32.実験の結果と自覚
「お待たせしました。ミーナもそこに座って。
リリ、もしかしてさっきの描ける?」
軽く頷くと、ペンを持ってさらさらと同じ魔方語を書く。これを丸で囲めば完成である。
同じものを三枚描いてもらう。一枚ずつ配り、まずは俺からやってみる。
くるんと丸で囲うと、異常なく、発動する。
ミーナは不思議そうにしているが、席を立ったり、慌てたりはしない。
「こうして丸で囲うと、風が出る仕掛けです。ミーナもやってみてくれる?」
躊躇なく、素早く綺麗な丸を描くと、やはり冷たい風が出て文字が消える。
ここからがもうひとつの実験。
リリの持っていた一枚に‘条件付け’の一文を書き加える。
それをミーナに渡し、同じ様に丸を描いてやってみてくれという。
「今度は描いた丸だけが消えました」
「ではその紙を、リリに渡して、リリがそれを完成させて下さい」
先ほどよりも大きな丸で魔法語を囲むと、最初と同じ様に冷たい風が吹き、紙がふわりと浮く。
「完成! ありがとう、ミーナ」
侍女はお辞儀をすると、静かに部屋を出て行く。
普通の女の子なら、どうしてとか、何でとか聞いてくるところだろうが、離宮の優秀な侍女は顔にも出さない。
「2回目にならないと発動しないということでしょうか?」
少し考えた末にリリが出した答えは、彼女の今までの常識からいえば無理もないものだった。
「リリとミーナの違いは魔力の差。
一定以上の魔力の人でないと使えないという条件を付け足した。
これだと、リリ、テレサ、子供達は普通に発動。
ソロン公とハントとニコラならぎりぎりくらいだと思う。
今日面接をした人でも半分くらいかな、発動するのは」
「では、私はミーナよりも魔力が強いということになりますが」
「最初にいったよ? リリはこのご近所で一番強い魔力を持っているって。
今のところ、‘この国の人’で一番はリリだよ?」
「私は魔法も使えなくて、大臣達は必死にそれを隠してくれて。
ずっと、みんなに嘘をついてきました。
父の子だから、魔力が強いから危ないから見せられないと式典の時も…。
だから…」
今は俺のためじゃないからと心の中で言い訳をして、リリを引き寄せて抱きしめる。
肩に顔を埋め、子供のように泣いている。リリの柔らかそうな頬に涙が伝う。
拭っても、後から後からこぼれる涙。
誰よりも魔力が強いはず、強くなくてはいけないはずの女王様。
ずっとそう見えるように演じ続けてきたのだろう。
彼女の性格からすれば、みんなに嘘をつき続けているという罪悪感が相当つらかったに違いない。
ただ‘魔法を使える’だけでは足りなかったのだ。
彼女は泣きながら、父様と小さな声で呟いた。
ああ、そうか。
リリの俺に対する過度な信頼、態度、何となく小さな女の子に対応しているような感じになる違和感の原因がやっとわかった。
彼女は俺に父親を見ているんだ。
女王陛下が唯一敬っていい、先代の王様。
二日くらい前だったら、優しいお父さんの代わりができたかも知れない。
かわいいリリを見守って、託せる相手を探して、元の世界に帰るか、この世界をぐるっと一周なんてのもいいかもしれないとか思ったかも知れない。
だけど、なんだかわからないけど、今はリリを他のやつに渡すなんてあり得ないと思っている自分がいる。
リリを置いて帰りたくなんてない。
俺はこんなに惚れっぽかったのだろうか?
「美人で、スタイルもよくて、かわいくて、魔力もあって。
もう俺なんかいらないでしょう?」
放したくないと思うのに、逆の言葉が口をついて出る。
顔を上げて、赤くなった目で俺を見るリリ。
「リリは俺に言ってたよね? 自分は魔力もなくて、婿を選ぶ権利もないんだって。
今なら選べるんじゃない? 今なら俺、消えてあげられるよ」
リリはぎゅっと俺に抱きつき、駄目ですと言う。
「リリに使える魔法を教えてあげるし、さっきの魔法陣の他にも数種類教えてあげる。
そうすればもう誰もリリを魔法が使えない女王様だって言わない。
魔法騎士団だって、さっきの魔法陣で魔力のある人を集めて、いくつか魔法を覚えれば形にはなるよ?
ほら、俺がいなくても大丈夫。ね?」
「駄目です。だめです」
抱きつかれているのに、幸せと、寂しさを感じる。
小さな女の子が、父親の影にしがみついている。
それだけなのだ。
俺に対する、恋情というものが見えない。
「リリ、俺はお父さんに似てる? 姿は似てないよね。声? それとも魔力?」
耳元でささやくと、最後にぴくりと反応があった。
面接の一覧表を見て思ったのだが、リリは髪の色や、体つき、魔力についてははっきりと覚えているのに、顔つきについてはあまり触れていない。
彼女にとって魔力の質は、個体識別の元になるほど重要なのだ。
リリが信頼しているのも、父親と同じ魔力の質を持った俺。
「今やっている事って、大学の仕事より、気を遣うし、頭も使うし、疲れるし、いやだなって思うこともあった。でもなぜかやめたって言って放り出すことができないんだよ。
何でだと思う?
俺も何でやめようって思わないのかなと今、思ったんだけどね。
ひとつできると、リリが嬉しそうにしてくれる。
疲れていると、リリが優しく声をかけてくれる。
……ほんとは俺がリリをめろめろにして、グレッグがそばにいてくれないと生きていけないとか言って欲しかったんだけどなぁ。
俺の方が先に落ちちゃいました」
まだわかっていないリリは無防備に俺の腕の中にいる。
乱れてしまった髪をなでつけ、目元の涙を拭っても、不思議そうに俺を見ているだけだ。
警戒心とか、女の子としての心得とか、誰も教えなかったのだろうか。
普通だったらこれ、合意と見なすんだけど。
ぎゅっと抱きしめて、放すと、ひとつため息をついた。
気付かないうちだったら、なんてことはなかったんだけどなぁ。
これを落とせるように育てるのも一興とか言えたら、かっこいいかも知れないけど。
「リリ、明日帰る人たちにさっきの制限付きの魔法陣渡してくれる?
一度実演して見せてから、発動した人を魔法騎士団に勧誘して欲しいと言って。
リリの信頼できる人に、枚数はお任せするから。
リリが相手にやって見せないと、駄目だから、それだけは忘れないように。
それと、今日はミーナと一緒に寝て下さい。俺はこのままだと襲っちゃうからね」
軽く額に口付けて、衣装部屋へ入る。
先ほどと同じ様に、優秀な侍女は座っていた。
「ちょっと出てきます。朝食には戻るから。
それと、リリに、俺が襲うという意味を理解させておいてもらうと嬉しい」
何を言われたのかよくわかっていないリリと、さっと顔を赤らめて、慌てて寝室に入るミーナ。
この知識の差が埋まってくれるかなと思いながら、俺は‘移動’した。
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予想通りでしたでしょうか?