十三話『葛藤』
「いや、落ち込み過ぎやろ。ほら、元気出しや。今日は奢ったるから」
八幡さんに連れてきて貰った中華料理屋。店内の壁は油で光沢を帯びていて、テーブルや椅子などにも、所々黄ばみが見られる。しかし、出てくる料理はとても美味く、そして値段も安かった。
ただ、僕は腹が減ってはいるものの、なかなか箸が進まない。理由は勿論、今日の射撃訓練にある。
「しゃあないって。誰にだって、得て不得手ってのはあるやろ。そんなん言ったら、オレかて射撃、下手やし」
「八幡さんは、三十枚中、何枚クレーを割れますか?」
「まあ、平均で十五枚くらいかな」
「僕、散弾使って平均七枚、スラッグ弾だと三枚ですよ」
それを聞いた八幡さんは一瞬、唖然として固まる。
「……マジで下手やん」
「だから言ったじゃないですか。下手くそだって」
八幡さんは何とか励ましの言葉でもかけようとしてくれているのか、口をもごもごと動かすものの、結局言葉は出てこず、水を飲み込んだ。
「……それで僕、加藤さんに、明日の探索活動から銃を持つなって言われました。危ないからって」
八幡さんは苦笑する。
「よっぽどなんやな。まあでも、別にええんちゃう。だって瀬織ちゃんがハンターに選ばれた理由は、近接戦闘能力やろ。狙撃は加藤さんと班長に任せとけばいいし」
「そうなんですけど……」
僕は炒飯を口に運ぶものの、味がよくわからない。
「まあ、気にせんでも大丈夫やって。とりあえずほら、今は忘れて食べよや」
そこからしばらく、八幡さんに彼女が出来ない話を聞いたあと、僕は午前中からずっと心に引っかかっていたことを、話してみることにした。
「あの、一ついいですか?」
八幡さんは唐揚げを頬張りながら、「何や?」と眉を動かす。
「八幡さんは、どうしてハンターになりたいと思ったのですか?」
「いや、オレは別に、ハンターになりたかったわけやないで」
「え? そうなんですか?」
「ああ。国家公務員になりたかったんや。何たって、この上ない安定した職業やからな。でも、残念ながらオレは、勉強が全く出来へんかった。それで、こんな馬鹿なオレでも国家公務員なる方法はあらへんかなと思って探したら、それが環境省の獣害対策課やった」
なるほど。確かに、八幡さんの言うことは間違ってはいない。
環境省獣害対策課の職員は全員、特別職の国家公務員であり、形態としては自衛官が最も近い。そして、獣害対策課、すなわち施設研究生に入るためには、筆記試験と身体検査の二つを通過しなければならないが、そのうち、筆記試験は中学レベルの国、数、社が出来れば問題ないので、特別難しくはない。むしろ、身体検査で落ちる人間の数の方が、圧倒的に多い。
そして、施設研究生にさえなってしまえば、その時点で身分は国家公務員となり、それなりの給料と福利厚生がつくようになる。故に、八幡さんのように、その身分を求めて獣害対策課に入る人も少なくない。
ただ、ハンターになる気はなくとも、施設研究生になると河童が出没した際、後方支援などに当たらなければならず、命の危険が出てくる。だから当然、それ相応のリスクがあるので、覚悟は必要となる。
「でも、施設に入るまではわかるのですが、ハンターになるためには、自ら希望しないといけませんよね? 八幡さんは希望されていたんですか?」
「勿論。そりゃ、ハンターの方が、何倍も給料もええもん。っていっても、本気で目指してたわけやなくて、オレなんかが選ばれるはずないやろって思いながら、一応希望しとくかってな感じやったけどな。ほんなら、まさかホンマに選ばれたからびっくりしたわ。この耳をくれた、両親に感謝やな」
「ハンターになるの、怖くはなかったのですか?」
八幡さんは「うーん」と顔を僅かに傾ける。
「そりゃ、死にたくないとは思ったけど、怖いってのはあんまなかったな。オレは細く長く生きるのと太く短く生きるんやったら、太く短く生きる方を選ぶから。だって考えてみいや。細く長く生きようとしても、事故なんかで細く短く生きることになるかもしれんやろ。けど、太く短く生きようとしてたら、不慮の死に遭ったとしても、ああ短い人生やったけどまあ楽しめたしええかなって思えるやろうし、しかも太く長く生きられる可能性だって充分にあるやろ。それやったら、太く短く生きた方が幸せに生きられるやん」
「……えっと、酔っ払ってませんよね?」
八幡さんは「いや」とグラスを持ち上げる。
「これ、ノンアルコールビールやから。まあ、自分にはちょっと酔ってるかもしれんけど。……で、なんでそんなこと訊くんや?」
「いえ、ちょっと今日、初めて探索活動に参加してみて、思ったことがあって」
「思ったこと?」
「はい。河童ハンターには、昔、大切な人を河童に殺されてハンターを目指すようになったって人が多いですよね。加藤さんもそうですし」
「せやな。班長だって、昔、友達を殺されたのがきっかけでハンター目指したって言ってたからな」
「そうなんですね。……で、その理由は理解出来るんですよ。根本に憎しみがあって、そこから河童を殲滅させたいっていう気持ちは。でも、僕は個人的に河童に対する憎しみはないんですよね。そしてこの先、自分は河童を狩ることを正しいと信じてやっていけるのかどうか、不安になってしまって」
八幡さんが「不安?」と目で問い返し、僕は「はい」と手に持っていたレンゲを置く。
「僕が河童ハンターになろうと思ったのは、河童が人間に害を与える悪の存在で、そんな悪の存在から、みんなを守れる人になりたいと思ったからです。しかし、今日、河童を実際に殺して彼の肉片を拾っている時、果たして本当にこれは、正しい行為なのだろうかと疑問を抱いてしまって」
八幡さんは「ああ」と小さく頷く。
「なるほど。あの河童が、実際に悪いことをしたかどうかは、わからんもんな」
「そうです。あの河童は、ただ僕たちの存在に気付いて、逃げようとしただけです。そんな河童を、僕たちは悪と決めつけて、躊躇いなく殺した」
「でもほら、あの河童、ねずみの手足千切ってたやん」
「だからこそです。僕はあれが何だか、人間っぽいなと思って」
八幡さんは「えー」と痛い表情を浮かべ、身体を引く。
「ねずみの手足千切ってる人間なんて、やばい奴やん」
「でも、子供の頃、意味もなく虫を殺した人って、少なくないと思うんです。特に悪意があるわけではなく、無邪気に」
「まあ、それは確かに」
「だから、彼らが生き物や人間を捕食以外で襲うのも、似たような感じなのかなと。知能も、通常体は人間の子供と同程度ですし。そしてそう考えると、僕たちは人間の子供を殺しているのと変わらないんじゃないかと思ってしまって」
八幡さんは「うーん」と腕を組み、眉間に皺を寄せる。
「それはちょっと考え過ぎやと思うけどなあ。……ただ、わからんでもないよ。特に、ハンターになりたての頃は、そういうことを考えがちやからな。相手が河童であれ、直接命を奪うんやから、そりゃ、人として感じるものはあるやろうし」
八幡さんは腕を解くと、「でもな」と前のめりになる。
「……迷ったままでおんのは危険やで。そんな中途半端な気持ちで出来るほど、ハンターの仕事は甘くない」
僕は唾を飲み込み、深く頷く。
「それはわかっています」
八幡さんは身体の位置を戻すと、「ま」と長い息を吐く。
「そういうのも、やってるうちに慣れてくるやろ。どんな仕事でも、最初のうちは不安がつきものやからな」
僕は「はい」と頷いた。確かに八幡さんの言う通り、きっとこれから、僕の中で消化出来る日が来るだろう。
僕はレンゲを手に取ると、少し冷たくなった炒飯を口へと運んだ。




