59.川風に学ぶ
雨が止んだからか多くの荷馬車が王都へと向かう中、俺たちは無事町の入り口にたどり着いた。
王都よりは低い石壁に囲まれた町、バラトンは大きな川を真ん中にはさむように作られている。
門の前では、一人一人身分証を確かめ、入町料というのを払うから、その順番待ちをしている間、様子を見ながら話を聞くことにした。
川のこちら側は、商業地区、向こうは農業が盛んな地区。
ふたつの地区をつなぐのは、船だけ。
川にはしっかりとした堤は作られているが、橋はない。
この町までは、王の直轄地で物流の要となっている。
非常に豊かだが、兵が常駐し、王都の次に治安が良いだろうとヒースは教えてくれた。
俺はどかりと馬に座り、鐙を足に引っかけるような状態で話を聞いていたのだが、賢い馬は何も言わなくても前に続いて前進してくれ、騎士二人も情けないとは思っているかもしれないが、俺の姿勢には文句を言わないでいてくれた。
これは馬術の前に筋トレだ。
本当なら、二人のようにきりりとした姿勢と表情で乗っていたいのだが、初心者には難しかった。
「グレッグ様、ここから船に乗りますが、お体は大丈夫ですか?」
「休憩は船の中でするから大丈夫。
たぶん、馬から下りられないから手を煩わせると思うけど。
率直に、俺は馬に乗る才能あると思う?」
「普通の乗馬であれば、あと二、三度乗ればお一人でも歩かせることはできるでしょう。
ですが騎士としてならば、もう少し鍛錬が必要かと思われます」
「善処します」
予想通りの回答だったが、道は険しそうだな。
先頭のリッジがひらりと馬を下り、門番に身分証を見せると、かかとをつけ、ぴしりと音がしそうな程垂直になった。
「大変お待たせ致しました。どうぞお入り下さい」
リッジが連れだと言ってくれたからか、俺たちはすんなり町に入ることができた。
せっかく作ってもらった身分証の出番が無くて少し残念な気もする。
貸し馬屋の看板はすぐに見つかり、無事馬を返すと、町のにぎやかな通りに入った。
貝殻などの加工品や、綺麗な布地、家庭で使う道具類に混じって、剣やら盾やらの店屋があった。
王都よりもこちらの方が賑やかと言うか活気があるように思える。
鈍く重い足を慣らすようにゆっくりと歩いていると、兵士に声をかけられた。
この町は以前ヒースが警備隊の隊長を務めていた。
彼らはその時の元部下だという兵だった。
その彼らが、近衛が乗るのならと特別の船を手配してくれるらしい。
ありがたい申し出にそのままのっかり、俺たちは川の方に走っていく彼らをみながら、道をのんびりと下った。
大きな堤の先に沢山の船が停泊していた。
漁船のような小さなものに三角の帆がついているもの、二十人くらいが乗れる帆の無い船、大きな貨物船、遊覧船のような大きな客船、それぞれ船着き場が違うのか、小さいものから順に並んでいた。
定期船がでている大きな桟橋の周りには、食料などの物売りが出ていた。
昼食にといくつか買い、先行してくれた兵の元へ行くと、なにやらもめていた。
帆も無く、エンジンがついているようにも見えない船は立派な船室と、貨物室らしいものがついていた。
艪があるわけでも無く、他の船のように帆があるわけでも無い。
どうやって動くのだろうか。この船。
「この船は騎士団専用なのかな?
二十人くらい乗れるよね。
でも、帆も無くて、どうやって動かすの?」
「これは、高速艇と言い、魔力で動かします。
騎士団専用というわけではありませんが、騎士であれば優先的に利用できます。
通常の帆船が一日かかる距離も半日経たずにたどり着けます。
便利なのですが、日に何度も運行することはまれで、水夫が渋っているようですね」
話を聞いていると、南からやっと戻ってきた彼らは、今から俺たちを乗せてヨウロまで向かう魔力がないのだという。
その上、北方騎士団に呼び出されているため、他の高速艇も出払っている。
あきらめて定期船に乗るよう彼らはすすめてくれた。
「魔力だけなら、俺が供給する。それなら、船出してもらえる?」
「どちらの方か知りませんが、この船は普通と違って大きい。
いつもなら五人で動かしているんですよ。
騎士様三人じゃ向こう岸までしか動きませんよ」
以前どうしてもというので騎士に魔力供給を任せて船を出したことがあったが、途中で騎士達は使い物にならなくなり、それ以来騎士の大丈夫は信じないという。
向こう岸までというのは大げさだとしても、普通の人には簡単に動かせるものではないらしいな。
確かに水夫達は魔力を使って疲れているように見えるし。
「やってみてだめなら諦める。
高速艇に乗ってきたというだけでも話の種になるだろうし、ね。頼むよ」
水夫達は仕方ないなという顔で案内してくれた。
リッジが船の中を一通りチェックして、戻ってくると俺たちも船に乗った。
船首の一画に三日月のような飾りが並んでいる。ここから魔力を流すらしい。
取りあえず両手で真ん中あたりの二つを掴み、少し魔力を流してみる。
反応は無い。
両手を少しずらして、今度は違う二つに先ほどよりは強く魔力を流してみる。
今度も変化なし。
まだ使っていない三日月は一つだけ。
それに手を当てると、船の下で水音がし始めた。
全部に魔力が供給されないと動かないのか。
「これでどれくらい動くのかな? 船長」
水夫の中でも一番年嵩の男に尋ねてみると、鐘半分は動くだろうと答えてくれる。
ヨウロまでなら、二回の補給でつくそうだから、約三時間といったところか。
思ったより近い。
それならついてから、町を見て回ることもできるだろう。
「この程度で動くならあと二回大丈夫だと思う。
出港してくれるんだよね?
警備兵の人達もありがとう。お仕事頑張って下さい」
案内してくれた兵二人は、敬礼すると、ヒースに詫びて町の方へ戻っていった。
こちらが急いで出港したいのをようやくわかってくれたのか、船長が水夫達に指示を出し始めた。
高速艇の周りを確認し、乗船口を閉じると、俺たちを船室の椅子まで案内してくれた。
船室は窓があり、外の様子もよく見えた。
しっかりと固定された椅子に腰掛け、水夫達の動きを見ていると、一人が持っていた小さな笛を思いっきり吹いた。
「出港します。立ち上がらず、椅子に掴まっていて下さい」
そう言った水夫も、そばにあった椅子に座り、外にいた水夫達もそれぞれ何かに掴まっているのが見えた。
今まで足下でしていた水音がいったん止んだと思うと、すぐに体が椅子に押しつけられた。高速艇の名前の通り、ものすごいスピードで船が動き出したのだ。
窓の外に見えていた桟橋はどんどんと遠くなり、町から出たのか、川の堤以外何も見えなくなった。
「船って、初速は遅くて、もっとこう、ゆっくり滑り出すように動くものじゃ無かった?」
「他の船はそうですが、高速艇に限っては、出航の時から最大速度が出るようです」
「この船は特にそうなんです。
高速艇の中でも速度は一番ですが、操船技術のいる船だから、うちの船長しか乗りこなせないんです。魔力も喰うから、こっちは大変なんですが、急ぎの商人には人気なんですよ、荷馬車ごと乗せられるし。
もう少ししたら安定してきますので、それまで立ち上がったりしないで下さい」
水夫の一人が座ったまま続けて話してくれる。
「船の前の方で水を吸い込み、後ろから水を噴射してこの船は進んでいます。
今は少し左右に揺れていますが、そろそろ安定します。
安定してきたら、船長室以外なら自由に見ていただいて構いません。
お茶をご用意しますので少々お待ち下さい」
まだ少し揺れている中、水夫は俺たちの座っていない椅子に板のような物を載せ、簡易のテーブルを作り、道具を取りに行ったのか船室から出て行った。
窓の外を見ると、外にいた水夫は濡れた甲板を拭いたり、他の船の位置を知らせたりと忙しそうに働いている。
「船に乗るとお茶が出てくるのは普通?
それとも高速艇だから?」
「こういう場ではお茶などを出された場合それに対して代金を払います。
それが水夫達の収入になります。
運賃とは別に払うことになりますので、拒否することもできます」
お金持ちの乗る船だから、余分なサービスをするとチップがもらえる仕組みなのか。
そう言えばと思いつき、二人に金貨を五枚ずつ渡す。
「経費。払わなければならないときがよくわからないから、預けておく。
まだ金貨の価値がよくわかってないから、足りなかったら教えて欲しい」
「かしこまりました。
金貨は銅貨に換算すると約五百枚。小銀貨なら五十枚、大銀貨なら十枚分です。
親子三人ほどの家庭であれば一ヶ月金貨一枚あれば暮らせる程度でしょうか。
この船の支払いは既に済んでいますので、ゆっくりとお過ごし下さい」
船は乗るときに、馬車は降りるときに払うのが一般常識らしい。
定期船なら距離にもよるが小銀貨、貸し切りの船なら大銀貨、更に高速艇なら金貨というのが大体の相場らしい。
意外と交通費がかかる。
戻ってきた水夫にお茶を入れてもらい、少し遅めの昼食をとりながらここら辺の交通事情についてきいた。
船、馬、馬車、徒歩が移動手段の全てであり、船で移動できるところまでは船を使うようだ。馬や、馬車ごと乗れる船というのも多いが、これはもちろん、貴族や金持ちに限る。
たいていの人は、大きな町から乗合馬車で船のある所まで来て、定期船に乗り、目的地のそばで降りて、徒歩や馬車に乗るのだそうだ。
それだと王都からヨウロまで大銀貨で一泊二食付きが可能だという。
時間を取るか、費用を取るかというのはどこの世界でも同じようだ。
まあ、大体町の人は滅多に引っ越しはしないし、旅行もまれ。商人でも無い限り、生まれた土地を離れないのだそうだが。
今回は生誕祭の観光客が居たが、少なくとも近辺で略奪などが起きたという知らせも無く、街道沿いは兵士達の見回りのおかげか基本的に安全のようだ。
「女の人も歩いていたくらい街道が安全なら、もっと旅行客を王都に呼べば、更ににぎやかになるんじゃない?
王都ならではの珍しいお店とか、綺麗な物を売れば、町も潤うだろうし」
「街道を歩いていた女性?
それはたぶん王都の教会への巡礼者でしょう。
熱心な人は遠くからでもやってきますから。
今でもそういった旅行者はおりますが、多くを呼び寄せれば、治安の悪化や、もめ事は増えますから、国として人を呼び込むことはしておりません。
ですが、女性でも気軽に王都へ巡礼ができるよう努めるのは私たちの役目だとは思っております」
教会にとっても王都は聖地なのか。
今は季節でいえば冬。農閑期だろうし、雪も降らないなら良い案だと思ったんだが、ヒースは否定的だった。リッジも同意見のようだ。
「そう言えば、泥ネズミが出たのは川沿いだったよね。
どんなところにいるか教えてもらえる?」
実際に討伐したのは川も違うし、もう少し南の方だったそうだが、このあたりにも多く生息しているというので、甲板に出た。
船は飛ぶようにというと大げさだろうが、川を上っているにもかかわらず、凄いスピードで進んでいた。
漁をしているのか、止まっている船や、同じように川を上っている船もぐんぐん追い越してゆく。
このスピードで、他の船にぶつかる事が無いのは、船長の腕と、見張りをしている水夫達の目が良いのだろう。
馬や馬車を収納できる貨物室というのを見せてもらいながら、客室の上に上る。
馬は四頭ぐらいしか載らないだろうが、人だけなら五十くらい詰め込める。
騎士団の移動手段としては良いかもしれない。
船室より高い位置だからか周りがよく見えた。
川は少し蛇行をしているが、北東から流れているようだ。東側の堤の先に山脈がうっすらと見え、西側は距離のせいか堤しか見えない。
堤は冬だからか、草が枯れていて少し茶色いが、むき出しの土の部分はほとんど無い。川縁には砂利の合間に少し土が見える。
「堤の土の見える部分に巣穴を作り、夜間に活動する事が多いのが泥ネズミです」
ヒースの説明を聞いた水夫が、巣穴ならこの先に見えますよと声をかけてくれた。
最近見たというあたりをじっと目を凝らしていると、本当に一瞬だったが、土の穴が見えた。ような気がする。
「泥ネズミは結構大きいのかな。手のひらサイズかと思ってたんだけど、
それとも巣穴が大きいのか?」
「赤子くらいの大きさのやつも居ますよ。町中のネズミとは種類が違うんでしょうね。
何でも食べるし、大きさの割にすばしっこくて。厄介ですよ」
町に近い巣穴は報告するとその町の兵士が退治するらしい。
漁師の使う網や、加工途中の魚などをだめにされてしまうので、気前の良い領主だと、報告の度に小遣いもくれるのだという。まぁ、ケチなところは兵士がお礼を言ってくれるだけだそうだが。
今から向かうプラト領はどうかと聞けば、気前が良いとは言えないけどお礼はくれるし、港としても便利な場所にあり、開けている方だそうだ。
「お客さん、魔力切れそうだって」
船首の方からそう声がかかると、周りに居た水夫達はやっぱりなという顔をした。
まだ一時間は経っていないはずだから、込める魔力が少なすぎたのだろう。
最後に触れただけのやつがあったし、今度は全部に少し強めの魔力を流してみよう。
いくら魔法具が効率が良いからといって、これだけ高速移動しているのだから、魔力入れすぎにはならないだろうし。
乗ったときと逆の順番で五つの飾りに触れていくと、少しだけ水音が変わったような気がした。
「騎士様って口ばっかりだと思ってたけどちゃんと凄いんだな」
俺の後ろにいた水夫が独り言にしては大きな声でそう言うと、隣にいた少し年嵩の水夫に軽く頭をはたかれた。
「申し訳ありません。以前同じように無理矢理乗ってこられた方が、二度目の補充で倒れて、えらい目に遭ったもので」
「無理言って悪かったけど、帰りも同じようにやるから乗せてもらえるかな?
あさっての昼前にはヨウロを出たいと思っているんだけど」
「少々お待ち下さいっ」
自分の失言にやっと気付いたのか、年嵩の男は逃げるように船長室へ向かった。
まあ、無理に乗せてもらったのは本当だし、そこまで慌てさせようと思ったわけでは無いんだけどな。
高速艇はヨウロで一泊して北に向かい、エンタリオ領に行って一仕事して帰ってくるから荷物と一緒でよければ乗せてくれると約束してくれた。
エンタリオといえば、にぎやかなジェイムスの所だ。
豊かな穀倉地帯という事だがこのチタ川で繋がっているらしい。
船なら小麦を運ぶのも楽だろうな。
「川が物流の拠点なら、川のある所が王都になった方が便利だと思うんだけど」
「今の王都は初代リュクレイ王が最初に治めた土地とされています。
それを神聖視するものも多いですから、そういった発言はお控え下さい」
素直にヒースに謝ると、騎士であれば、そんな事を言ったら、大変な事になりますと教えてくれた。
ついでだからと騎士についてとか、このあたりについての事を聞いているうちに船はちゃんとヨウロについていた。