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前回の闇ライブから三日後。
私は再び、ライブハウス『流氷天使』に来ていた。
夏休み中の中学生で、部活にも所属していない私。
宿題なんかはあるけど、なにもなければ基本的にだらけた毎日を送るだけだ。
それではせっかくの休みを無駄にしてしまう。
というわけで、私はおじさんに頼み込んで、数日おきに歌わせてもらえる約束を取りつけていた。
できることなら、毎日でも歌わせてもらいたいと思っていたりするのだけど。
そうすれば毎日くりおねくんと会うことができるし。などという不純な動機は置いといて。
今は闇ライブで歌えることを素直に楽しもう。
ぐっとこぶしを握りしめ、強い意気込みを胸に、私は地下への階段を目指して歩く。
カフェと地上階のステージのあいだを通り過ぎようとした、そのときだった。
なんとなく違和感を覚えたのは。
なにやら、異常に騒がしい声が聞こえてきていたのだ。
ステージからは熱い歓声が上がることもあるし、カフェにいるお客さんだって、大きな声で喋っていることはある。
でも今日の騒がしさは、そういったものとは一線を画しているように思えてならなかった。
ステージやカフェとは壁で隔てられているため、会話の内容までは伝わってこないのだけど……。
ちょっとだけ、カフェの様子を見てみようかな?
だけど、くりおねくんのお仕事の邪魔をするわけにはいかないし、やっぱりやめておくべきかな……?
そんなことを考えていると、無意識のうちに私の足は止まっていた。
周囲に人はいない。
騒がしい声が、少し離れた場所から響いてくるだけ。
少々薄暗い廊下にポツリとたたずむ私。
そんな私の背後に、迫り来る影があろうとは――。
ポン。
「ひゃあっ!?」
いきなり肩を叩かれ、思わず悲鳴を響かせながら飛び上がる。
「ああ、ごめん!」
振り返ると、背後にいたのはおじさんだった。
「び……びっくりしたぁ~! 脅かさないでくださいよぉ~」
「悪かったね。でもちょっと話しておきたいことがあって」
「えっ? なんですか?」
「実はね……綾芽さんが脱走したらしいんだ」
私は、一瞬なんのことだか理解できなかった。
「脱走って、えっ? 綾芽さん……が?」
呆然として、ただおじさんの言葉を繰り返しただけになってしまった。
「そうなんだよ。なんでも、隣町の警察署から逃げた人がいたらしくてね、今、この町にも警察官が来て捜してるみたいなんだ。逃げたのは有名な闇ライブの歌姫だって話だから、おそらく綾芽さんのことだろう」
おじさんの話を聞いて、真っ青になる。
「どうしてそんな……。それほど重い罪にはならないはずなのに……」
確かに綾芽さんは警察に捕まった。それは間違いない。
ただ、歌唱罪の現行犯だったとはいっても、これまで厳罰に処された人はいなかった。
たいていは釈放されたあと、不起訴処分となる場合が多いはずなのだ。
「それが、どうやら最近、取り締まりを強化しているらしくてね。見せしめのために厳罰が与えられるといった噂もあったんだ」
「そんな……!」
「だから綾芽さんが逃げ出した、とは一概には言えないけど……」
「綾芽さんは、そんな人じゃないです! ライブではかなりはっちゃけたイメージもあるけど、普段はおとなしくて思慮深い人です! それはおじさんだって知ってるでしょ?」
「まぁ、そうだけどねぇ……。現に脱走したからこそ、警察も捜してるわけだし」
「なにか、考えがあるのかも……」
「そう思いたいのもわかるけどね……」
重苦しい沈黙が流れる。
……あれ? でもそうすると……。
「今日のライブは中止にするってことですか?」
警察が綾芽さん――とは断言できないけど、脱走した人を捜しているのなら、地下で防音設備のある会場とはいえ、闇ライブを決行するのは危険すぎるだろう。
私はそう考えたのだけど。
「いや、ライブは予定どおり開催するよ。お客さんも待ってるしね」
「だけど、逃げたのが綾芽さんだったらなおさら、ここにも警察の人が話を聞きに来る可能性も高いんじゃ……」
「確かにそうだね。でも、俺が応対して話せばいいだけだから。地下のステージまで押し入ったりはできないだろう」
「そうかもしれないけど……例えば、もしライブのお客さんがライブの感想とかを喋ったりしてて、それを聞かれちゃったら……」
「誓約書も書かせてあるからね、そうなったら規約違反になるのはお客さんのほうだよ」
「それでも、もし捜査の手が伸びてきたら、おじさんだって捕まっちゃいます!」
「心配してくれるのは嬉しいけど……。このライブハウスのマスターとして、俺はどんなことがあっても闇ライブを続けていくつもりだ。いつでも捕まる覚悟でね」
「だ……だったら、わかなも! 捕まる覚悟で歌います!」
思わず大声になり、慌てて口をつぐむ。おじさんは、そんな私の様子を優しげな瞳で見つめてくれていた。
「最悪の想定ではあるけど、もしここに強制捜査が入るようなら、和歌菜ちゃんは未成年だし逃げたほうがいいな」
「えっ? でも、おじさんたちだけ残して逃げるなんて……! それに未成年だからこそ、刑は軽くなるかもしれないし」
「そういう考えは持たないほうがいい。それにその場合、保護者の責任が問われることになる。雪乃さんを悲しませたいのかい?」
「う……」
雪乃――それはお母さんの名前。
おじさんはお母さんと旧知の仲で、しかも奥さんはお母さんの親友だったとか。
その奥さんは、とある事故で他界され、今ではもういないのだけど――。
私が捕まったら、お父さんやお母さんに迷惑がかかるのは必至。
政治家のお父さんの地位も危うくなり、進学校で優秀な成績を修めて将来有望なお姉ちゃんの未来をも奪ってしまうかもしれない。
項垂れてしまっていた私の肩に、おじさんはそっと手を乗せる。
「すまない、余計なことだったかもしれないね。不安にさせるつもりじゃなかったんだが。ただ、仲のよかった綾芽さんのことだから伝えておこうと思っただけなんだ。……ほら、もう時間が迫ってる。和歌菜ちゃんは、ライブに集中してくれればいい。他のことは俺たちに任せて。ね?」
「あ……はい……。そうですね、わかりました!」
そうだ。
少人数ではあっても、今はライブを楽しみにしてくれているお客さんがいるんだ。
私は自分の務めを果たさないと!
「行ってきます!」
「ああ、頑張ってね」
ちょっと無理をして元気いっぱいの笑顔を見せると、私はおじさんと別れて地下の階段へと急いだ。
「あっ、和歌菜ちゃん」
「くりおねくん!」
階段を急ぎ足で下りていくと、くりおねくんとばったり出くわした。
「……綾芽さんの話、聞いた?」
「うん、聞きました。綾芽さんのこと、心配だけど……でも今は、ライブに集中します!」
「そうだね、それがいいよ。一生懸命歌えば、綾芽さんの心にまで届くかもしれないしね」
「そうですよね!」
もちろん防音設備の整っている地下ステージだから、実際に声が漏れて綾芽さんのもとまで届くなんてことはありえないのだけど。
たとえそうであっても、強い想いがあればきっと届いてくれるに違いない。
ライブの開始時間は迫っている。
私はくりおねくんとの会話を早々に切り上げ、意気揚々と地下ステージの控え室を目指した。
くりおねくんがどうして地下に行っていたのかとか、おじさんがどうして「他のことは俺たちに任せて」なんて言ったのかとか。
ライブに集中すると決めながらも、心の隅には綾芽さんを心配する思いが残っていた私には、そういったことに疑問を抱く余裕なんてあるはずもなかった。




