しあわせで不幸な少女のおはなし
①
合唱コンクール間近の秋。
現実世界に嫌気がさして迷っていた時だ。
八年来の親友に言われたことがまあきっかけの、私にとっての人生の転機がおとずれる。これから始まるお話でね。
(部活も、クラスも、成績なんてどうでもいい。もうどこかへ消えたい。
先生もあてにならない……もう、いや……死んでしまいたい)
先生から強制的にスクールカウンセリングと精神科へ行くことへの通知みたいなのを渡されて、最近はちょっと……アレです。精神的にやばいかなーって思って、ちょっと人を呪い殺そうかなぁ、とか、本気で人生終わらしたいなって親友に愚痴ったときだ。
「新たな人生を手に入れたい?あはは、いいよ。ツテはあるし」
物知り、というか昔なじみの親友に相談すると、何ともあっさりと了承(?)してくれた。信じるも、信じなくともいいと彼女は前置きし、今私が持っている地図に書かれた場所を教えてくれた。
教えられた道順を進み、見たこともないビルへとたどりつく。
くすんだビルに似合わない綺麗なステンドグラスがはめ込まれた扉を開け、今まで見てきた世界とは別の場所へと足を踏みいれた。
甘い香水の匂い。イギリスとかの豪邸にありそうな白をベースとしたデザインの室内。執事服やメイド服を着た店員。今まで見てきた世界とかけ離れた空間に少なからず私は気後れした。
(……彼女はこういうところに通っているのかな)
親友の意外な趣味かと思っていたら、執事服を着た、思ったよりも若い男性が近づいてきた。
「いらっしゃいませ。当店は会員制となっておりますので、会員証をご提示いただけますか?」
そんなもの、持っていなかった。
「えっと、友人から紹介されたんですけど、“百合の花とアールグレイを”と言うように言われたのですけど……」
執事服のお兄さんは【こちらです】と笑顔は変えずに私を奥のほうへと案内した。
「こちらが誓約書です」
そう言って出されたのは数枚の書類。
綺麗に清掃されたシンプルな部屋で、窓はなく、無数のランプが天井からぶら下がっていた。
どうも私は書類と言うものが嫌いで、蟻のごとく無数に並べられた文字を見て吐きそうになった。
「お任せします」
多分私は紙の束を突き返しこう言った。執事服のお兄さんは懇切丁寧説明してくれた。正直ほとんど聞いていなかったけど。
書類をすべて書き終わった後、執事服のお兄さんから服を渡され、更衣室へと移動させられた。
(……ドレス?)
真っ白な細身のドレスで、腰のところに金糸で刺繍がしてある。
ふわふわした生地は着心地が良く、くるくる回ってはしゃいでみたりもした。
「終わったようですね。では、失礼」
じゃらじゃらと鎖が鳴る。
ずっしりとした冷たく硬質なものが手にのしかかった。
「……え?」
いつの間にか入ってきた執事服のお兄さんは一瞬のうちに私の手に手錠をかけたのだ。刑事ドラマとかでよく見る細身のやつだったらどんなに良かったことか。
手の厚さと寸分違わない厚みと百均とかで売っている小さい筆箱の高さと同じくらいの横幅。
女の子につけるサイズですかこれは?筋肉隆々の巨人の指につけるべきデカさだと思いますが。
いや、それほどまでに私の腕は太くない。決してない。
続いて案内された部屋、と言うか牢獄?にはベッドとある程度の生活用品が置かれ、割と清潔に保たれた空間だった。
「あまり汚さないでくださいね。あと、貴方の主が見つかるまでしばらくここにいていただきます」
「見つからなかったら毒ガスで安楽死させられたりして?」
保健所へ連れていかれた野良犬の末路だ。
冗談めかして言うと、笑い飛ばされるかとおもいきや
「…………」
恐怖の沈黙。
「……へ?ま、さか?」
笑顔を張り付けたまま、執事さんは部屋を出て行ってしまった。
それからどれくらいたっただろうか?
「……出てください」
きい、と鉄のドアがきしむ音が聞こえ、振り向くとあの執事さんが立っていた。
急いで立ち上がり、彼に向かって駆け寄った。連れられた場所は、あのシンプルな部屋。前と何も変わりなくシンプルだ。
ただ違うのは―――
「初めまして、お前を今日買う人間だ」
そう言ってにやりと笑った若い男性がいることだ。その男性は確実に私よりも年上だった。二十代後半。細マッチョの鍛え上げた体格に、頼もしいオーラ。
何より金持ちの予感がする。
つまり……
(やばい……!かっこいい……!金持ち+イケメン+マッチョ……!完・璧過ぎてや~ばい!!!)
すっかり高揚した心を抑えられず、たぶん顔にも出ていたと思う。
「あの!」
「ん?」
目が合った。赤面していないと良いな、なんて思いながらもやめない。
「お名前はなんていうんですかっ!?」
しばし沈黙。
男性はふっ、と優しく笑うと頭をぽん、と撫でてくれた。
「サドラー・アーネスト。兄さん、と呼んでくれ」
その笑顔に私は心を一瞬で射貫かれた。
(ああ、やばい、しにそ……)
「アーネスト殿、《《商品》》の名付けは主が決める。という決まりですので、お願いしますね?」
執事の人が笑顔を変えずに言う。
サドラーさん……いや、兄さんは困ったように首を傾げ、それからうっすらと笑いを浮かべながら
「シェバ……お前の名は、シェバってどうだ?」
私に、新たな人生をくれた。
②
ビルのような家。というかビル。ツタが壁に張っている灰色のまったくしゃれっ気もない、ちょっと不気味な家。それは私がこれから住まう家だった。
「ここがお前の部屋だ。好きに使っていいぞ」
通された部屋は、生活感が残る誰かの部屋だった場所をそのまま使う、というような感じだった。
そして……
とにかく漫画が多い。
少女漫画、少年漫画、小説もいくつかある。
百八十センチはある本棚が四つ、ぎっしりとしきつめられた漫画は出版社別に並べられていた。
(『新撰組顛末記』『イチからわかる新選組!』『明治維新 原画集』……新選組好きなのかな。アニメ・ゲーム関係のイラスト原画集も多いし……)
床にも10冊ごとに積み上げられた漫画の塔が5つ、二段ベッドの下がないやつと窓側に大きい机があるくらい。
「うっわあ……ホコリたまってるなぁ……」
ずっと使われていなかったようで、ほこりがたまっている。布団も干されていないようだった。
着替えよう。と思ってクローゼットを開く。
「え……」
前のこの部屋の持ち主の物だろうが、サイズが小さい。すべてサイズが百四十センチで、私が着られそうな服は見当たらなかった。そして、デザインからして女の子用であろうことがうかがえた。
結局、後々使用人さんに頼んでサイズの合う服を用意してもらった。ちゃんと洗った布団も。
「にいさん、かあ……」
適当に掃除をして、割と綺麗になった自室のベッドの上(ちなみにこの中からも漫画が二十冊近く出てきた)でつぶやいた。
初めて会った人に、ちょっと抵抗がなかったわけではない。結構いい人そうで、ここでの生活も不便しなさそうでいいものだとも思った。
「あたらしい、学校ね……」
若干憂鬱な気分になりながらも今日は眠りについた。
❄❄❄
始業のチャイムが聞こえた。
校長室で“お話し”が終わり、シェバは担任に連れられ教室まで歩いていた。
静まり返った校舎の廊下を歩き、そっと通りがかった教室をのぞいてみたりもした。
(全員おとなしく読書をしている……!?)
その光景たるや恐ろしいものを見たかのようにシェバは先生の後ろにおとなしくついていった。
「おはよぉーさん」
がらり、とドアをいつの間にか開けて入っていた先生の後を追い、教室に入ると……
「起立 きをつけ 礼!」
「――おはようございます」
「着席」
そろった生徒たちの声。がたがたと椅子を引き、号令とともに座っている。号令をかけたのは女子の声だった。そう、生徒が。
(――嘘?でしょ?)
「転校生だ。皆、いろいろと面倒みてやるように。いいな?」
「はい」
(ま、まともな学校だ―!!!)
驚きで口がふさがらない。かなり本気で。
気を取り直し、私は自己紹介をした。
「シェバ・アーネストです!わからないこととかたくさんありますが、よろしくお願いします!!!」
がばっと勢いよくお辞儀をしたあと、【おぉー】という歓声が聞こえた。それだけでシェバはかなり上機嫌になった、と同時にここまで雰囲気のいいクラスは初めてでちょっと変な気分だった。
「うー、アーネストさんの席は……」
すると、窓側から手が上がった。
どうやらそのとなりの席が空いているらしかった。
「おお、助かった。タク」
そう言って先生は私をその席へ行くように促した。席につき、鞄をかけてから挨拶をしようと隣の人を見た時だ。
「え?……ミーナ?なんでここに……」
親友がそこにいた。
「え、うそ、知り合い?」
通路を挟んで隣の男子生徒が話かけてきた。
「いや、少なくともオレは女じゃないぞ」
困ったような声が聞こえた。
再び隣人を見ると、男子生徒のようで、親友とは性別からして違った。
「……すみません、親友に似ていたもので」
「いや、いい。そんな偶然もあるさ。改めまして、オレはレオン。よろしく」
片手を軽く振って許し、そして隣からも声が聞こえた。
「僕はスグル。今後とも仲良くしてね」
タクにスグル。この名前は……
「もしかして、東の……?」
この国は複数の民族が集まってできた国であるという歴史を持つ。東西南北にそれぞれ民族がより集まっているので、イントネーションやちょっとした言葉がが違ったりもする。いわゆる方言がある。だいたいは地名を言うより”東の”や”北の”という風に出身を自己紹介で伝えることがこの国の主流であった。
ここまでは常識の範囲内。歴史は苦手だし、大嫌いなのだ。
「おう、この学校は教師のほうが西の人であることが多い、と言うか全員西。生徒は東しかいないと思う
けどな」
タクがすぐさま答える。しかし、スグルは首を傾げた。
「あれ、でもシェバは標準語(東の言語)を喋っているよね?西の名前なのに」
「私は南の出身だからだよ。南と東の言語は同じだけど、名前は西と似たりよったりだし」
二人とも、【ああ】と納得したようにうなずき、
「そこの三人、授業始まっているわよ!小さい声だからっていいと思っているの!?」
その声に驚き、反射的にシェバはビシッ!!と背筋を伸ばした。
短い息継ぎの間におなかの脂肪が上下する女の先生の怒鳴り声で三人とも気づいた。実はいつの間にか一時限目の授業が始まっていたのだった。
❄❄❄
「シェバ、学校へ行っていたのか?」
ノートパソコンから顔を上げ、兄さんは私を見た。
家に帰ると、兄さんがリビングでノートパソコンを開き、仕事をしていた。
ちなみに、私はこのビルのリビングと自室以外の出入りを禁じられている。どういう意味かはわからなかったけど、兄さんの言うことは聞かなくてはならない。それがどんな命令だとしても、と耳にタコができるくらい言われ続けた。あのロボットみたいに表情のない執事にね。
「たのしかったよ。隣の席の男子が面白い人たちでね?おんなじ部活に入らないか、って誘ってくれたの!仮入部もしてきたんだ」
「……それで今日の帰りが遅かったのか?」
「……?うん、まあそうだけど」
時計を見ると、六時四十五分。高校生にもなって門限をとやかく言われたことはない。十一時前後に一人でスーパーに夜食を買いに行ったって何も言われたことはなかった。
なのに……
「明日からは学校に行かなくていいぞ」
「……はい?」
「俺の命令が聞けないのか?」
低く、唸るような声。こんな声は知らなかった。身がすくむような、恐ろしい声。
兄さんはシェバをにらめつける。恐ろしさにシェバは何も言えなかった。
「返事は?」
「は……い」
思ったよりも声が小さく、震えていた。
「声が小さいぞ」
特に変わった感じもないのに、逆らえない。
「はい!」
兄さんは再びノートパソコンへ目線を移した。
シェバはそこにいることに居心地が悪くなって、逃げるようにして自室へと戻った。
自分用に買ってもらったスマホを操作し、人気動画サイトを開く。どこへ行ってもこのサイトは私が生きるために必要だ。
「はぁ……リュウくん、相変わらずかっこいい……!」
やっぱり現実はいやだな。つらいことは何も考えず、ただしあわせにつかろう。
小さなちいさな、二次元の画面を見つめながら、そっとためいきをついた。
「……?何、これ……」
手に当たったある一枚の紙。
『池田屋一階 蛤御門 靖兵隊 副長』
子供の字。殴り書きのようなメモ。端が焼けて黄ばんでいた。
特にシェバは気にしなかった。
理解不能な言葉が書かれた紙を本棚の間に挟み、再びネットサーフィンへ。
レッツゴー。
③
また、朝がきた。
顔を洗い、私服を着て、リビングへと向かった。
「おはよう、兄さん」
「おはよう」
(良かった、いつもの兄さんだ)
いつものようにおだやかな空気をまとった兄さんにほっとして、昨日から考えていた話をきりだした。
「兄さん、私、塾に行きたいな~」
「却下」
塾は週二日。終わるのは十時だ。帰りに多少友達とかと遊びに行ってもばれないと思うし、
それに来週は定期テストだ。今までは何かしらやらかしてもミーナとか頼れる人が周りにいたから何とかフォローしていったけど、今回は違う。
塾での定期テスト対策に頼り切りだったから、塾以外の勉強法をしらない。
まあそれは表向きの理由。ゲーセンに行ったり、見知らぬ街に繰り出したいという冒険心というか、好奇心があった。
兄さんは許可してくれると思ったけど……
「兄さん……」
「おまえのためだ。わかってくれるよな?」
ぽん、と優しく私の頭をなでる。
朝食後に兄さんはノートパソコンを開き、仕事をし始めた。
(外の空気吸いたいな……)
何気に窓際へと向かう。ひらくものと思っていたが、押しても引いても開かない。
(あれ、おかしいな……鍵はないの……に)
中央部分に目をやると、鍵があったのは内側ではなく外側につけられていた。鉄のチェーンが巻かれ、南京錠で鍵がかけられていた。
「誰がこんなこと……」
不意に、視線が感じられた。
「お前を守るためなら、何でもする」
「!?……っ!」
振り返る前に首に腕が回された。後ろから抱き着かれたような状態だった。
悲鳴にも似た声が口まで出かかって、思わず自分の口をふさいだ。耳に兄さんの吐息がかかる。
「今度は、絶対に逃がさん」
うっとりとしたその声音に背にぞくりと毛虫が這ったような感覚さえした。こんなの、何が、誰がロマンチックなシチュエーションとか言っていたっけ。シェバは意識してと口角を上げた。
「うふふ、ありがと」
―――気持ち悪い
平静を装って慎重に兄さんの腕を引きはがす。
兄さんは何事もなかったかのようにさっさと仕事へ向かっていった。シェバはこっそり、ほっと息を吐き出した。
それから、兄さんと食事を共にすることはなかった。
三日後、兄さんは今日も仕事が忙しいと言い、早くに家を出てしまった。
しかし、今日は休日。祝日だ。カレンダーを見なかったかのように適当な方向を向く。
(何をしようか……)
定期テスト間近。転校二日目から不登校児となった私は勉強する必要もない。
(勉強……)
頭の中で叫ぶ現実をぽん、と手を叩いて振り払い、キッチンへ向かう。
「よし、プリンつくろう」
材料を用意し、作る。
いたっておかしなところはない。
レシピ通りに作っただけなのに、
「なぜ、ちゃいろいプリンが……?」
レシピに書いてあるのは、と言うか見たことがあるのは黄色いやつで、今目の前にあるプリンはカラメルを混ぜたみたいな茶色をしていた。
「……兄さん、たべてくれるといいな……」
メッセージカードを添え、冷蔵庫に入れる。
「あー、勉強しなきゃ……じゃ、ないか。もう私学校行かなくていいもんね」
―――夜
机に置かれたスマホを手に取った。時間は4:25と表示されている。
(ちょっとくらいいいでしょ)
手際よくパスワードを打ち込み、動画サイトを開く。
イヤフォンをつける。
ふたたび、二次元の世界へといざなわれていく。
「ふふ……ふふふっ……かっこいいなぁ……」
Am4:30 とある少女の部屋からは、不気味な笑い声が聞こえるのだった。
④
「おはよう」
リビングを訪れても、誰もいない。
そりゃそうだ。兄さんはとっくに出かけているし、女中のひとたちも別の階に住んでいるらしいから、会うことはない。
「鼻かゆい……」
ティッシュで鼻をかみ、捨てようとしてごみ箱を開けた。
中には、茶色いつるつるした塊。昨日作ったプリンが捨ててあった。
「え……なにこれ……まさか兄さんが」
いや、それはない。兄さんはやさしい人だ。しかも食べ物を粗末に扱うような人ではない。――と思う。
ではいったい誰が……?
頭をふって、見なかったことにして、階段を上って与えられた自室へと戻る。
まだ、読み終えていない漫画がたくさんあるから。それを読もう。
気を紛らわそうといろいろやって。
誰が捨てたのか、なぜ捨てたのか。ポツリと湧き上がった疑念は、心を蝕むには十分で。
(兄さんは、そんなひとじゃない)
そう思いながらも、あそこを利用するのは兄さんと私しかいない。
――――兄さんと、私しかいない。
ぼうっと、空にうかんだどんよりとした雲を見つめていた。
いっつも家に人がいないから、しばらくぶりにこっそりと学校へと行ったのだ。
いつものツタで覆われたビルの横。駐車場には、何台もの黒い車が停まっていた。
――反射的に、私は近くの物陰に隠れた。
ぎりぎり、といったところか。
車から出てきたのは、真っ黒いスーツに、サングラスをかけたいかつい体格の男性たちだった。
全員が中に入ったのを確認し、素早くビルの中へ入る。
全速力で目指したのは、自室。
消音の工夫もほどこしてあるドアを慎重に開き、中へと入る。
鍵を厳重にかけ、横の本棚を見た。
私は『新撰組顛末記』から左へ数冊本を取り出し、棚に取り付けてあるフックをはずした。
棚を押すと、意外にもあっさりと進み、棚一個分ずれた所で棚を左へとスライドさせた。
目の前にあったのは、螺旋階段。
私はそれを駆け上がり、暗い部屋を進んだ。
『池田屋一階 蛤御門 靖兵隊 副長』
本棚と壁の間の奥に、そう書かれた紙が挟まっていた。
ここの本棚には新撰組にまつわる本があちらこちらにある。池田屋事件は新撰組の有名な事件。さらに靖兵隊の副長は原田左之助、永倉新八が務め、“池田屋一階”は永倉新八がいた場所だ。
新撰組メインの漫画ばかり読んでいたから、明治維新前後に関して前よりかは知識があると思う。相変わらず大嫌いな歴史の授業をさぼって帰ってきた結果こうなっているのだから、何とも言い難い複雑な心境だ。
“永倉新八”が出てくる本、で絞るとほぼすべてになるが、一冊だけ違った。
『新撰組顛末記 永倉新八著』と背に書かれた本があったのだ。周辺をさぐったら隠し扉があった、というわけだった。
(……あった)
マジックミラーだ。
全フロアを見られるように設計してあるらしく、前にすべてを回っても誰も気が付かなかった。
ついでにいうと、マジックミラーだと分かったのはこれの前でいろいろな人が身だ
しなみを整えているところを見たからだ。
兄さんも例外ではない。
その向こうに私がいることにも気が付かず。
そして私は中を覗いた。
(銃?しかも……あの白い粉の入った袋は何?)
「……は……カタ……」
(博多?ラーメン?)
何を言っているのかまでは聞き取れない。が、明らかにそこにいるメンバーの見た目から、普通の人間でないことは感じられた。
(あの白い粉、確実に違法薬物だよね……)
私はこっそり、その場から離れた。だいたいは予想できる。薬物や武器の取引をして兄、サドラー・アーネストは儲けていたのだ。
自室に戻っても、なんだか安心はできなかった。学校の鞄を手にとり、本棚をもとに戻して裏の階段で黒ずくめの男たちがビルから出ていくのをじっと、じっと待っていた――――
⑤
目の前に溢れる人、人、人。
ここは国際空港。なぜここに私がいるかっていうと……
「大丈夫か?はぐれるなよ」
そう言って微笑んでくれる私を買った主は手を差し出す。
私はその手を取り、ともに歩き出した。
私は主を兄さんと呼んでいる。
割と地元民は遊びに利用したりもするらしいこの国際空港に兄さんは
「ゲーセンに行こうぜ」
なんて言って誘ってくれた。
正直うれしい。舞い上がりすぎて死にそう。いやでも死にたくはない。
人ごみをかき分けてやっとたどりついた目的の場所は割と人が少なく、しかしかなりの豊富なゲームの数々に心躍った。
(あ……あれは……!)
クレーンゲームの中に一山、小さな人形のキーホルダーが積み上げられていた。
ただの人形なら見逃していただろう。しかし……
「りゅ、りゅうくん……!し、しかも国際空港ゲーセン限定バージョン!」
私が大好きなアニメの愛するキャラクター……。
親友に向かって何度もグッズを見せて『私の夫だから!結婚したから!』などと言いまくれるほど愛するひと。りゅうくんを語りだしたら止まることはない。
それがご当地(国際空港)ゲーセン限定バージョン……とらないわけにはいかない。
めらめらとやる気がみなぎる。
一歩、そちらへ向かおうとすると、片手が何かに引かれた。
「おいおいどうした?どこ行くんだよ?」
心配そうにする兄さんは私の真意を読み取ったのか、にこりと微笑んでこう言った。
「悪いな。でも――」
「一人にはしたくない、ですよね?わかっています。兄さんのほうを先に行っちゃいましょうよ?」
困ったように兄さんは笑った後、【悪いな、終わったらとってやるから】と言って列に並び始めた。
そう、ここに来た目的は”期間限定”ポケモンのグッズを手に入れるためだ。数分後、どこからか携帯の着信音が鳴る音がした。
兄さんの携帯だったらしく、スマートフォンの画面をタップし電話に出る。
しばらく兄さんは適当に返事をするだけで、だんだん不機嫌な表情になっていった。
通話を切った後、とてつもない溜息をついたので、
「……どうかしたんですか?」
と恐る恐る私が聞くと、兄さんは苦笑いを浮かべた。
「仕事の電話だ。……お前を連れていくわけにはいかないからな……」
まったく兄さんは心配性すぎる。
私は溜息をつき、笑顔を作って兄さんが心配しないようにふるまう。
めったにない一緒に遊べる機会を逃したくはなかった。けど……
「ここで並んで、限定アイテムをもらえばいいだけですよね?大丈夫ですよ。兄さん、私が携帯持っていること忘れていませんか?」
兄さんを困らせたくもなかった。
あぁ、そういえばそうだな。と言って、私が見えなくなるまで兄さんは何度も何度も心配そうに振り返っていた。
「what of me did you help?(あなたは、私の何を助けてくれたの?)」
イヤフォンから流れる音楽に合わせて口ずさむ。
目の前の列がだんだん短くなっていき、そろそろ順番かな、と暇つぶしに人の数を数えてみていた。
そのとき、エレベーターが動いた時みたいな、血が頭のほうに残るような感覚に襲われた。
悲鳴を上げる人、
冷静にしゃがむ人、
しりもちをついた人、
パニックになったフロアはまだ揺れ続けている。
――地震が起きた――
驚いて座り込んだ数分後、やっと事態を理解できた。
ポケットの中にある携帯が震えた。
『兄さん』
そう表示された画面を見て、すぐに着信に出た。
「だ……か……」
周りの人の声でよく聞こえない。
「なに?兄さんは大丈夫?私は無事だよ!兄さん?兄さんは?」
電話の向こうからも悲鳴や、人々の声が聞こえた。
相当パニックになっているらしい。
足元から何かがわれる音がした。
下を見ると、床がひび割れている。
ひび割れの伸びてきた方向を目でたどった。
フロアの中央からここまでひび割れが伸びてきたのだ。
「大丈夫、また会える」
電話から聞こえた声は、そう言ったように聞こえた。
悲鳴は、どこから聞こえたのかな。
硬い物がきしむ音、その後に何かが崩れるくぐもった音が聞こえたと思えば、天井がわれ、上からたくさんのコンクリートや鉄の棒、落ちてきた人々はたくさんの服の色がカラフルに彩っていた。
それらすべてがまた中央にいた人を飲み込み、また下へと落ちてゆく。
兄さんとの通話は切れていた。
シェバはさっきまで人がいた場所を呆然と眺め、鉄の棒がむき出しになって大穴が開いた場所の縁まで近づき、おもむろに下を覗き込んだ。
それは、まだ十代の若き少女には衝撃が強い、悲惨な光景が広がっていた。
地獄絵図、と彼女は表現しただろう。
生きている人、死んでいる人、たくさんの人とガレキが混ざって、それ以上見ることは、シェバには困難だった。
雲一つない青い空。
どこかの籠から逃げ出したかもしれない、見たことない綺麗な色の鳥が飛んでゆくのが見えた。
願えば叶った。
新たな道を得るために、過去を代償に身を売った。
今度は自由を得るために、彼女が代償にしてしまったもの……
どこか心にぽっかり穴が開いたようで、風が吹き抜けていった。
“I won’t feel any regret to the place where I threw me away.(私を捨てた場所に、すこしも後悔などない)”
つながることはない携帯。片耳のイヤフォンからは音楽が流れ続けた。
私は、ひとりになった。
お読みいただきありがとうございました。
幾つかの伏線を放置したまま終わってしまいました(;゜Д゜)




