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数式の持つ意味

 ハリーの話はこういうことだった。

 

 ハリーの祖父、リチャード・ケネスがまだ若かった1920年代の頃に話は遡る。

 当時、リチャードはセントラル・スクウェア在住の数学者で、ある彼の理論に賛同する幾人かの同志と共に小さなサークルを作り、その理論を証明するために研究を進めていた。

 

 彼が唱える理論というのは、ある種の代数を含む連鎖数式と幾何学形を理解することにより、その数式が示す空間、時間を知覚できるというもの。『簡単に言えば、数式を解くことにより別の世界に行くことができるということ』

 まだ魔術や錬金術に信憑性が多く残っていたこの時代には、リチャードの行為は多くの人に嫌われていた。そして、彼の行為によりケネス家の評判が落ちることを恐れた当時の親戚達は、リチャードとの交流を完全に断つことを決断したのだ。


リチャードの死後、彼の残した研究の成果は、ケネス家の秘密の部屋に保管され、誰も興味を持つことがないまま、長く日の目を見ることはなかったのである。

 ところが、それから約百年の年月を経て、遂にそれに再び興味を示す人物が現れたのだ。

 

 それこそが、ハリーの孫娘ベルだったのである。

 

 脳に腫瘍が見つかり自宅で療養していたベルは、ケネス家のあまり人が入らない部屋の奥で、たまたまリチャードの残した資料を見つけた。本来当時まだ十歳の少女が興味を示す物とはとても思えなかったのだが、彼女はそれらを全て自室に引っ張り込むと、時間を忘れて数式の並んだ古い紙の断片を読みふけるようになった。

 そして、リチャードの言っていることは本当だったと主張するようになったのである。


                ★


「神父様。あまりに非現実的な話が多くて、大変理解に苦しまれておいででしょう。しかし、私がここまで話したことは、どれも事実のつもりです。あまりにおかしな話ですので、無理に全てを理解して受け入れてもらおうとは思っておりません。ただ、アメリカからわざわざここまで来て、神父様を騙そうという気持ちはございませんし、私の頭がおかしいと思われておいでなら、それでも構いません。しかし、是非協力していただきたいことがあるのです」

 ハリーはテーブルに手を付くと、ロバートの顔を覗き込むようにしながら話を続けた。


「神父様。実はこの電話やファックスの発信元をFBIに調べてもらったのですが、

それがここ、日本の鳳町だったのです。この用紙に書かれた数式の筆跡鑑定もしてもらいましたが、これもまたベルの筆跡の可能性が高いということでした。お願いです、神父様。私はこの町について何も存じ上げておりません。警察にも行ったのですが、何やら子どもの誘拐事件があったとかで、相手にしてもらえませんでした。どうか神父様の手で、この老人の疑問を晴らすべく調査をしていただけないでしょうか?」


 あまりの突然の申し出に、ロバートは面食らってしまった。

「ちょ、ちょっと待ってください!ハリーさん。私はただの神父ですよ?

神に仕えるのが私の仕事です。そのような私立探偵のようなことはできませんよ」

「大変失礼とは思いましたが、神父様の身元調査をさせていただきました。すぐに大変信頼の置ける人物であるという返事を頂きました。お願いです。私にはもう頼れる人物がいないのです」

 

 ハリーは、遂にテーブルにまるで額を擦るように頭を下げた。

「この先の短い老人に納得のできる答えを探してください。それが例え、どんな残酷な答えでも構いません」

 

 ハリーがゆっくりと顔を上げた。その顔を見て、返答に困っていたロバートはどきりとしてしまった。老人は涙を流していたのである。

 もちろんこのような悲痛な訴えの表情のどこにも、彼が嘘を言っているような様子は見られない。

 

「神父様。実は私は孫の死に顔すら見ていないのです。ベルがどこに埋葬されているかも知りません。政府の機関に勤めている娘婿が司法解剖のためとか言って遺体を引き取ってしまい、もうそのまま数ヶ月も会っていないのです」


 ハリーの表情は、悔しさをにじませているようにロバートには見えた。

 例え彼でなくてもこの老人のこの訴えを聞いたのであれば、強い同情を持たざるを得ないであろう。

 

「神父様・・。私はね、もしかしたらどこかで孫が生きているのではないかと・・。そんなふうにすら思っているのですよ」

 

 教会の中にしばらくの沈黙が訪れた。 

 ロバートは、実は少し困っていた。本来ならばこれは神父としての役割とは別物であり、およそ引き受けられるような依頼ではない。


しかしロバートは、ある聖書の一節を思い出していた。

「全て、疲れた人、重荷を負っている人は、私のところに来なさい。私があなたがたを休ませてあげます・・・か・・」

 マタイによる福音第十一章二十八節の言葉である。


「顔を上げてください、ハリーさん。」

 やれやれ、仕方ないか。多分ロバートはこんな心境だったのだろう。

「判りました、お引き受けしましょう」

 ロバートの言葉に、ハリーがはっとして顔を上げた。どうやら承諾してもらえるとは思っていなかったようである。

「本当ですか?」

「はい。ですが、前にも言いましたが、私は神に仕える身です。私立探偵や警察のような専門的なことはできません。他にもやらなければならないことも多くあります。『少しずつできることから』、ということでよろしいなら、喜んでお引き受けしましょう。まずはこの町に、白人系の少女が住んでいるかどうかから調べてみようと思います。何か手掛かりがあれば、そのつど電話か何かでお知らせしましょう。それでよろしいですか?」

 

 ロバートの承諾に、涙に暮れた老人が彼と歓喜の硬い握手を交わした後のことである。ハリーが教会から去ろうとした時、ロバートが何故か急にハリーを引き止めた。

「どうしましたか?」

 ハリーがロバートを見ると、彼は少し聞き難そうにしながら、こう切り出した。

「いや、その、直接調べ事とは関係無いのですが、少し興味があって聞きたいことがあるのですが・・・」

「ええ。私に答えられることならどうぞ」

「例の数式のことなのですが・・」

 

 ロバートは一度ハリーから視線を外して自分の足元をちらりと見てから、もう一度彼に視線を戻した。

「数式を理解することによって別の世界を見ることができるとおっしゃいましたよね。仮にあの数式の効果が本物だとして、それを十歳の少女が理解できたとして・・。彼女は一体何を見たのでしょうか?」

 神父の意外な質問に、ハリーは即答することはできなかった。

 しかし、しばらく考えた後、彼はこう答えたのだった。

 


「神父様。残念ながら、私にもベルが何を見たのかは分かりません。ただ、数式を理解するために単純で一番良い方法は、代数に『1』か『0』を当てはめてみることです。神父様。もしベルがこの方法で数式を理解しているとしたら・・・。あの子はきっと、世の始まりか、あるいはそれにかなり近い時間の世界を見たでしょうな。時間で遡れる本当の起源。いや、あるいはまだ時間すら存在していないかも知れない本当の最初の世界を。いずれにしろ、そこは我々では到底想像すらできない世界のはずです。そうは思いませんか?」


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