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歌を歌うことは犯罪行為。
だけど、お客さんもそれを理解した上で楽しんでいる。
おじさんも重々承知で、歌う場所を提供してくれている。
綾芽さんの一件のように強制捜査が入ったら、私もおじさんもタダでは済まないだろう。
それでも歌わずにはいられない。
闇ライブ――。
私たちのように、法律に背いてでも歌うバンドや歌手のライブは、そう呼ばれている。
闇ライブで歌ったり演奏したりする人のことを闇アーティストと呼び、そこで歌われる曲を闇ソングとか闇歌とか呼んだりもする。
そういった呼び名が存在することからして、ある程度浸透しているのがうかがえるけど。
どんな状況であれ、違法は違法。大っぴらな活動ができるはずもない。
ライブハウス『流氷天使』でも、闇ライブは地下の会場で開催されている。
同時に、地上ではメロディオンや生の楽器による演奏会なんかが行われ、カモフラージュされていたりもする。
それだけ慎重にならざるを得ないのだ。
闇ライブのお客さんもに、ライブのことは口外しないという内容の誓約書に連絡先を記載した上でサインし、さらに写真つきの身分証の提示が求められる。
聴きに来るお客さん側にしても、それなりの覚悟が必要なのだ。
……まぁ、私のライブなんかだと、そんな物々しい雰囲気なんてまったくないわけだけど。
ちなみに。
法律上では、歌詞のある歌を歌うことが禁止されている。
つまり、ふんふんふん~と鼻歌で歌ったり、ららら~とか、るるる~とかで歌ったりするだけならば違法とはならない。
もし見つかったとしても、そういった言い逃れも可能だったりする。
そんな逃げ道が放置されていること自体、おかしいと思わなくもないけど。
当然ながら、それは取り締まる警察のほうもわかっているため、あらかじめ私服警官を送り込んだりして、歌っていることをしっかりと確認してから強制捜査に入るのものらしい。
☆☆☆☆☆
「和歌菜、お疲れ!」
不意に聞き慣れた声が耳に届く。
「風香ちゃん!」
笑顔で応えると、風香ちゃんはすぐ目の前の席に座った。
「今日も絶好調だったな~。和歌菜節炸裂って感じで!」
「えへへ、そうかな~? ……って、風香ちゃん、なんか笑い方が微妙~。もしかして、褒めてない?」
「褒めてるぞ~? 和歌菜以外には絶対に書けない歌詞だな~って思う! ……悪い意味で」
「わ……悪い意味って! やっぱり褒めてないじゃん~!」
「あはは、ごめんごめん。嘘、嘘。才能あるって、和歌菜。……ある意味な」
「ある意味って……やっぱり微妙に褒めてないし」
そんな軽口の言い合い。
でも、風香ちゃんが私のライブを楽しんでくれたことは、しっかりと伝わってきた。
地下の会場はあまり広くなく、入れる人数もさほど多くはない。
だけどステージ上に立っているときの私には、まったく余裕がなかった。
薄暗い会場とはいえ、親友である風香ちゃんが来てくれていたことにすら、まるっきり気づかないほどに。
度々お客さんから入れられる茶々やツッコミに対応するだけで精いっぱい。
あとはなるべく歌詞や音程を間違えないよう、歌に集中することしかできなかった。
そんな状態で歌って、お客さんに満足してもらえたのだろうか?
自信が揺らぐところだけど。
「大丈夫だよ! 観客が和歌菜に求めてるのは、歌唱力でも安らぎでもないんだから」
「……じゃあ、なにを求めて来てくれてるのかな?」
「そりゃあもちろん、和歌菜が慌てふためく姿を見るためだろ!」
「ええっ!? そうなの!?」
驚きと恥ずかしさで飛び上がりそうだった。
「きっと半分くらいはそう」
「……残りの半分は?」
「和歌菜が一生懸命頑張ってる姿を見守る、親心的なものかな」
「純粋に歌を聴きに来てくれてる人の割合って、ゼロなの!?」
「安心しなよ、ゼロじゃないから。……限りなくゼロに近いとは思うけどさ」
「ちょっと、風香ちゃん!」
「あははは、冗談だって! 私は和歌菜の歌、好きだよ~。……おバカっぽくて」
「もう! 風香ちゃん、いつもひと言多い!」
まったく風香ちゃんってば、いつもいつも、私をからかってばかり。
「……でも、ありがとう。わかなの歌を好きって言ってくれて」
「なんせ、ほら、『ばかな』の歌でも通用するんだな~って、心の支えになるからな!」
「ばかなって言うなぁ~!」
思った以上に大声を出してしまった私。
周りの人たちから一斉に視線を向けられ、真っ赤になるのを、風香ちゃんは心底楽しそうな笑顔で見つめていた。
☆☆☆☆☆
「ところでさ」
「え?」
まだ顔の赤みは消えていなかったけど、風香ちゃんのほうから話題を変えてくれた。
私をからかうのにも飽きたのだろうか。
とりあえず、喜んでその路線変更に乗っかる姿勢を見せる。
「昨日メールで言ってたお尻の痛み、治った?」
にまにまにま。
いやらしい笑顔を向けながら、そんなことを訊いてくる我が親友。
残念ながら、私をからかう意向は持ち続けているようだ。
「え~っと……」
すっかり忘れていたけど、言われてみれば、まだ少し痛みは残っていた。
「まだ痛いのか。それじゃあ」
そして風香ちゃんは、素早く椅子から立ち上がり、私のすぐそばまで来て身を屈めると……。
さすりさすり。
「きゃうっ!」
私のお尻……というか、腰の辺りを執拗に撫で回し始めた。
思わず悲鳴が漏れてしまったのだって、当たり前の反応だったと言えるだろう。
いや、確かに昨日のメールで宣言されていたことではあったけど。
本当にお尻をさすってくるとまでは思っていなかった。
……もっとも、つい今しがたまでメールの件はおろか、お尻の痛みすら綺麗サッパリ忘れ去ってしまっていたわけだけど。
「うんうん、いいお尻だな。安産型だ! ……愛しのくりおねさんも、これなら安心できるだろ!」
「ちょちょちょちょ、ちょっと風香ちゃん! いいいい、いったい、ななな、なにを言ってるのよぉ~!?」
私はついさっきの顔の赤さ記録を簡単に塗り替える真っ赤さ加減で、完璧に茹でダコ状態になってしまう。
それだけならまだよかったのだけど。
絶妙なタイミングで、その人は私たちの目の前に現れた。
いや、風香ちゃんのことだから、このタイミングを見計らって話題をすり替えてきたに違いない。
「やぁ、いらっしゃい、風香ちゃん。なにか飲む?」
「こんにちは、くりおねさん。おごりですか?」
「あはは、ごめんね、僕にそんな権限はないから。なにか注文してもらえるかな?」
「ちぇ~っ!」
風香ちゃんに話しかけてきた、ちょっとタレ目気味だけど優しそうな男性が、先の話題に出てきた花咲くりおねくん。
このライブハウス『流氷天使』のマスターの息子さんで、高校三年生のお兄さんだ。
お姉ちゃんと同じ学校に通っていて、お姉ちゃんよりもひとつ年上。
私は小さい頃から面識があるせいで、四つほど年上にもかかわらず、『くりおねくん』なんて気軽に呼んで、ずっとタメ口で喋っていた。
さすがに今では敬語を使って話すようになってはいるけど、一度定着した呼び方だけはなかなか変えられず。
本人がいいよと言ってくれていることもあって、今でもくりおねくんと呼んでいたりする。
くりおねくんは高校卒業後、進学はせず、ライブハウスの手伝いをする予定らしい。
というか、すでに今でも、休みの日にはカフェでウェイターの手伝いをしているのだけど。
くりおねくんが風香ちゃんに話しかけてきたのは、単純にお客様として注文を聞くためだ。
隣に私がいることにも、気づいてくれてはいただろう。
とはいえ、私にはすでにおじさんからサービスしてもらったオレンジジュースが目の前にある。
くりおねくんがいるなら、最初から、おじさんじゃなくてくりおねくんに来てほしかったな。
……などと思っていることからわってもらえるかもしれないけど、私はくりおねくんに惹かれている。
優しくて温かい、爽やかな雰囲気のお兄さんで、憧れの対象。さらには、恋愛の対象でもあって――。
話しかけられて羨ましいな~、なんて風香ちゃんに恨みがましい視線を飛ばしていた私のほうへと、くりおねくんは爽やかな顔を向けてくれた。
「和歌菜ちゃんも、いらっしゃい。というか、お疲れ様、かな? ライブだったんだよね?」
「あっ、はい! こんにちは、くりおねくん!」
話しかけてもらえて真っ赤になりながらも、明るく笑顔で受け答える。
でも、ちょっとだけ胸が痛んでしまう。
私のライブ、見てもらえなかったんだな……。
カフェでウェイターの仕事をしていたのだから、仕方がないとは思うけど。
できれば、くりおねくんにも私の歌を聴いてほしかった。
……だけど、私のライブって失敗だらけだし、見られなくて助かったと考えるべきなのかも……?
なにやら思考が四方八方へ飛び、私は複雑な表情をしてしまっていたのだろう。
くりおねくんに見つめられて顔が真っ赤っかだったことも原因となったかもしれない。
「どうかしたの? 熱でもある?」
そう言うと、くりおねくんはすっと私のおでこに手を伸ばしてきた。
「…………っ!」
炎が噴き出るかと思うほどに、顔が熱くなる。
ただ手がおでこに触れただけ。
よくマンガとかであるような、おでことおでこをくっつけて熱を測ってくれたわけでもないのに。
……そりゃあ、そのほうが嬉しかったけど。
「やっぱり熱いよ? ライブで知恵熱が出ちゃった?」
「い……いえ、熱なんてないですよ、大丈夫ですって!」
と答えながらも、ほとんどパニック状態。
どうでもいいけど、『知恵熱』って……。
くりおねくんも、私のことを『ばかな』と思ってるクチなんじゃ……。
などという考えに至ったのは、気分が落ち着いてからで。
このときの私の脳みそには、そんなことを考える余裕なんてあるはずもなかった。
にまにまにま。
すぐ目の前では、いつの間にか席に戻った風香ちゃんが私たちの様子を楽しそうに眺めていた。
テーブルに両ひじを着いて手首を合わせ、その上にアゴを乗せた格好で。
「風香ちゃん、お待たせ。はい、どうぞ」
くりおねくんが風香ちゃんの注文を聞き、グラスを持ってきた。
コトリと置かれたそのグラスには、真っ黒な液体がたっぷりと入っている。
「ちょっと風香ちゃん、なにそれ……?」
「海苔ジュース。磯の香りが最高なのさ~♪」
やっぱり風香ちゃんって変だ。……と思ったら。
「結構人気があるんだよ?」
「ええっ!? そうなんですか!?」
くりおねくんの言葉に、驚きを隠せない。
「なんてね、嘘だよ。風香ちゃん専用の特製ジュース、って感じかな。一応メニューには載せてあるんだけどね」
「ですよね~? よかった~。わかなの感覚が変なのかと思っちゃった」
「なんだよ、それだと私の感覚が変みたいじゃないか?」
「みたい、じゃなくて、そうなんだよ」
「和歌菜にはあとで、もっと別の黒いジュースを飲ませてあげようか。全部の絵の具をまぜ合わせて作る究極のブラックジュースを」
「うっ、それはやめてぇ~~!」
「あはは、相変わらずふたりは楽しいね。見ていて飽きないよ」
「わっ、褒められた!」
「……褒められてないような気がするけどな」
思わず頬を染める私。風香ちゃんのツッコミなんて、気にしない。
「褒めてるんだよ。いつまでも仲よしでいてね」
くりおねくんが、爽やかな笑顔をきらめかせながら、こんなふうに言ってくれているのだから。
「はいっ!」
答えながら、風香ちゃんとだけではなくて、くりおねくんとも仲よしでいたいです、なんて想いを密かに込めたりして。
なんだか、ほんわかと幸せ気分。
この気持ちを歌にして、くりおねくんに届けたいな。
いまいち積極性の足りない私だから、実現できるかどうかわからないけど、いつかきっと……。
そんな私の気持ちを後押しするかのように、音楽が流れてくる。
いや、これは普通の音楽じゃなくて、メロディオンだ。
目をつぶって聴けば映像が浮かんでくる、歌うことを違法行為として追いやった、私にとっては宿敵とさえ言える音楽。
などと思いつつも、しっとりとした心地よい音色に、いつしか目をつぶって聴き入っていた。
この曲は、淡く切ない初恋のイメージをまぜ込んであるようだ。
人間の繊細な気持ちなんかを曲に乗せ、それを誰でも感じることができるようになっている、メロディオンの演奏……。
初恋のイメージだったら、たとえまだ初恋を経験していない小さな子供が聴いたとしても、切なさや温かさなんかをしっかりと感じ取ることができるらしい。
カフェに流れてくる音楽は、地上にあるステージのほうで奏でられる生の楽器演奏か、メロディオンを使った曲となる。
地下の闇ライブがまだ続いているため、カモフラージュの演奏が続いているのだ。
「なんだか甘酸っぱくて、少し恥ずかしいけど、心温まる感じだよね」
「はい、そうですね……」
今私がくりおねくんと一緒にいて感じている想いに似ています。なんて、さすがに言えなかったけど。
「メロディオンの音楽って恋愛ものが多いけど、他にもいろいろな方向性が試されてるんだよね。中にはホラー映画ばりの恐怖感を演出した音楽なんかもあるよね」
「でも、確か一時期問題になった曲もありましたよね? あまりにも怖すぎて、小さな子供だと精神に異常を来たすかもしれないって」
風香ちゃんがふとつぶやく。
そう言われれば、数年前にそんなことがあったのを、激しく忘れっぽい私でも微かに思い出せた。
「そうだね。父さんもメロディオンには裏の部分もありそうで、なんだかあまり好きになれないって言ってたかな」
「えっ? おじさんが?」
「うん。あ……ここだけの話にしておいてね」
顔を近づけてきてささやくように注意を促すくりおねくん。
ちょっとドキドキ。
「ソングフォーオールの事件とメロディオン技術の開発が、タイミング的に合いすぎているなんて噂もあるくらいだからね」
「そうですね。ネットでもちらほらと話題になったりしてましたけど」
くりおねくんの言葉に、風香ちゃんも小声を添える。
「うん。ただ、その話題で大きく盛り上がったことまではない。それも不自然だ、なにか強制力が働いているのでは、なんて邪推する人たちもいるって話だよね」
「確かに、おかしい話ですよね。人の口に戸は立てられないはずなのに。パタリと議論が止まってしまったり……」
「そうそう。風香ちゃん、そういう話題に敏感なんだね」
「はい。ネット大好き人間ですから」
「そうなんだ。僕も調べ物をするときには完全にインターネット頼りだけどね。あとはチャットで知り合いから話を聞いたりとか……」
「くりおねさんって、ネットの知り合いとかも多いんですか?」
「リアルの知り合いともチャットはするけどね。でも、ネット上だけの知り合いってのも、結構いるかな~」
……なんだか、いきなり私だけ蚊帳の外になってしまった。
私はなにを隠そう、機械オンチ。
ケータイはどうにか使えるようになったけど、パソコンなんてよくわからないし、積極的に使いたいとも思わない。
学校の授業で使うときには、風香ちゃんにおんぶに抱っこ状態だし……。
お姉ちゃんは自分のパソコンを持っているけど、私の部屋にはパソコンなんてないし、べつに欲しいとも思っていない。
でも、今どきパソコンくらいできないとダメなのかな?
などと考えている私の目の前で、くりおねくんと風香ちゃんはパソコンやネットの話題で盛り上がっているようだった。
ちょっと、というか、かなりジェラシー。
ムッとしているのがわかったのだろう、風香ちゃんが私に話題を振ってくれた。
「そういえば和歌菜、ネットサーフィンに興味あるかって訊いたら、網に絡まって大変なことになりそう、なんて言ってたよな~? 絶対、意味わかってなかっただろ~?」
いや、私をおとしいれる罠だった! くりおねくんの前で恥ずかしい過去の勘違い話をするなんて!
もっとも、私の勘違い話なんて、すでにたくさん知られているとは思うけど……。
「あはは、和歌菜ちゃんらしいね!」
「む~、わかならしいって、なんですか~!」
頬をぷくっと膨らませ、怒りをあらわにする。
と、そこでくりおねくんを交えた会話の時間は終了を迎えてしまう。
「こら、くりおね! なに話し込んでるんだ! 仕事に戻れ!」
おじさんの叱責がカウンターのほうから飛んできたからだ。
「あっ、しまった……。すみません、わかりました、父さ……マスター!」
くりおねくんは、素直に返事をする。
ライブハウスではお父さんのことをマスターと呼ぶように言われているけど、どうしても普段の呼び方が抜けないらしい。
そんなところも、なんだか微笑ましくて好きな部分だったりする。
「それじゃあ、僕は行くね。ふたりとも、ゆっくりしていってね」
「はい!」
「もちろんです。自分でお金を払って注文したんですから。……和歌菜と違って」
「あはは、根に持ってるね。だったら風香ちゃんも今度歌ってみる?」
「遠慮しておきます。私は善良な一市民ですから」
「う……。わかなは善良じゃないとでもいうの?」
「だってほら……犯罪者だし」
後半はぼそっと、小さな声で耳打ちされた。
「うぐう……」
返す言葉もない。
「それを言ったら、僕も父さんも共犯者だけどね」
くりおねくんはパチリとウィンクを残し、カウンターのほうへと小走りに駆けていった。




