十一話『自然の厳しさ』
河童のいた場所に近付くと、河童特有の生臭さと、血の臭いが鼻を刺した。周囲には、河童の肉片が飛び散っている。
その中から、僕は割れて破片となった皿の一部を見つけた。そうか、あの割れるような音は、これか。
ということは、まさか。
「……加藤さん、これを狙って撃ったんですか?」
僕が足元の皿を指差すと、加藤さんは「ええ」と頷く。
「当たり前でしょ。射撃訓練の際、そう習わなかった?」
「習いましたけど……」
確かに施設での射撃訓練で、河童をライフルで狙う際は、弱点である皿を狙うように教えられた。他の場所だと、当てても仕留め損ねる場合があるが、皿は、割ってしまえばそれだけで絶命するからだ。
しかし、それはあくまで、相手がこちらに気付いておらず、そして静止している場合の話である。もし、こちらに気付いたり、動いていて見失いそうになったりした時は、皿を狙って撃つのは極めて難しいので、硬くない場所ならどこでも撃つように教えられた。
すると班長が笑いながら、僕の肩に手を置く。
「どうした、ぽかんと口を開けて」
僕は「い、いえ」と慌てて一旦、口を閉じる。
「あの距離から、逃げる河童の皿を撃ち抜けるなんて、と驚いてしまって。僕には到底、そんなこと、出来ないので」
「安心しろ。俺にだって無理だし、あんなことを簡単に出来るのは、全てのハンターの中でも加藤だけだ。ここに来る前から、射撃の天才がいるって噂になってたくらいだからな」
「射撃の天才、ですか」
「ああ。施設にいた頃から、射撃に関しては、歴代でも類を見ないほどの圧倒的な成績を残して、それで火伯支部に配属されたんだ」
「だから、僕の訓練に加藤さんが付き合うよう、指示が出されたんですね」
「そうだな。ただ、だからと言って、お前の射撃の腕が上がるかどうかはわからんが」
「どうしてですか?」
すると八幡さんが、「オレ」と自身を指差す。
「加藤さんに教えて貰ったけど、下手くそなままやったもん」
「でも、ライフルを背負っているじゃないですか。加藤さんが狙撃の天才なら、別に、散弾銃が三、ライフルが一の編成でもいいと思うんですけど」
僕が八幡さんの肩から下げられたライフルを指差すと、「ああ」と八幡さんは苦笑する。
「これは加藤さんの予備をオレが運んでいるだけやから。オレが銃を撃つことはほとんどあらへん。オレはあくまで耳担当や。もし河童に襲われたら、悪いけど守って貰うで」
「八幡くんは、戦闘もわたしに負けるくらいだものね」
「いや、それは加藤さんが強いんですって……」
口を尖らせる八幡さんに、班長は「確かにな」と笑う。褒められている加藤さんは、一切表情を変えることなく、散り散りになった肉片をじっと見つめている。
班長は「よし」と軽く手を叩いた。
「では、回収作業に入るか。勿論、その間も油断はするな。以前、回収作業中を狙われ、命を落としたハンターもいたからな」
僕たちは「はい」とリュックサックから回収用の袋を取り出し、河童の肉片を集める作業に入った。
河童は、『隠死』と呼ばれる、河童特有の自殺行為を見せることがある。詳しいことはわかっていないが、一説では、肛門の近くにある、『尻子』という臓器からガスを体内へと充満させ、それによって爆発しているのではないか、と言われている。
彼らの隠死が発動する条件は二つ。
生命活動が失われた時、もしくは、避けようのない危険が差し迫った時である。
それらから、彼らが隠死する理由としては、苦痛を和らげるため、もしくは生体情報を取られないようにするため、などが挙げられるが、確たる証拠があるわけではなく、憶測の域を出ていない。
ただ、その隠死が厄介で、そのせいで河童に関しては、まだまだ不明な点が多い。
他の生物なら、捕まえてその生態を調査することなどが可能だが、河童は捕まえた瞬間に隠死してしまうので、生け捕りが出来ない。さらに、死ぬ時は必ず爆ぜてしまうため、遺体から得られる情報も限られてしまう。故に、肉片ですら貴重な情報源となり、河童を狩ったあとは、こうして残っているものを回収しなければならない。
辛い作業ではあるものの、もしこれで、あの『河童最大の謎』を突き止めることが出来れば、彼らの殲滅も現実のものとなるかもしれないので、これも重要な作業となる。僕は自分にそう言い聞かせながら、顔を歪め、地面の肉片を拾い集めた。
ふと、僕は加藤さんに視線を留めた。
「……加藤さん、一体、何を?」
加藤さんが手に持っているのは、一匹のネズミだった。それは、河童に弄ばれ、手足をもがれた、あのネズミだ。身を捩り、小さな鳴き声を発しているので、どうやらまだ生きているようだ。
すると加藤さんは、ぐっと親指をネズミの首へと押し当てた。
「ちょ、ちょっと、加藤さんっ」
次の瞬間、加藤さんが何の躊躇いもなく指に力を入れ、ネズミは動かなくなった。何かが折れる音すら、聞こえなかった。
絶句した僕は、「な」と喉の奥から、声を絞り出す。
「い、一体、何をしているんですか?」
加藤さんは「何って」と冷たい眼差しを僕に向ける。
「見たらわかるでしょ。ネズミの命を絶ったのよ」
「ど、どうしてそんなことをするんですか? まだ、生きていたのにっ」
加藤さんは「どうして?」と眉をひそめる。
「どうしてって、このまま生きていても、ただ苦しいだけじゃない。痛みと空腹に襲われながら、何も出来ず、ただ死ぬのを待つだけよ。なら、苦痛もなく、ここで殺してやる方がいいと思うけど」
「いや、でも……」
「だったら、あなたならどうするの? 持ち帰って、最後まで面倒を見てあげるの? 毎日、口元に餌を運んでやって、手足がなくて動けないこの子を幸せにしてあげられるの?」
僕は「それは……」と言葉に詰まり、視線を加藤さんから逸らしてしまう。
「あなたは、まだ何もわかっていない。人間は、生物界のヒエラルキーから逸脱しているから、自然の中で生きる厳しさを知らない。だけど、あなたはこれから、その厳しさ、残酷さを、目の当たりにすることになる。そんな甘い、上澄みだけの綺麗事を抱いていては、いざという時に、足元を掬われるわよ」
加藤さんは抑揚のない口調でそう言うと、動かなくなったネズミを近くの木の根元まで運び、穴を掘って、その中に埋めた。
僕はその加藤さんの背中を、じっと見つめることしか出来なかった。




