41.本当に杞憂?
女王陛下の執務室前は、侍従達の行列ができていた。
全員が陛下に会いに来ているわけではなく、手前の部屋に書類を届けたり、各部署に問い合わせたりしているそうだが、その行列の中に左大臣の姿はなかった。
「セニール候でしたら、控えの間です」
ヒースの案内で、女王陛下面会待ちの部屋に連れて行ってもらう。
侍従は廊下に並んで待っているが、貴族はゆったりとした部屋で、寛ぎながら順番待ちをしていた。
本来なら、爵位を持たない者は入れないらしいのだが、侯爵が俺にも同席してもらいたいからと俺だけ入室を許された。
のんびりと雑談している人、難しそうな顔で話し込んでいる人、優雅にお茶を飲んでいる人もいる。
その人達にちらちらと見られながら、セニール候の座っているソファに歩み寄る。
「良いところへいらして下さった」
にこにこと隣に座るよう勧めてくれる老人。
焦っている自分がバカみたいに思えた。
「左大臣の執務室に伺ったら、こちらだと言われたので、押しかけました」
「それはご足労をおかけしました。
今から、来月の花の祭りでも、陛下と殿下お二人で民にお顔を見せていただけないかと、ご相談に上がるところでした。
殿下が一緒にいて下さって私は楽をさせていただけましたな」
「花の祭り?」
「ええ。生誕祭の折に、陛下のお言葉を聞けた者は、神の祝福があったとそれはもう評判で。
是非、今一度お二人が仲良く立つお姿を拝見したいと…」
バルコニーで使った拡声魔法を、神様の祝福とあの場にいた人は受け取ったらしい。
ただ音を大きくする魔法具ならあるらしいのだが、雑音の中では使い物にならず、個々の耳に届いたのは、神様の力だったからだと。
その場にいた俺も、神様に認められたから、是非セットでまたバルコニーで挨拶をという話になったようだった。
セニール候は、最初からとても好意的だったが、自分のことのように俺が受け入れられたのだと喜んでくれた。
「陛下の選んだ方に間違いなどあるわけがないのです。
それで、殿下のご用件とは何でしょうか?」
「左大臣は魔法や行事を管轄されているとか。
近く、魔法を使った行事や、催しが開かれる予定があるのでしょうか?」
「特にこれといって大きなものはありません。
ですが、魔法騎士団の叙勲式は華やかなものになりそうで楽しみにしております。
結団式も兼ねてですから、百名ほどでも全員が揃って舞えば、壮観でしょうな」
思ってもみなかった言葉が返ってきた。
騎士を百名集めて、結団式なるものをやるらしい。
それで、みんなで踊って魔法を使って見せろと。
侯爵は、他に目立った行事もないし、城の庭でやれば殿下のお力を示すいい機会です、いかがでしょうかとのんきに言っている。
「今はまだ色々滞っていまして、結団式やら、叙勲式は、しばらく先になりそうです。
では、他に、陛下が魔法を使わねばならないほどのことは起きていないのですね?」
「ええ。水害、干ばつも今のところ聞いておりませんし、海賊や、山賊なども被害少なく収めることができました」
ここの王様は、本当に神様なのか。
リリはやっていないとしても、代々の王様は困っているところに行って、大きな魔法を使って、助けてくれたのだという。
何代か前には、攻め込もうとした隣国の軍隊を魔法で追い返したという記録が残っているそうだ。
何か起きているのではないかという俺の予想は杞憂だったのか。
ソロン公が何かしだしたのなら、リリが危ないのではないかと思ったのだが。
リリの一番の味方につきそうなセニール候がこの様子だ。
武官長殿がわざわざ右大臣の名を出したと言うことは、あるいは、ソロン公が皆に女王陛下が魔法を使えないことをばらすぞとリリを脅しているのだろうか?
他に人のいるこの場で聞ける話題ではないな。
「他国の王様もそういう魔法が使えるのですか?」
雑談をしていた人々の声がぴたりとやむ。
「我が国に勝る力を持つ他国の王は居りません。
宜しいですかな。殿下」
雑談のつもりが、禁句だったらしい。
いつもにこにことしている老人が、厳しい顔でそう言った。
俺が頷くと安心したように、また穏やかな顔に戻り、陛下の元へ参りましょうかと腰を上げた。
いつの間にか扉の前にいた案内の男が、俺達を呼んでいた。
女王陛下はゆったりと執務室のソファに座り、そばにはクレインだけ。
扉のそばにも騎士はいないし、本当に俺達だけだ。
何となくがらんとした部屋の中央まで歩き、侯爵が丁寧にお辞儀をしたので、それを真似て頭を下げると、楽にするよう言われた。
セニール候がリリの向かいに座ったので、俺もそばに座る。
「陛下、お疲れの所、お時間をいただきありがとうございます。
早速ではございますが、花の祭りの際、殿下とお二人でご挨拶をお願い致します。
生誕祭と同じ様に皆に祝福をお与え下さい」
「わかった」
リリは俺が頷いたのを見て、答えた。
俺がやったことだとわかっているのか、侯爵は何も言わなかった。
「それでは、ここからは雑談です。
殿下もお気づきのこととは思いますが、そろそろ、公爵が動き出しそうです」
「エルド」
窘めるようなリリに少しばかり侯爵は目を細め、話し続ける。
俺の方を向いた侯爵は、穏やかな顔なのだが、こちらの姿勢を正すような力があった。
「先ほど殿下は、何か陛下が魔法を使わねばならないことがあるのかとお尋ねでした。
行事や、公務での予定はございません。
ですが、昨日あたりからどうもソロン公の周りで不審な動きが見受けられます。
殿下にもご助勢をお願いしたく存じます」
そう言って、俺に頭を下げる。
いつもとは少し違う、不敵な笑みを浮かべた老人と目が合った。
花の祭りの挨拶は、リリに会うための口実だったようだ。
「具体的に何をすればいいですか?
武官長と話をして思いついたのですが、俺の魔法を陛下に教えてもいいかどうか、左大臣に聞きに行こうと思っていたところなのです」
「殿下の魔法は、とても特殊だと思っておりました。
杖もなく、舞もなく魔法をお使いになった。
そのようなことが誰にでもできるものでしょうか?」
「陛下なら最初の感覚だけ覚えれば、たいていの魔法は使えると思います。
王族らしくないとか、品位とかの問題がなければ今晩からでもお教えしようかと思っています」
「これは心強い。陛下、舞は全て覚えておられますかな?」
「覚えていますが、グレッグの魔法に舞は必要ありません」
「ええ。とても都合の良いことに」
「魔法の舞はそのままで、呪文だけ俺の魔法にすれば、王家の威厳とか品位とかにも傷がつかないですね?」
「その通りです。殿下。
幸いなことに、城にいる貴族で、王家の魔法を直接見たことがあるのは数えるほど。
さらに呪文まで覚えている者は、私以外には居りませんでしょう。
ソロン公のお使いになる魔法は公爵家のもの。
王家のものとは違いますし、あの方がご覧になったのは先代陛下の風の魔法と、先々代の火の魔法だけではないでしょうか。
殿下の魔法も一度拝見しただけです。
魔法の違いがわかるとは思えませぬ」
王家の使う魔法は、王族しか教えてもらえないのだとか。
セニール候は、先代の陛下について魔法を使うときの口の動きをそのまま暗記したのだという。
知的好奇心からなのか、自分も使ってみたいと思ったからなのか、理由はわからないが、こちらの長い呪文を一回で覚えたのだったら凄い根性だ。
「ですが、今までずっと魔法を使えなかった陛下が急にできるようになったと言っても信じてもらえないのではないですか?」
「殿下、それは違います。
陛下は元々大きな魔法がお得意だっただけ。
ソロン公が何を言っても陛下のお力の一片でも見たものは信じますまい。
現に、生誕祭の祝福を受けた地方の領主達は、皆安堵して帰って行きます。
ご婚約もなされ、節目の年を迎えられた陛下が新たに魔法を覚えられた。
何とめでたいことでしょうか」
侯爵の中では、もう物語ができあがっているらしい。
知らなかった人たちからすれば、今まで大きな魔法しか使えず、使いどころがなかった陛下の力が、時を得て、皆のために使えるようになった、ということになるはずだ。
誰も今まで魔法を使えなかった人が急にできるようになったとは思わない。
そして、知っていた人たちは俺が何かやったに違いないと思うのではないだろうか?
そうなれば、‘俺さえいなければ’という話になり、リリは安全。
理想的かな。リリを守りたい人たちからすれば。
「それなら、魔法騎士団は、陛下が直接力をお使いになるには及ばないことを行う。
近衛が行うには取るに足らないことでもやるというのが理想ですか?」
「殿下による、陛下の代わりに民のために働く騎士団。大変結構なお志です。
騎士団の皆様の杖は私がご用意致します。
杖の使用制限も東の離宮内に限り、解除、そして、城内での魔法の使用も、殿下の許可のみで行えるよういたします。
他にご要望がありましたら、何なりとお申し付けください」
俺の全く気付かないところで、頼まなければならないことはたくさんあったようだ。
外で魔法を使うときは、杖を使って、こちら風に。
それさえ守ればある程度自由にしていいというのが侯爵の考えのようだ。
「城の外でも魔法を使う許可がいりますか? それもできたらお願いします。
後は俺の杖に注文をつけてもかまいませんか?」
「できる限りご希望に添うようお作りします」
元になる木材から、宝石までつけてくれるというので、高い魔力にも耐えられるような素材とデザインを指定し、リリの分もお願いした。
王族が代々使う杖ととてもよく似ていると言われた。
頑丈さや効率を考えていくと同じ様なものになるのかもしれない。
「では陛下、私はこれにて失礼致します。
殿下、陛下との‘ご相談’をお願いいたします」
「…逃げた?」
老人であるのにずいぶんと逃げ足が速い。
言いたいことを言って、さっと出て行ってしまった。
この何とも言えない間の取り方、そして逃げ方。どこか俺の同僚を思い起こさせる。
残されたのは、何か思い悩んでいるリリと、表情を変えないクレインだけ。
「少しだけ二人で話をさせてもらえるかな?」
「クレイン、しばらく休息を取ります。そう伝えて下さい」
騎士らしい礼をして、彼は出て行った。
俺はリリの真向かいに座り直すと、俺に言ってないことはないかと尋ねた。
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