13.生誕祭の始まり
前日と同じように支度を調え、朝食を無事済ませると、執務室には侍従長ともう一人男が待っていた。
年は三十前後、こげ茶の髪と青い瞳の神経質そうな男だ。
「おはようございます。本日より殿下付きの侍従を務めます、ルイスです。
城内で何かありましたらこの男をお呼び下さい。
陛下、教会での祝福の前に数点書類に目を通していただけますでしょうか?」
言葉はお願いだが、俺とリリの席には十枚程度の書類が並べられ、これを処理しないことには部屋からだしてもらえそうにない。
昨日発表があったばかりだというのに、魔法騎士団の正式な任命書、規約の草稿、義務や給与や罰則なんかの規定がきちんとした書類となって揃えられていた。
入団希望者の一覧まであった。
まあその多くは貴族の子息たちで、名前だけ騎士団に入りたいだけのような気もするが。
…早くちゃんとした団員探さないと。
学生の論文の採点気分でそれらに赤をいれ、納得したものだけにサインをしてルイスに渡す。
「殿下、これはどういったことでしょう」
全てにサインして返せという意味だったようだ。
ルイスが不機嫌そうに赤を入れた書類を目の前に並べてくれる。
「これはここが曖昧で、こっちは甘すぎるし、法律は詳しくないけどこれは厳しすぎるんじゃないか? 署名って納得しないとしちゃいけないんだろ?」
「確かにその通りです。では後ほど訂正をお持ちします。殿下、失礼をいたしました」
深々と頭を下げて、ルイスは書類をもって部屋から出て行った。
リリもちょうど終わったようで、侍従長はリリと俺に礼をして出て行った。
「侍従さんに対して、あんなこと言ってまずかった?」
「いいえ、侍従の言う通りにする必要はありません。
ですが、グレッグの書類は今後増えると思います」
なぜか楽しそうに言うリリは、真っ赤なドレスに白いレースがたくさんついた豪華な衣装を上手にさばき、扉へと向かう。
離宮の外には騎士が勢揃いしていた。
男の騎士が両脇に十名以上ずつずらっとだ。
あまり嬉しくはないが、ぴしりとした姿には気が引き締まる。
代表らしい年配の騎士が恭しく一礼して、何人かが先に立って歩き出した。
リリが動き出すとその団体は綺麗に行進する。
そのあとにつく俺にも気を遣ってくれているようで、騎士達は道を空け、歩きやすいようにしてくれる。城内も同じように周りを固められて、周りの人たちの顔を見ることもできない。
特に俺の周りには俺よりも背が高いものが集まって歩いているから、なおさらだ。
俺とリリの間にクレイン、俺のすぐわきにはヒースがいた。
彼らは騎士団の中でも優秀な人たちなのだろう。
警戒をしつつもゆとりがある。
城の外で待っていた馬車は昨日とは偉い違いだった。
昨日の馬車は、木目の優しい感じの目立たない穏やかなものだった。
お城の馬車といってもきらきらしていないんだなとか思ったはずだ。
どうやらあれはお忍び用だったらしい。
ツヤのある黒い車体に、たぶん本物の銀であろう見事な装飾。
この国のシンボルなのか、リリだけの紋章なのかはわからないが、翼を広げたドラゴンが一振りの剣を掴み飛んでいるようなのが車体の横についていて、後ろはツタのような装飾が綺麗に周りを縁取っている。顔が映りそうなくらいぴかぴかに磨き上げられた馬車に近づくと、騎士の一人が扉を開け、一人が馬車のなかを確かめ、ようやくリリが乗り込む。
中は明るい木の色と、白い塗料が塗られているところと二層に分かれている。
椅子の部分は赤い布で外の真っ黒と落差が凄くて目がびっくりしている。
リリの隣に座ると、扉が閉められ、馬車の両脇に馬に乗った騎士達が整列した。
軍隊とはこういうものだというものを見せられている気がする。
無駄口もなく、動作は機敏で統率されている。
こういうのをこれから俺が作っていかなければならないのか。
少し。いや、だいぶ気が重い。
「これから行くのは昨日の教会?」
「はい。中央教会です。列席者はこの国の貴族、他国の代表などです。
貴方が来てくれなければ、この馬車に大臣と二人で乗るはずでした」
教会前に集った人たちと、教会で参列した人たちに婚約者をお披露目する事になっていたそうだ。
この馬車に乗れるのは、王族か、それに類する者だけだとか。
だから騎士も同乗しないのか。
「隙を見せて油断させるのと、気合い入れて対抗するのとどっちがいいんだろう。
あまり変なことをするとリリが侮られることになるよね。やっぱり力押しかな?」
リリはなんだか不安そうに俺を見る。
赤いドレスに女王らしい威厳のあるメイクと、品のいい髪型。
白い手袋で指先は見えないが、その細い手を取ると、にこりと笑ってみる。
「リリに恥をかかせないよう、目立ちすぎないようするから、大丈夫。
今日の主役はリリだからね」
大きく深呼吸すると、女王陛下は背筋を伸ばして、前を向き、頷いて見せた。
どうやら女王様のスイッチが入ったようだ。
馬車が止まり、ゆっくりとドアが開かれると、叩きつけられるような歓声が飛び込んできた。
馬車の周りには市民なのか、貴族なのか取りあえず凄い数の人が集い、彼らの女王陛下を口々に祝福している。そんな中へ馬車からまず俺が降り立つ。
歓声はぴたりとやみ、ざわめきが起こる。
それを無視して、振り向き、リリに手をさしのべる。
片手で俺の手を、もう片方でドレスを軽くつまんでリリが出てくると、ざわめきはさらに大きくなった。
騎士達に守られながら教会へと歩き出す。
リリの手は俺の肘にかけられたままだ。
教会の扉は開け放たれていて、たくさんの魔法の明かりとろうそくが灯っているのが外からでもよく見えた。両脇の椅子には多くの人が腰掛けているのか、正面からもざわざわとざわめきが聞こえてくる。
そういえば昨日のお披露目であの場にいたのは、この国の貴族だけだった。
他国の者や、あの場にいなかった者は、俺のことを見ていない訳か。
きっと噂のぽっと出の婚約者はどんなやつだろうと品定めをしているに違いない。
俺たちが教会に入ると扉が閉められ、ざわめきもぴたりとやむ。
正面に司祭が立ち、なにやら祈りの言葉を唱えている。
司祭の後ろには神官らしき男達が並び、歌うように何かを言っている。
どうやらここの言葉ではなく、神官達の独自の言葉のようだ。
注意深く聞いていたが、意味のわかる単語は拾えなかった。
リリと司祭の前に進み、リリの真似をして一礼すると、横から侍従の一人がやってきて、俺の席へと案内してくれた。
正面そばの一番偉そうな席に、隣に黙礼してから座る。
長い長い祝福の言葉のあとは、長い長い司祭の説教が始まり、参列者がおとなしく頭を垂れながらそれらを聞いているのを静かに眺めていた。
リリは神様に感謝でも捧げているのか、手を組み、軽く目を閉じて祈っていた。
俺の周りに信心深い人というのはいなかった。
教会なんて、葬式と結婚式にしか用がないという奴らばかりだったからか、信仰心の厚い人を見ると、何となく感心してしまう。
周りを見ると、こちらではそれが普通のようだ。
なるべくまじめに信心しているように見えるよう他の人たちの真似をして祈るふりをしてみた。
日々、生まれてきたことを神に感謝し、全てを照らす太陽のように平等に神の慈悲があるようにみんなで祈りましょうと司祭が言い、リリのお誕生日の祝福は終わったようだ。
案内をしてくれた侍従に目をやると、リリの方を示したので、ゆっくりと立ち上がり、正面へと戻った。来たときと同じように一礼してから、扉へと向かう。
幾人かの騎士が扉の内側へと並び、ゆっくりと扉を開けながら、周りを警戒する。
両脇に騎士の壁ができ、その中をゆっくりとリリと二人歩く。
先ほどとは変わり、俺たちの姿を見ると人々は口々に祝福の言葉を叫ぶ。
どこからか、リリの婚約話を聞いたのか結婚式のあとのような歓声が響いた。
こういう場合、手を振ったりしてはいけないのだろうか。
女王様らしく、凛々しい表情のまま歩いているのが正しい姿なのだろう。
それに倣って少しだけ隣を気にしながらゆっくりと馬車の方まで戻る。
女王陛下の治政は集まっている人たちにとって、いいものなのだろう。
それぞれが嬉しそうに声をかけてくれている。
見えなくて文句を言っているところはあるものの、騎士を押しのけてどうにかしようとか、何かを投げつけるとかそういったことは全くなかった。
花束を渡そうとしている人は見かけたが、それも指定されたところへ持って行けと言われて、嬉しそうに頷いていた。
俺の常識からすればあり得なかった。
俺の国にも王族が一応はいるが、ほとんど政治はせず、大臣達の言うことをそのまま行うだけだとみんなが知っているから、それほどありがたいとも思わないし、特に知力が高いとか、魔力が高いとか、優れているという話も聞いたことはないから、‘戦争はじめないだけいい’王様だとしか思ったことがない。
国王の誕生日なんて、祝日になるから知っているくらいだ。
それと比べてはいけないのかもしれないが、リリはとても皆に愛されている。
その愛されているリリに何かしたら、まず俺の命はないな。
「どうかしましたか?」
「何でもありません。女王陛下、足下気をつけて下さいね」
リリを支えるようにして馬車に乗せると、続いて俺も中に入った。
馬車の中に入ってもまだ外の声は聞こえてきたが、椅子に腰掛けると、なんだかものすごくほっとした。
背筋を伸ばして、不作法がないようにと思っていたのか、あちこちが強ばっていた。
「ゆっくり息をして、腕を回したりすると楽になります」
いわれたとおりに座ったまま、あちこちを動かしてみると、時々ぴしりと音がしそうなくらい肩がこっていた。
「リリもこんな風になった?」
「表情を変えないこと。背筋を伸ばして、うつむかないこと。転ばないこと。
幼い頃母にそう言われて、城の中を歩いたのですが、部屋に戻ってからなんだか体がおかしくて、父に泣きついたのです。そうしたら、父がそう教えてくれました」
イメージとは随分違い、厳しい母と甘い父だったようだ。
肖像画では、優しく繊細な感じの王妃様と、厳しく威厳のある国王のように見えたが。
「王女様でも滅多に城を歩かなかったって事かな?
ずっとあの離宮で暮らしていた?」
「覚えている限りでは、あの離宮が私たちの住まいでした。
10歳を過ぎるまではほとんど城の中にはいることはなく、暮らしていました。
その代わり、遠い領地や他国へも連れて行ってもらいました。
優秀な侍従と騎士達と私だけで隣国へも行ったり、本当に自由にさせてもらえました。
私は降嫁して国内に残るか、他国へ嫁ぐか決まらなかったからだと思いますが」
「魔力が高ければ、降嫁して有力貴族と王家との架け橋。
魔力が弱くても、他国とのつながりを持つためにと言うことか。
リリのお父さんとしては、あちこち出かけてできればそこで誰かいい人が見つかって好きな人に嫁がせたいとか思ってたのかな?」
「そうかもしれません」
「…それで、いい人はいた?」
リリの顔を見ながらそう聞くと、彼女は困ったように笑った。
少なくとも肯定的な答えは出てこなさそうですこしほっとする。
「それにしても、毎年こんな風にお祝いするなんて、大変だね」
「いいえ。毎年ではありません。
二十は節目の年。十年ごとに神に感謝を捧げ、節目の年に人は生まれ変わるといわれています。
ですから、盛大に祝うのです」
信心深い人は毎年自分の誕生日を半日潰して、神様に祈っているそうだ。
俺、二十歳の誕生日何してたっけ?
論文終わらなくて昼までに出せといわれて、徹夜であげて、出して部屋に帰って寝てたかもしれない。
「たくさんの人に祝ってもらえて、よかったね、リリ」
「はい。私は幸せです」
穏やかに微笑むリリは、少しだけさびしそうに見えた。
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