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歌うことが犯罪となってから約二十年。
昔は歌を聴いて癒されたり勇気づけられたり、そんな時代があったと話には聞く。
今ではもう、それはありえないことなのだ。
海外からの歌の輸入も禁止されていて、海外ドラマや映画の主題歌なんかも、日本のメロディオン音楽に差し替えられてしまう。
私が生まれる前から続いていることだし、それが普通なのだとわかってはいる。
ともあれ、なにか寂しく感じる気持ちがあるのも、また事実だった。
どうしてそんなふうに思うのか。
それはやっぱり、綾芽さんの歌を聴いているせいに他ならない。
――これも、マインドコントロールだっていうの?
そんなことはない……と思う。
とはいえ、現実に法律で禁止されているのは確かで……。
自問自答する日々。
お母さんに心配をかけているのは心苦しい。
お姉ちゃんだって心配するだろう。
それでも私は――、
歌いたい。
そう。歌いたいのだ。
綾芽さんの歌を聴くだけではない。
自分で歌を歌いたい。
いや、実際に歌っている。
もちろんそれは、犯罪行為。
最初のソングフォーオール事件で歌っていた歌手には厳罰が下されたものの、実際に歌唱罪が制定されて以来、逮捕されて厳罰になった例はないと聞く。
たとえそうであっても、犯罪は犯罪だ。
今日綾芽さんのライブがあったのは、隣町のライブハウス。私も風香ちゃんも、初めて行った場所だった。
だから厳重注意だけで帰されたけど、警察の強制捜査を受けたのがいつも行っている近くのライブハウス『流氷天使』だったら……。
おそらく私も、厳重注意では済まされない事態となっていただろう。
警察に連れていかれて、そして――。
どうなっちゃうのかな……?
歌唱罪で厳罰となった例はないから、しばらく拘留されてそれで許される?
でも、警察の人、逮捕するって言っていた気が……。
「綾芽さん……大丈夫かな……」
ポツリとつぶやきが漏れる。
気分を変えよう。
そう思い、机に向かって夏休みの宿題に取りかかろうとしてはみたものの、案の定、集中なんてできやしなかった。
☆☆☆☆☆
オリハルコンのボーカルである織春綾芽さんは、私と同じ町に住んでいる。
すらりと背が高くプロポーションも抜群で、まさに美人といった雰囲気をまとった女性だ。
かなり年上のお姉さんという印象があるけど、実際にはまだ十九歳なのだとか。
普段は町の中心部に存在する、規模の大きなライブハウスでウェイトレスとして働いていた。
だけど裏の顔は、闇ライブの歌姫。
歌が違法行為だというのは、観客たちもわかっている。にもかかわらず、絶大な人気があるのだ。
そんな人気者の綾芽さんだけど、私は何度も会ったことがある。
闇ライブに足を運んでいるうちに顔を覚えていたらしく、綾芽さんが『流氷天使』を訪ねてきた際に話しかけてくれた。
歌っているときはノリノリですごくカッコいい綾芽さんだけど、実際に話してみると、普段はなんだかやけに落ち着き払っていて驚いたものだ。
そんなギャップも、私には素敵に思えた。
私にとって、綾芽さんは憧れであり目標でもある。
それは私も歌っているから。
ライブハウス『流氷天使』の地下にあるステージで、私はひっそりと歌わせてもらっている。
私はそっと、カギのかけてあった机の引き出しを開けた。
そこにはノートがこっそりと仕舞ってある。
ページをぱらぱらめくると、私が書いた文字の羅列が視界に映り込む。
ぱっと見ただけでは単なるポエムとしか思えないだろう。
でもこれらはみんな、私の持ち歌の歌詞なのだ。
作曲は私にはできないから、主に『流氷天使』のマスターであるおじさんにお任せしている。
実際に演奏してもらった曲がデータ化されているため、私はライブハウスでそれを聴かせてもらう。
演奏した曲のデータをもらっておけばいいのだけど、歌っていることがバレてしまう可能性もあるからと、おじさんは渡してくれない。
もっとも、パソコンを持っていない私では、データで渡されても困ってしまうだけなのだけど。
ともかく、一度聴けばメロディーは私の頭の中に楽譜となって記憶されるため、この方法でまったく問題はない。
お姉ちゃんが言っていたように、私にはそういう能力が備わっているからだ。
まだ持ち歌の曲数はあまり多くないけど、全部合わせれば十曲以上はあるだろうか。
町の外れにある小さなライブハウスでひっそりと歌うだけの私……。
そんな私の歌でも、聴きに来てくれるお客さんがいる。
……素人だし、お金を取っているわけじゃないから、お客さんとは呼べないかもしれないけど。
ほんのひとときでも歌声を聴いて楽しんでくれる人がいてくれるなら、私は喜んで歌いたいと思う。
たとえそれが、違法行為になるとしても――。
☆☆☆☆☆
歌詞ノートのページをめくる。
私の書いた歌詞。
私は以前、綾芽さんから直接、歌詞の手ほどきを受けたりもしていた。
「自分の考えとか思ったことなんかを、飾らず素直に綴っていけばいいのよ」
そう言われて、素直に書いてみた。
「書き上がったら、誰か親しい人に読んでもらうのがいいわよ。独りよがりな詞にならないためにもね」
といった助言を受けて、ちょっと恥ずかしかったけど、風香ちゃんに見てもらったこともある。
感想を聞いてみると、
「うん、和歌菜らしい!」
と笑われた。
私らしい、というのはいいとして、どうして笑うの? と尋ねてみたら、
「だって、すごく変だし! 笑えるよ、これ! 最高!」
との反応。
どこが変なの? と続けて訊いてみれば、
「全部に決まってるじゃん! でも、ほんっと、和歌菜らしい! ま、和歌菜自身も変な子だし、合ってるよな! さっすが~!」
なんて言われて、ある意味才女だ! と囃し立てられる始末。
これってどう考えても、褒められてはいないよね……?
「だいたい風香ちゃんだって、結構変わってるのに~」
お金持ちのお嬢様のはずなのに、なんだかすごくサバサバした遠慮のない喋り方をするし。
そんな意味を含めたぼやき声を響かせた途端、ケータイの着信音が鳴った。
「あっ、風香ちゃんからメールだ」
もしかして、変わってるなんて言ったから?
……そんなわけないよね。
私はケータイのメールを確認する。
件名 : 大丈夫?
本文 : 今日は大変だったね。ところで、大丈夫? お母さんに怒られたんじゃない?
風香ちゃんはどうやら、心配してメールを送ってきてくれたようだ。
あまり長くない簡潔な文章で、絵文字すら使わないのは、私たちのあいだでの決め事。
余計な飾りなんて、私と風香ちゃんには必要ないのだ。
……単純に、ケータイを買ってもらった当初、絵文字入力のやり方がわからなかった私を気遣って、風香ちゃんはそういうふうに言ってくれたのだと思うけど。
それ以来ずっと、こうやって少し味気ないメールのやり取りを続けている。
飾り気のない文字の中でも、相手の温かな気持ちを感じる。というよりも、自然と想像できるといった感じだろうか。
そんな感覚が心地よいから続けている、という側面もあるのかもしれない。
とりあえず、私はゆっくりと文字を打ち込み、メールを返す。
私の文字入力速度が極端に遅いのも、簡潔な文章でのやり取りにしてくれた理由のひとつだったのかもしれないな。
件名 : うん
本文 : そっちこそ大丈夫? わかなはお母さんにお尻を叩かれて、結構痛いよ~。
返信メールを送ってから一分も経たないうちに、さらに返信が届いた。
風香ちゃん、早すぎ……。
件名 : それなら
本文 : 明日も痛いようだったら、お尻をさすってあげる。ぐふふ。
ぐふふって……。
件名 : もう
本文 : オヤジ笑い禁止!
件名 : にやり
本文 : まあいいや、おやすみ。お尻の痛みが治らないことを祈っておくよ。
件名 : おやすみ
本文 : 治ることを祈ってよ!
メール終了。
「まったく、風香ちゃんってば、変なんだから」
ぼそっとつぶやき、ケータイをテーブルに置く。
メールで話題にしたせいか、忘れかけていたお尻の痛みが心なしか強くなってきたような気がする。
「お母さん、強く叩きすぎ……」
自分でお尻を軽くさする。
「だけど……わかなが悪いんだから、仕方がないよね……」
そのままベッドに身を横たえ、私はタオルケットを頭からかぶる。
夏休み初頭のこの時期、夜になっても気温は高いままだ。
熱帯夜かもしれない。
それでも、肉体的にも精神的にも疲れていたのだろう、寝苦しいと思う間もなく、私は一瞬にして眠りの世界へと飲み込まれていった。




