メモリー
(ここは、大切な思い出の場所……)
「ここから先は行かせない……!」
俺は剣を構えなおす。
―――そして、辺り一面に耳をつんざく程の爆音が響き渡った。
† † † †
うっすらと積もった雪の中に咲き誇る青いローズマリー。
その中を元気に走り回るのは、俺の主ルカ様だ。
元気に走り回るその姿は妖精のように愛らしい。
「ルカ様、そろそろ中へお入りください」
「ギル。何度も言ってるけど、あたしのことはルカって呼んでよ」
ルカ様は不機嫌そうに目をつり上げる。
「しかし、俺は護衛ですので……」
なおも言いよどむ俺にルカ様は視線で訴える。
「……わかりました。ルカ」
俺がそう呼ぶと、ルカの口許がほころんだ。
「さぁ、中へ入りましょう」
俺はルカの手を取って、館の中へ入った。
ここは森の奥深くにある大きな館。
森の奥にあるせいか、人はここに寄り付かない。
それでいい、と俺は思う。
この館に住んでいるのは俺とルカの二人だけだ。
それでも不自由なく過ごせている。
「もう、三年も経つのね……」
ルカは窓の外を見ながら、ぽつりと呟いた。
俺も雪が降り始めた外を見ながら、あの頃のことを思い出していた。
三年前も今のように雪が降っていた。
追われる身だった俺とルカは、たまたま見つけたこの館に身を潜めることにしたのだ。
『大丈夫ですか、ルカ……』
ルカは何かに怯えるように身体を震わせていた。
俺はそっとルカの肩を抱くと、顔を覗き込んだ。
『いやっ!』
瞬間、振り払われた手。
ルカの身体がびくりと大きく跳ねる。
『ルカ?』
『あなた誰なの!?あたし、なんでここにいるのよ……!?』
嘘だと思いたかった。
でも、ルカの困惑した顔が嘘じゃないことを物語っていた。
ルカは記憶を失った。
俺のことも、今までの出来事も、そして自分自身のことも……。
『あなたの名前は、ルカ。そして、俺はギルです』
『ギ、ル……?』
『はい』
ルカに名前を呼ばれるのが好きだった。
『名前を聞いても思い出せないわ……』
ルカは悲しげにつぶやく。
そんなルカを見ることが、とても辛かった。
だから俺はルカに嘘をついた。
『俺はあなたの護衛なんですよ、ルカ……』
いや、嘘はついていない。
ただ、言わなかっただけだ。
(本当のことを言ったら、ルカは苦しむかもしれない)
そう考えた俺は、ルカに真実を伝えなかった。
だからルカは今も知らない。
本当のことを―――。
「ねぇ、そのよそよそしい態度どうにかならないの?」
「そう言われましても、俺は護衛ですから」
「護衛だっていうのは分かってるわよ。でも、前はもう少し砕けた感じじゃなかった?」
ルカはアップルティーを口に運んだ。
「ルカ、思い出したんですか?」
俺は思わず身を乗り出していた。
ルカは驚いたように目を見張った。
「ち、違うわよっ。とにかく、その堅苦しいのを何とかしなさいと言っているのよ!」
ルカは薄く頬を染める。
(素直に言えばいいのに。もっと仲良くなりたいって)
記憶を失くしても、そういうところは変わらない。
ルナはルカのままだ。
思わずくすりと笑ってしまう。
「ちょっと、何を笑っているのっ?」
「いえ、何でもないですよ」
考えていることがなんとなく分かってしまうので、思わず顔が綻んだ。
「あっ、そうだ!これからあたし達は友達ね。やっぱり護衛だなんて堅苦しいわ!」
ルカは笑顔で提案する。
「友達……ですか」
「な、何よ。友達じゃダメなの?」
ルカが悲しそうな表情をした。
俺はきっと、また不満そうな顔をしたに違いない。
「いいですね、友達。でも、せっかくなので親友にしましょう」
「あら、親友ならその堅苦しい敬語をどうにかしないとダメねぇ」
「ははっ。まいりましたね~」
俺はティーカップを片付けながら、ルカと微笑んだ。
「いいですか?誰かが来てもすぐに扉を開けてはなりませんよ」
「分かってるわよ。じゃあ、気をつけてね。行ってらっしゃい」
バタリと閉じられる扉。
ギルは今、買い物をしに街へ出かけて行った。
ギルは相変わらず心配性だ。
(そんなに心配しなくてもいいのに。あたしだってやれることはあるわ)
記憶を失くしてから三年が経った。
ある程度はギルに教えてもらったのだけれど、まだわからないことが多い。
特に、あたしの昔のこととかギルのことは曖昧にしか教えてくれなかった。
ギルはあたしに何を隠してるのかしら?
気になるけどなぜか訊けなくて、もやもやする日が続いていた。
(だって、たまにすごく悲しそうな表情するんだもの……)
そんな顔をするギルが気になって仕方がない。
思い出したいのに思い出せない。
(どうして……?)
今までにふっと『何か』を思い出すときがある。
でも、そんな日は必ずギルが怪我をする。
これは、何か関係があるのだろうか……?
「ただいま、ルカ」
ギルがたくさんの荷物を抱えて帰って来た。
「たくさんの荷物ね。あれ? 後ろにいる方は?」
ギルの後ろにいるのは、メガネを掛けた背の高い女の人だった。
「申し遅れました。わたくしは、ロマリア伯爵家の使いの者でございます」
女の人は、きれいに礼をした後、ギルに向かって言った。
「ルカーネス・ソル・ロマリア様を引き取りに来ました。今までありがとうございました。ギル様」
(ルカーネス? 誰のことなの?)
あたしが首をかしげていると、女の人は手を差し出した。
あたしに向かって。
「さぁ、行きましょう。ルカーネス様」
「あたしはルカーネスなんて名前じゃないわっ! ギル、そうでしょう?」
ギルからの返事がない。
ギルは下を向いたままで表情すらうかがえない。
(ちょっと、ギルはどういうつもりなの!? 連れて行かれるあたしを見て何とも思わないわけ!?)
怒りにまかせて、そう叫ぼうとしたとき、あたしは気づいてしまった。
ギルの頬に、いくつもの滴が伝っていることに。
「ギル、待っててね。絶対、絶対帰って来るからっ」
あたしは女の人に手を引かれながら、傍に待機していた馬車に乗り込んだ。
ギルを忘れないように、しっかりギルの姿を目に焼きつけて―――。
これが最期だなんて誰も教えてくれなかった。
どうして忘れてしまったんだろう―――。
「あなたの本当の名は、ルカーネス・ソル・ロマリア。ちなみに、ルカはあなたの愛称です。ロマリア伯爵の娘であるあなたは隣国の王の追手によって殺されかけた」
あたしはそこまで聞いて、息をのんだ。
(あたしが伯爵の娘……?)
「ギルは……、ギルは何者なの?」
あたしと一緒に過ごしていた優しいギル。
このままじゃ、ギルも危険なはず。
「ギルはあなたを守っていた騎士。そして、あなたの恋人でもあります」
(ギルがあたしの恋人……。だから、いつも心配してくれていたのね)
なぜだか、すんなりと受け止めることができた。
ギルの微笑んだ顔が浮かぶ。
でも、どうしてギルは一緒に連れて来なかったのだろう?
あたしが考えていることがわかったのか、答えてくれた。
「彼には、あの館を守る義務があります。それに、ルカーネス様とギル様にはある呪いがかけられてしまったのです」
淡々と語られているせいか、現実味を感じない。
「呪い。それは記憶に関わるもの。おそらく、ルカーネス様とギル様が逃げてからかけられたものでしょう」
そのとき、頭がズキンと痛んだ。
「ギル様が怪我をすると、少しずつ記憶が戻る。全ての記憶が戻るのはギル様が……死んだとき―――」
ガキン、ガキンッ、と剣と剣がぶつかり合う音が響く。
敵は九、十人か、それともそれ以上か。
(くっ……。あまりに数が多すぎる……)
俺一人ではとても歯が立たない。
でも、諦めるわけにはいかなかった。
(ここは、大切な思い出の場所……)
敵の攻撃をかわしても、また次の攻撃が繰り出される。
俺は攻撃を防ぐだけで、精一杯だった。
(あれを使うしかないな……)
俺はポケットに隠し持っていたものを取り出した。
(すみません、ルカ……)
この館を、思い出を壊されるわけにはいかないのだ。
「ここから先には行かせない……!」
俺は剣を構えなおす。
―――俺はルカの為なら……。
俺は自爆装置に手をかけた―――
† † † †
大好きだった。
離したくなかった。
† † † †
全てを思い出したかなんてわからない。
でも、胸騒ぎがする。
今までに感じたことなんてないほどの。
「ねぇ、お願い! ギルのところに連れてって」
「それは無理です。あの館には敵が向かっています。今行くのは危険です」
(そんな……!)
そのとき、心臓が大きく跳ねた。
嫌な予感がする。
ゾワリと全身が粟立つ。
記憶が一つ一つ戻っていくような気がした。
† † † †
ねぇ、ギル。
そこにいるんでしょう?
† † † †
扉を開けたらギルが笑顔で迎えてくれる。
いつものようにアップルティーを準備して待っている。
そうあることを願いながら、館の扉を開けた。
しんと中は静まり返っていて、人の気配がない。
「ギル……。ちゃんと帰って来たよ。ただいま、ギル」
あたしはうろうろと館内を歩き回る。
「ギル、どこにいるの? 出てきてよ。あたし……記憶、戻った、のよ……? 恋人として、戻って……」
その後は声にならなかった。
鼻の奥がつんとして、目頭が熱くなる。
本当は気づいていた。
ただ気づきたくなかっただけ。
テーブルの上の一輪のローズマリー。
―――ルカ、知ってますか? ローズマリーの花言葉。
―――静かな力強さ、なんですよ? ルカにぴったりですよね。ルカは本当は強い子ですから。
(ギル……っ)
―――あなたが好きです。愛しています。
(あたしも愛しているわ)
―――忘れないでくださいね。この言葉。
(ごめんなさい。……忘れてしまって……)
床に温かい滴が零れていく。
とめどなく流れる涙を止めることができなかった―――。
―END―