廃屋の少女【神酒視点】
しばらく抱き合って、あたしとキララはただ泣いていた。ずいぶん泣いて、そのせいか少しは気持ちが落ち着いてきたんだけど、でもまだどうしても動き回る気力は湧き上がってこなくて、あたしたちは黙ったまま、謎の廃屋の暗い廊下の隅に座っていた。
「キララ・・」
泣き止んでから最初にしゃべったのは、多分あたしだったと思う。
「はい・・。なんですか?」
「ナミね。あの子、最後にあたしの顔見た時、笑ったんだよ・・」
あたしにはどうしてもあのナミの最後に見た表情が忘れることができなかったよ。
あの時、ナミは確かにあたしとは別の方向に逃げていた。
獣が狙いを定めていたのはあたし。
その気になれば、ナミは間違いなく逃げることができた。
でも、ナミはそうはしなかった。
考えれば考えるほど、あたしの頭は混乱していた。
あれじゃまるで、ナミはあたしの身代わりを買って出たようなものじゃない。いくらあたしたちが仲良しだって、友だちのためにそこまでできるの?。
しかも笑顔まで見せて・・・。
「おかしいよね。あんな化物の前に立ってさ。あたしの身代わりみたいになって・・。足なんか、あんなにガタガタ震えていたのに・・・」
「・・・・」
「キララ。どうしてあの時、ナミは笑ったのかな・・?」
キララがゆっくりと立ち上がった。そしてあたしの前に立つと、あたしに手を伸ばしてこう答えた。
「ミキさん。私には、何故ナミさんが笑ったのかは判りません。でも、帰りましょう。生きて必ず帰りましょう。それで帰ってからもう一度一緒に泣きましょう。そうすれば、もしかしたらナミさんがどうして最後に笑ったのか、判るかも知れません。」
「そだね・・。後は帰ってから考えよっか。」
結局、あたしにはこの時、納得のいく答えは出せなかった。
正直不安は山のようにあった。
いつでもすぐに泣き出せる気持ちだったけど、それじゃダメって、あたしもキララも判っていたと思う。
なぜって言われたら、それはナミがそれをが何処かで望んでいるような気がしていたから。
だからあたしたちはお互いに手をしっかりと握って、ぴったりと肩を寄せながら歩き出したんだ。
実際建物の中は外から見た時と同じように、もう何十年も人が住んでいないような様子だった。部屋はいくつもあったけど、どれもが汚れていて、埃が溜まって、床や壁も崩れ落ちていて、リフォームや改築では修復できないぐらいひどく荒れている。
あたしたちはしばらく暗い廊下を進んでいたんだけど、その時、あたしの耳に何か音楽みたいなものが聞こえてきたんだ。
「ミキさん、どうしました?」
「シッ!」
何だろう?規則正しい音の繰り返し。
「キララ、聞こえない?」
あたしたちは息をできるだけ小さくして、目を瞑り、その音に集中した。確かに何かが聞こえてくる。
「何でしょう?歌みたいに聞こえますね」
「あっちだ、行ってみよう」
2人で音のする方向へ進んで行くと、その音は歌に変わり、二階に続く登り階段を見つけた時、それが誰か女の子の歌声だってことにあたしたちは気付いた。
「この先の二階から聞こえてくるみたいですね」
「誰だろ?こんな家で歌っているなんて」
「さあ。でも、私達ぐらいの女子の声みたいですね」
「まさか、リコ?」
キララが首を横に振った。
「残念ながらリコさんの声ではないと思います。でも、とにかく行ってみましょう。今はそれしかありませんから」
2人で並んだまま、階段を上りだした。
一歩足を段に乗せる度に、ギシリと気味の悪い音が響く。
雛の森には子どもの幽霊がいるとリコは言っていた。だからあたしたちは、この先に花子さんみたいなお化けがいるかも知れないと薄々思っていた。
普通なら、リコは別にして、あたしやキララはそんな場所には近づかないと思う。でもこの時は違っていた。
少しでも助けてくれる人がいるなら、それに賭けてみたかった気持ちもあるし、助けてくれるなら、別にそれがお化けでも構わないと思っていたから。
そして、あたしたちは正面にドアが半分開いた部屋を見つけた。部屋の中から優しい歌声が聞こえてくる。
「何の歌かしら・・」
幻の影を追いて 浮世にさまよい
うつろう花に 誘われゆく わが身の
はかなさ
春は軒の雨 秋は庭の露
母は涙 乾く間無く 祈ると知らずや
幼くて 罪を知らず 胸に枕して
むずがりては 手に揺られし
昔忘れしか
春は軒の雨 秋は庭の露
母は涙 乾く間無く 祈ると知らずや
汝が母の たのむ神の 御許には来ずや
小鳥が巣に 帰るごとく 心安らかに
春は軒の雨 秋は庭の露
母は涙 乾く間無く 祈ると知らずや
汝がために 祈る母の
いつまで世にあらん
永久に悔ゆる日の来ぬ間に
とく神に帰れ
春は軒の雨 秋は庭の露
母は涙 乾く間無く 祈ると知らずや
そこには、一人の女の子がいた。
年齢はあたしたちと同じぐらいかな?
顔は向こう側にある窓の外を眺めているから見ることはできないけど、髪の毛の色が金髪に近い茶色をしていて、なんとなくヨーロッパかアメリカ人に見える。
髪の毛は腰に届くほどの長さで、白くて清潔な襟付きのシャツ、黒いスカート、真っ白なソックスを身に付けていて、膝をたたみ、正座を崩したような姿勢で粗末なベッドの上に座っている。
ベッドの上にはまるでその女の子を取り囲むように、何かが書かれたレポート用紙みたいな物が敷き詰められているのが見えた。
この部屋は他に比べればずいぶんきれいな部屋だったけど、それでもとても人が生活しているようには見えない。
「どうする?声かける?」
「そうですね。とりあえず幽霊ではないようですけど・・」
最初にキララがドアをノックしたけど、その女の子は歌に夢中なのか、それとも窓の外の景色が気になるにか、こっちには気付かない。
「あ、あの・・」
今度はあたしが思い切って声をかけてみた。
すると女の子は歌を止め、静かにこちらを振り向いた。
やっぱり日本人じゃなかった。多分ヨーロッパ系の人だったんだと思う。
青い瞳が吸い込まれそうなほどにきれいな、整った顔立ちの女の子。
その子はあたしたちの方を見ると、驚いた様子も見せないで、ニッコリと笑ってみせた。
最初に彼女を見た時のこと、よく憶えているよ。
冷たくはないけど、なんとなく温かみもあまり感じられないような表情の事。
「こんにちは。どなたですか?」
その子は、発音のはっきりとしたきれいな日本語を話した。決して大きな声ではなかったけど、よく響く通りの良い声だった。
「こ、こんにちは。私はキララです。この子はミキさん」
「キララさんとミキさんですね。私の名前は、ベルです」
とりあえずあたしたちは、ベルが幽霊じゃないって判ったもんだから、多分安心したんだろうね。いろんなことを話しかけたの。
「ベル、教えて。あの怪物は何?いったいここでは何が起きているの?」
ベルはキララに負けないぐらい冷静な女の子でさ、あたしたちの話を黙って聞いていたの。それであたしたちの話が終わった後に、ぽつぽつと彼女も話を始めた。
「そうだったの。そのお友達には気の毒なことをしましたね。あの獣については、私にも判りません。ただ、名前が無いと話しようがないので、わたしはあの獣を『パラケルスス』と呼んでいます」
「パラケルスス・・・」
パラケルススというのは、十五世紀から十六世紀に実際に存在した錬金術師の名前だって言ってた。
「パラケルススが何処から来たのか、何故人を襲うのか、それは私にもわかりません。私も先日この町のこの森に迷い込んだ時に、あの獣に追われてこのお屋敷の中に逃げ込んだのです」
「ベルはいつからここに居るの?」
「さあ、分かりません。随分長い時間、ここに居るような気がします」
「ふーん」
キララがベルに同情したのかな、彼女の両肩に手を置いたんだ。そしたらベル、何か思ったのか一瞬だけどあたしたちの顔を、何かを訴えるような目で見たんだよね。でもそれは本当に一瞬だけで、また元の優しそうな笑顔に戻ったんだ。
「ありがとう。あなた達は、とても優しい人ですね。ここから見ているだけでよくは判らないのですが、パラケルススはこの屋敷の地下にある一室に子ども達をさらっては集めているようです。あなた達が探している絵里子さんという方も、もしかしたらそこに居るかも知れませんよ」
「地下?この建物に地下室があるの?」
「はい。以前このお屋敷に居た住人が使っていたのでしょう。ここにはカタコンベがあるのです」
「カタコンベ?」
「はい。簡単に言えば、地下にある墓地のことです」
「墓地って・・、墓場のこと?」
「はい」
あ〜あ。今度はお墓か。
やっとパラケルススから逃げたと思ったのに、また恐いところに行かなきゃなんないのか・・。
「行くのですか?」
「まあね」
「せめてリコさんを見つけてあげないと、ナミさんに顔向けできませんから・・」
「うん」
これ、別にあたしたちがそうしようって意見を合わせていたわけじゃないよ。
でも、あたしとキララは同じ気持ちだったんだ。
だって、これでもしリコも助けることができなかったら・・・。
それじゃナミになんて言い訳していいかわからないでしょ?
・・・ううん。そんな使命感ともちょっと違うかな。
ゴメン。ちょっとうまく説明できないな・・・。
「ベルさん。お願いがあります」
キララが急にかしこまったようにして、ベルに話しかけた。
「リコさんを助けるのに、ベルさんにも力を貸していただけませんか?」
あたしも同調した。
「うん、賛成。あたしとキララだけじゃ、どうしても不安なんだ。ベルも一緒に来てくれると、すごくうれしい」
あたしたち申し出にベルは少し戸惑っていたけど、ゆっくりと目を伏せると、寂しそうに答えた。
「一緒に行きたいのはやまやまなのですが・・・」
ベルは、伏せた目を自分の足に向けた。
この行為を見て、あたしはなんとも思っていなかったけど、キララは気付いていたみたい。さっきからベルと話をしている間、あたしたちは部屋の中を歩き回ったり、窓の外の風景を眺めたり、廊下に出て様子を見たりしてしきりに動き回っているのんだけど、ベルはベッドの上から全く動こうとしない。
上半身だけはこちらの方に向けるんだけど、足は全然動かす気配がなかったの。
「ベルさん。あなたまさか・・」
ベルは目を伏せたまま答えた
「はい。私の足、動かないんです」。
「・・・ごめん・・。余計なこと言っちゃったかも・・」
「気にすることはありませんわ」
「もしかしてそれも、あのパラケルススからやられたの?」
「・・・ええ・・」
「許せない・・」
あたしは、ぎゅっと右手の拳を握った。別に大袈裟にしたわけじゃないよ。ただ許せなかったんだ。なんの罪の無い一人の女の子に牙を向けるパラケルススが。
だって、こんな理不尽なことってないじゃない!
「リコをさらって、ナミを奪って、ベルにまでこんな目に遭わせるなんて・・・。よしわかった。ベル、リコを見つけてきたらまた戻ってくるから、あんたも一緒にここから逃げよ!」
「え?」
あたしの言葉に、ベルがキョトンとした。
「どうして?」
「どうしてって?あんた一人だけここに置いておけるはずないじゃん」
「でも、私とあなた達は知り合いでも何でもないし・・」
「はぁ?」
あたしはちょっとイライラした。なんでこの子はこんなまどろっこしいことを言うんだろう?
仲良くなるのに理由なんていらないのに。
「知り合いじゃない?んじゃ、はい。今からお知り合い!ううん、お友達!はい、これで文句ある?」
「お友達・・ですか?」
「そうよ。文句ある?」
この時、ベルは今まで見たことのないような笑顔を見せたんだ。
今も忘れられないよ。あの満面の笑顔。あたしたちも釣られて笑っていた。
「いえ、ありません。でも、危険ですよ。そんな危ないことをして、あなた達の身にもしものことがあったら・・」
「心配してくれてありがとう。でもどんなに危険でも、人を助けるのに理由はいらないと思うんです。相手が友達ならなおさらね。ベルさん。リコさんを見つけたら、必ずまたここに帰ってきます。それまでここで無事で待っていてください。いいですね?」
あんまり顔には出さないけど、多分パラケルススに対する気持ちは、キララもあたしも同じだったと思う。
キララのことだから、もしキララがあの怪物に対抗できる方法があったら、自分が危険でもそれをやると思う。
キララはそういう子だから・・・。
あたしたちの話に、ベルは最初キョトンとしてたんだけど、その後こんなことを言ったんだ。
視線を外して、あたしたちに聞こえないような小さな声で・・・。
「そうなんだ。だからあなた達は・・。」
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「え?」
「いえ、なんでもありません。判りました」
「オーケー。じゃ行こ、キララ」
「そうですね」
部屋を出ようとした時、ベルがあたしたちを呼び止めた。
「気をつけてください。先程あなた達が言っていた通り、ここには病気で死んだ子ども達の魂もまた人形に魅かれて集まってきています。そしてそれらも、パラケルススによって地下墓地に捕らえられているようです。魂達の心は満たされていません。あなた方にそれらも襲いかかってくるかも知れません。それでも行きますか?」
心配してくれてるんだ。あたしはぐっと親指を立てた。
「今更障害が増えたって変わらないよ。どうせ作戦とか計画とかは何もないもん」
「行き当たりばったりですけど、計画を建てようもないですからね」
こうしてあたしとキララは階段を降りて、リコが待っている地下墓地に向かって行ったんだ・・・。
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一人部屋に取り残されたベルは、二人を見送りながら、じっと廊下の方に顔を向けていた。しかし何故か、その表情は先程の優しい笑顔を浮かべていたものとは打って変わっていて、厳しく、何かを呪うかのような恐ろしげな顔つきになっていたのである。
「うらやましいですわ、あなた方が」
そして階段を下りていく2人の足音が遠ざかるのを確認してから、音を立てずに足を伸ばすと・・・。
ベッドの側に立ち上がったのだった。