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月のない夜であった。
曇天の夜空に星はひとつとして輝いておらず、行燈に灯した火が唯一の明かりであった。
風に吹かれて頼りなく揺らめく橙の炎を、沖田総司は床に伏せたままぼんやり眺めていた。
池田屋事件の最中に吐血し、倒れた。
周囲には貧血、風邪とうそぶいているが、このまま医者を呼ばれるのは時間の問題だった。
ただ近藤勇の刀となり、近藤のために命を燃やし尽くしたかった。
しかしそれすら叶わぬ脆弱な身体。
総司は揺らめく炎に己を重ねる。
「近藤先生のためなら、鬼とだって取引するのになあ」
昔の癖で、誰も部屋にいないのをいいことに、先生と呼んでしまう。
ひゅーひゅーと息苦しい咳をすれば、口内に血の味がする。
刀で切られて吐血するならばそれは因果応報であった。
まさか床の上で、温かな布団にくるまれ、のうのうと吐血するとは夢にも思わなかった。
一人でも多くの浪士を切って死ぬはずが、病に倒れて虚しく果てねばならぬとどうして予想出来ただろうか。
「…焦げ臭いですね」
障子の隙間から、焦げ臭い匂いが運ばれてくる。
沖田は鼻を鳴らし、眉間にしわをつくる。
肉が焼ける匂いであった。嗅ぎ覚えのある匂い。
香ばしい匂いとはかけ離れた、腐った肉を焼くような悪臭。
「曲者なら殺さなきゃいけない」
まだ己が刀を持てるうちに。
枕元に置いてあった刀を、音を立てずに鞘から抜き取る。
唾をごくりと飲み込み、そっと障子を開ける。
「死にぞこないは、お前――――か?」
行燈を庭の方へ蹴り飛ばし、匂いの根源、曲者の顔を照らしだして、沖田は息を呑んだ。
「あなたは、だれですか?」
少女がいた。鈴の鳴るような声で、刀を向ける沖田を、少女は呆然とした様子で見上げてくる。
美しく、奇怪な少女だった。
老いてもいないのに白銀の髪をし、血のように真っ赤な瞳。
着物とは程遠い、洋装とも呼びづらい衣装に身を包んでいる。
日本人離れした容姿にトドメを刺すかのように、その女の左頬には大きな火傷の痕があった。
醜く、爛れたその痕が、匂いの原因だった。
火傷の痕は、まだ裂いたばかりの血肉のように鮮やかだった。
「異形のモノか?
生憎と死にゆくものに名乗る名前は持ち合わせていないんでね。
僕は武士だなんて立派な人種じゃあないんだ」
嘘から出た真。瓢箪から出た駒。
言霊のせいか、どうやら鬼を引き寄せてしまったのだと沖田は内心苦笑する。
無論、それは表面にはおくびにも出さない。
冷徹に無表情なまま、刀の切っ先を女の首筋に向ける。
「―――ひとつ。ひとつだけ、答えていただけないでしょうか」
刀に僅かに力が込められ、肌から血が滲むが、少女は歯牙にもかける様子がない。
痛ましい火傷にすら無頓着なのだ。
痛覚がないのか、それとも異形のモノだから感覚がないのか。
「私は人探しをしています。沖田総司の命を助けたい。
彼は、どこにいますか」
「は…?ふっ、あははははは!
おいおい、まさか本気で―――?
貴女なんかが、僕を治せるんですか?」
「…痛っ!」
力の加減をあやまり、少女の首に刀が僅かに刺さり、ようやく痛みを訴える声をあげた。
(やっぱり、僕は鬼を呼んだのか)
藁にでも縋る想いだった。
戯言だと、少女ごと切り捨てればいいはずなのに、弱った心につけ込むかのような言葉に誘惑される。
「え?あ、あなたが、沖田総司…?」
痛みに顔をしかめたまま少女が、戸惑ったような声をあげる。
「そう、僕が沖田総司ですよ。
ねえ、本気で僕を治してくれるんですか?
それとも、僕は異形のものに身を堕とせば、生きられるのかな?
ねえ、どっち?」
この命より大切なものは、近藤勇以外何もないはずであった。




