな奇声を発しながら、僕に向かって走ってきた。
「あ、ちょっと待って。それはずるい」
僕は慌てて、河童から離れる。至近距離であの爆発に巻き込まれるとまずい。しかし、河童は最後の悪あがきなのか、しつこく追いかけてきて、やがて僕から三メートルほど離れた場所で膨張し、爆発した。
幸い怪我はなかったものの、僕は全身に河童の肉片を浴びる。
「うわ、最悪だ」
頬についた河童の血を拭っていると、遠くから散弾銃の発砲音が聞こえてきて、その数秒後、鈍い爆発音が山に響いた。どうやら、向こうも終わったようだ。
八幡さんたちの元へと戻ると、八幡さんは唖然とした表情で僕を見つめていた。
「……えっと、どうしました?」
八幡さんは苦笑する。
「いや、河童と肉弾戦して、勝つんやと思って」
「僕、狙撃が下手なので」
「あなたは、怪我してないの?」
加藤さんの問いかけに、僕は腕や足などを見てみる。
「いえ、痛みもないですし、特に怪我はないと思います」
「しかも、無傷。自分、ほんまに人間かいな」
すると、班長が「いてて」と腕を押さえながら、戻ってきた。
「なかなかに手強い奴だった。お、瀬織も無事、倒したようだな。……八幡も大丈夫そうだな」
「傷自体は深くないみたいです。それより班長、瀬織ちゃん、散弾銃も使わんと、素手で河童倒したんですけど」
僕を指差す八幡さん。班長は「そりゃ」と地面に座り、止血を始める。
「こいつならそれくらいはするだろ。何せ、小学生の時点で、河童に馬乗りになって、顔面に拳を入れまくってたんだから」
「嘘やん。それ、ホンマですか?」
「ああ。俺も驚いて、見た時、本当はすぐに助けないといけなかったのに、しばらく呆然と眺めてしまったくらいだからな」
三人からの視線を浴びて、僕は「い、いや」と恥ずかしくなる。
「僕、正直あの時のことは、あんまり覚えていないんですよね。もう爪で引っかかれてしまっていたので、どうせ死ぬならせめてパンチの一つでも、と無茶苦茶やっていたので。だから、あれはたまたまです」
「たまたまなわけあるか。ほとんどの人間は、河童に出会った時点で、腰を抜かして失禁して、何も出来ないんだよ。……それに、お前の才能は施設の頃のすば抜けた成績と、そして今の実戦が証明している」
班長は僕の肩に手を置く。
「ま、とにかくよくやった。お前がいなければ、八幡は危なかったかもしれない」
八幡さんは「ほんま」と立ち上がる。
「助かったで。それにしても、世の中には、色んな才能を持った奴がおるもんやな。びっくりさせられるわ」
「お前が言うな。……じゃあ、俺と八幡の応急処置が済んだら、回収作業に入るぞ。ただ、まだ他にも潜んでいる可能性もあるから、全員、油断はするな」
僕は「はい」と緩みかけていた気持ちの緒を締め直すと、一足先に、回収作業をすることにした。
しかし、作業に入ろうと思った僕の足が、自然と立ち止まる。
「……どうしたの?」
加藤さんの問いかけに、僕は「いえ」と変わり果てた河童に視線を向ける。
「最後、僕ではなく、八幡さんの方に向かったらよかったのに、と思って」
「爆発に巻き込むため?」
「はい。そうすれば僕たちに対して、一矢報いることが出来たのではないかと。……いや、まあでも、いくら上位体が賢くても、さすがにそこまで頭が回らないですよね」
僕が苦笑すると、加藤さんは眼鏡の奥の目を細めた。
「彼らなら、それくらいは考えられるはず。きっと彼がその選択を取らなかったのは、それよりも、自分を傷つけたあなたのことを、少しでも苦しめたいと思ったから」
「感情的になった、ということですね」
「そうよ。河童らしいと言えば、らしいわね」
加藤さんはそう言うと、肉片を拾い始めた。
河童らしい。
確かに、そうなのかもしれない。
しかし僕は、その行動が人間らしくもあるような、そんな気がした。




