21世紀の恋愛
資本を持つものがその投下により新たな資本を獲得する。このサイクルを繰り返し、資本家は富を蓄積させ持たざる者との格差を増大させる。これが資本主義の基本的なシステムである。
恋愛資本主義とは、本来資本主義に恋愛が利用されているという意味の言葉だが、ここでは"恋愛にも資本主義と同種の論理が働くようになった"という意味で用いる。つまり、恋愛経験を多く持つものがさらなる恋愛的価値を獲得し、恋愛経験のない者は経験が無い故に価値を得ることができず、恋愛格差が増大するという現象のことである。
そもそも恋愛が社会的に重大な価値を持つようになったのは、フランス革命によって"人権"が発見されたことにある。これによって社会が個人の自由を制限/束縛することが基本的には出来なくなった。故に、結婚制度においても、従来型の当人の意思を無視/軽視した、社会的要請や親の都合といった他者の都合による、政略結婚やお見合い結婚は廃れた。旧来の制度を恋愛封建主義と名付けるならば、人権の発見移行は恋愛自由主義と呼称しよう。
恋愛自由主義においては、個人の自由な恋愛による結婚、すなわち恋愛結婚が、結婚制度において大きな比重を占めるようになった。しかしこの結果、個人の容姿、欲求、性格、身分、資産、経歴、そして恋愛経験など、"恋愛資産"とでもいうべき諸要素の価値が高まった。
資本主義と連動するように、この恋愛資本の投下により、人は恋愛資産を増大させるようになった。要するに、"持てる"人間ほど多くの恋愛経験を積み重ね、"持てない"人間は恋愛をする機会を持つことが難しいということだ。いわゆる"リア充"と呼ばれる人たちは、この資産を多く保有し、恋愛資本主義における"資本家"の立場にある層と言えよう。以後、リア充を恋愛資本家、非リア充を恋愛弱者、または恋愛労働者と言い換える。
資本主義は、生産と消費によって血液たる金を流通させ続けなければ、市場は壊死を起こしやがて命脈も断ち切られる。格差が増大し続ければ、賃金労働者はやがて資産を持たないどころかマイナス資産へと転じ、消費をすることが難しくなるだろう。極論ではあるが消費活動が出来なくなった労働者はやがて死に絶え、資本家は生産により利益を得ることどころか、生産することすらできなくなる。
例えば戦後日本では、インフレによって紙幣が価値を喪失し、市場経済が崩壊した。所有資産により消費財を得ることのできなくなった社会では、餓死、物々交換、武力による略奪などの原始的な状況が発生し、あるいは国家の統制を離れた闇市などの地下経済が蔓延るようになる。預金封鎖や新円切り替えといった、GHQと政府の介入なしには、この状況は打開できなかっただろう。
健全な資本主義体制を維持するには、偏り過ぎた資本を持たざる者へ再分配し、金の流通を滞りなくする必要がある。つまりは、政府が市場に介入することで、資本主義が機能するという考え方だ。これを否定したのが新自由主義であるが、その結果資本主義が危機に瀕していることは、トマス=ピケティ氏を持ち出すまでもない。
恋愛の場合も、これに似たようなことが言える。戦後日本を例にとると、20代の未婚率は1950年には20%代であったのに対し、2010年代では60%を超えるようになった。これは単純に見れば晩婚化が進んでいることをだけを意味するが、恋愛資本主義が結婚制度を行き詰らせている証左でもある。リア充と呼ばれる人たちが多数の恋愛を行うのに対し、現行法での結婚は1体1で行うものであるから、当然ながら結婚するカップルは減少せざるを得ない。結婚する男女が減少すれば、必然的に出生率が低下し、人口減少が始まる。少子高齢化社会である。
出生率の低下は、恋愛格差と経済的要因の両面から論じるべきであるが、恋愛格差自体が経済的要因を内包しているために、ここでは恋愛格差にのみ焦点を当てて論じる。
大局的に考えると、出生率の低下はむしろ歓迎すべき事態とも言えるかもしれない。人類個々の幸福追求、具体的には生活レベルの維持・向上の為には、このまま人口爆発を継続させることが問題になるだろう。もし人類社会の生産力と人口の釣り合いが崩れ始めれば、格差と貧困は現代より遥かに致命的なものになる。しかしながら、日本と云う国家に限って考えると、少子高齢化は由々しき事態であり、解決する方法を考えなければならない。
近い将来、移民による若年労働力の増大や、医療改革/年金改革等の弱者切り捨てによる老人等の削減など、過激な政策が行われるだろう。だが私は、行き過ぎた恋愛資本主義を是正することによって恋愛格差を是正し、出生率を上げる方法を提案したい。
反出生主義に近い立場にある私は、そもそも出生率を上げようとする行為自体に反感を抱くが、今回はあえて私見を抑えて解決策を考えたい。
まず知っておかねばならないのは、自由恋愛による結婚とそれに基づく現代日本的な家族観は、普遍的価値観ではないということである。高校か大学を出て就職し、恋愛をして家庭を持つ。夫は会社で働き、母は専業主婦として子供の面倒を見る。夢のマイホームを建てて、子供たちが成長すると家を出る。やがて彼らもまた同じことを繰り返し孫が誕生する。孫の成長を見守りながら、年金を受給して寿命で死んでいく。これはごく限られた時代の、昭和後期から平成前期に主流となった極めて限定的な価値観である。
この価値観を真理と誤解し、自由恋愛の行きつく先と思い込んでいる以上、出生率が回復することはあり得ない。これを打破するには、一夫多妻制の導入や事実婚の積極的容認などの手段がある。しかし現実的に言って、後者がともかく前者が容認されることは、現代日本では難しいだろう。非嫡出子相続差別違憲問題において、改めて明らかになったこの国の保守的な実情からも、一夫多妻制容認はハードルが高いと言える。
とは云うものの、私はこの限定的な価値観を踏まえて解決策を考える。なぜならば、大多数の日本人はかかる原理に基づいて自由恋愛を行っているのであり、いわば現代日本の基盤とも言えるシステムだからである。
恋愛とは極めて個人的な活動であり、その性質からして他者の介入は基本的に好まれない。しかしながら、恋愛資本の再分配が行われていないかと云うと、実は様々な形でなら行われている。
ソープやヘルス、アダルト動画といった風俗業と呼ばれる脱法売春。美少女ゲーム、萌えアニメ、アイドルといったアキバ系文化。これらは資本により恋愛資本を取得しようとする試みである。
後者は擬似的な恋愛であり、出生率に結びつくことはない。むしろ、現実の恋愛に対する意欲を減少させる、言い換えれば自らの恋愛資本を失わせる危険性もある。恋愛弱者が再分配によって更なる弱者となるのか、それとも再分配が恋愛弱者を作り出すのかはともかく、"非リア"と呼ばれる恋愛弱者と、オタク文化が密接に繋がっているのは、一般論から言えば事実である。抽象的なデータになってしまうが、例えば女性サイトの「恋人にしたくない男性ランキング」などでは、毎回のようにアニメオタクなどのオタクが上位に選ばれるし、逆にオタクたちはそう言ったリア充女性を、スイーツ(笑)やま~ん(笑)と敵視して恋愛に意欲的ではない。リア充男性の場合は女性よりもその敷居は下がり、一般的に言ってオタク女性に寛容な場合が多いが、この現象はより恋愛格差を増大させる要因にもなっている。
前者はそもそも売春であり、人の倫理から外れた行為である。風俗に従事する女性は、その行為自体が自らの恋愛資本を低下させる。風俗嬢やAV女優と結婚したいと考える男性は一般的な価値観の持ち主とは言えないだろう。風俗という再分配制度は、後者と反対に女性を恋愛弱者にしてしまう危険性を孕む。風俗を利用して現実の女性と性交することで、性欲を増大させて恋愛資本を高める男性は存在するだろう。結果的に出生率を上げる効果はあるかもしれないが、女性の犠牲による出生率の低下、そもそもの倫理的な問題を鑑みるに、歓迎すべき方法とはとても言うことが出来ない。
このように、現行の金銭による恋愛再分配システムは、事実上機能不全に陥っている。そもそも女性は恋愛経験自体が恋愛資本を低下させる(処女崇拝)場合もあり、これらも含めて健全な恋愛再分配制度を構築し、恋愛結婚制度を円滑に機能させねばならない。
そのような恋愛再分配システムには、3つの条件が必要とされる。第一に、両者の自由意志によって行われること。第二に、いずれかを恋愛弱者に転落させるような方法(風俗)であってはならないこと。第三に、資本(金銭)の介入があってはならないことである。
格差がマーケットを縮小させるならば、それをいかに広げるかが肝要である。恋愛市場における需要と供給とは参加者そのものだ。参加者が増えれば増えるほど市場は拡大し、恋愛資本主義は効率よく機能する。資本主義で言う移民、すなわち国際結婚という短絡的解決手段もありうる。恋愛弱者の相手となるのは中国やフィリピンと言った途上国であるが、我が国の経済的地位が脅かされている現在では、恋愛弱者の持つ資本の魅力も低下しており、家族への仕送りの要求や日本人女性による子供の誘拐、混血児への迫害等、様々な問題にも発展しやすい。ここでは国内のみでの自律的解決を模索したい。つまりは現行の恋愛市場に参加していない人々、市場から撤退した人々を、再び市場に取り込むのだ。
恋愛資本とは抽象的観念である。具体的には何を分配するかと云えば、恋愛経験そのものを分配すればよいのだ。それがこの度私が提唱する"恋愛バンク"である。これは"フードバンク"に着想を得たものだ。フードバンクとは、商品にならず破棄されるが食品としては問題のない製品を、回収して必要な人間に分け与えるシステム。これに従い、恋愛資本家が提供可能なスケジュールを恋愛バンクに提供し、恋愛経験が必要な恋愛労働者が利用するというもの。提供したスケジュールは"恋愛資本"であるため、どんな相手だろうが断ることは出来ない。
出会い系のように特定の個人と出会う目的ではない。恋愛資本の再分配であり、恋愛労働者が享受するのは恋愛経験自体であって個人対個人の関係ではない。恋愛弱者は往々にして仕事で恋愛を提供している(風俗嬢やアイドル)に特別な感情を抱きがちだが、恋愛バンクにおいては関係を発展させることは制度の趣旨に反するため、出会い目的で使用することは厳禁である。恋愛弱者は、恋愛資本の提供を受けて、恋愛市場に参入することを目的としなければならない。有り体に言えば、恋愛の訓練を実践するのだ。
したがって、結婚相談所やお見合いパーティーのように将来を前提としたものではない。マーケットにおいて必要とされるのは、その場の人間関係ではなく、個人の意思と能力なのだ。
モデルとしてはレンタルフレンドに似ている。ただ恋愛バンクの場合は営利目的ではなく、"少子高齢化対策の一環として恋愛資本の再分配による恋愛市場の健全化を促進する"という公益を目的としている。性質上、企業がこれを行うことは出来ない。公共事業として国家が運営することが望ましいが、現実的には公益法人によって運営されるだろう。
この設定で短編を書こうとしたら、恋愛のことなんか一行も書きたくないことを思い出した。それにしても、風俗やアイドルを"恋愛資本"と考えるってのはなかなか核心を突いているのではなかろうか(自画自賛)。