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ヤミウタ  作者: 沙φ亜竜
第4楽章 歌姫と最後の闇歌
20/22

-6-

 へたり込む隊長さんに、数人の警察官が慎重に近寄る。

 戦意は喪失していると思われるものの、抵抗しないとは限らない。

 息を殺して様子を見守る。


 そのとき。

 微かに音が聞こえてきた。


 なんだか、嫌な感じ。

 上下左右すべての方向から、地鳴りのような重苦しい音が響いてくる。

 そう思ったのは私だけなのか、他の誰も、なにも言わない。


「ね……ねえ、くりおねくん。変な音がするの……」

「えっ? ……僕には聞こえないけど……」


 やっぱり、気のせいなのかな……?


「だけど、和歌菜ちゃんに聞こえたなら、なにかあるのかもしれない」


 くりおねくんがそう言ってくれた瞬間。

 背後から慌ただしく駆け寄ってくる足音が聞こえてきた。


「大規模な土砂崩れが起きそうです! 早く逃げてください!」


 外で待機していた警察官なのだろう、切羽詰った焦りの声が届く。

 降り続いていた雨の影響で、地盤が緩んでしまっていたようだ。

 一部ではすでに土砂崩れが始まっているらしい。


「このホールの上辺りから、獣の咆哮のような不気味な音がしています! 崩れるのも時間の問題かと!」

「わかった。総員、速やかに退避! ホールの外へ急げ!」


 本部長さんの指示で、通路に残ったままだった人たちを含め、全員がエントランス方面へと駆け出す。


「あたしたちも逃げるわよ!」

「うん」

「はいっ!」


 綾芽さんの言葉で、くりおねくんと私も急いで部屋を出ようとした。

 そこで気づく。

 隊長さんが、座り込んだまま動こうとしないことに。


「おい、お前も早く来るんだ!」


 本部長さんが叫ぶ。

 身柄を捕らえようとしていた警察官たちは、先ほどの本部長さんの指示を受け、すでに部屋から逃げていた。


「俺は罪を犯した。もう終わりだ……。ここで……このホールで心中するよ。ソングフォーオール事件の記憶とともに……」


 気力のない声でつぶやく隊長さんの声は、逃げる人たちの足音や声によってかき消されてしまうほど、小さなものだった。


「なにを言っている! 早く来い!」


 本部長さんは部屋の奥まで駆け込み、隊長さんの腕をつかんで立たせようとする。

 それでも隊長さんは、頑として動こうとしない。


「立てこもり事件で唯一の犠牲者となった女性がいたんだ……。撃ったのはこの俺だ。威嚇射撃のつもりだった……。焦っていたとはいえ、浅い角度で撃ってしまった俺のミス……。跳弾が、彼女を貫いてしまったんだ……」


 え……? それって……。


「彼女への謝罪の意味も込めて、ここで幕を閉じることにするよ……」


 すべてを終わったと言わんばかりの表情で独白する隊長さん。


「本部長、あんたも早く逃げてくれ。ホールと心中するのは、俺ひとりだけでいい」

「ふざけるな!」


 大声を飛ばしたのはおじさんだった。

 混乱の中でいつの間にか部屋に入り込んでいたのだろう。


「生きて罪を償え! 今は自分の足で立ち上がって、しっかり歩くんだ!」


 そう叫びながら、おじさんは隊長さんの片腕を引っ張り上げ、力ずくで立たせようとする。

 本部長さんとふたりがかりとなっては、抵抗のしようもなかったのだろう。

 左右から抱え上げられる形で、隊長さんは無理矢理、直立させられた。


 ソングフォーオールの立てこもり事件でただひとりの犠牲者となったのは、おじさんの奥さんだ。

 いわば、仇と呼んでもいい相手。

 その相手を、おじさんは助けようとしている。


「そうですよ! 死んでいい命なんてないんですから!」

「罪を犯したなら、精いっぱい償う。死んで詫びるなんて、逃げているだけですよ。犠牲者の女性に悪いと思うなら、生きて自分にできること見つけて償えばいい。僕はそう思います」

「そうね。本人は亡くなっていても、必ずなにか償う方法はあるはずよ。お墓参りして天国に向けて謝るだけでもいい。死んだらそれすらできなくなるのよ?」


 私もくりおねくんも綾芽さんも、危険が迫っている中だというのに、思いのほか落ち着いていた。


 大丈夫。

 音は大きく響いてきているけど、まだ余裕がありそうだ。

 単なるカンでしかないけど、私は不思議と確信を持っていた。


 犠牲者の女性というのが、おじさんの奥さんだというのは、くりおねくんや綾芽さんも気づいているに違いない。

 だけどあえて、そこには触れなかった。

 おじさん自身がそれを隊長さんに語っていない以上、部外者には踏み込めないと考えたのだ。


「…………」


 おじさんと本部長さんに両脇から抱えられた隊長さんは、終始無言だった。

 無言のまま眉を寄せ、苦悶の表情を浮かべている。

 でもすぐに、諦めた様子で力を緩めると、素直に出口へ向けて歩き始めた。


「よし! 君たちも、急いで外へ出るんだ!」

「はい!」


 本部長さんに促され、私たちもようやく部屋を出た。



 ☆☆☆☆☆



 通路を抜け、エントランスを通り、ドアを開けて外へ。

 その途端、凄まじい轟音が襲いかかってくる。


 もともと防音設備のしっかりとした施設。外からの音も聞こえづらかったのだ。

 自分の耳に届く音だけを頼りに安心しきっていたのは、完全に間違いだったのかもしれない。


「急げ!」


 まだ雨は降っている。

 ぬかるんだ山道を必死に駆け下りていく私たち。


 猛獣のうなり声のような激しい山鳴りの発生源は、周囲に反響して絶対とは言いきれないけど、ナガネギーホールの上方の辺りだと推測できた。

 なるべく離れておく必要がある。

 下りのほうが、距離も稼げる。

 そう考えたのだ。


 バシャバシャと泥を巻き上げながら走る山道。

 服や体が汚れることなんて、気にしてはいられない。

 どうやら隊長さんも、本部長さんに腕をつかまれてはいるものの、すでに自力で走って逃げているようだ。


「やばい、崩れてきてるぞ!」


 誰かの声が響く。

 と同時に、爆発音のような大音量が、すべてを飲み込み始める。


 一目散に逃げるしかない!


 逃げ遅れれば、波のように襲い来る土砂によって木々とまとめて押し流され、海の藻屑ならぬ山の藻屑となってしまうだろう。

 急げば急ぐほど、焦れば焦るほど、失敗してしまうのが人間というもので。

 走ることが得意じゃない私は、安定しない泥の地面に足をすくわれてしまう。


 ものの見事に転倒してしまったのだ!


 ずべしゃっ!

 ぶざまな音を立て、地面に顔面からモロに突っ込み、服も髪も全身が泥まみれになる。

 ヒザをぶつけてしまったのか、激しい痛みで顔も歪む。


 轟音が四方八方から耳に飛び込んでくる。

 土砂は、確実に迫ってきている。

 立ち上がろうとしても、足の痛みのせいか焦りのせいか、上手く立ち上がることができない。


 ――もうダメ、間に合わない!


 せめて目と口を閉じて、泥が入り込むのを少しでも食い止めよう。

 そんなの無駄なあがきだと、わかってはいるけど……。


「諦めるな!」


 突然耳もとで声が響く。

 愛しのくりおねくんの声。

 これは……走馬灯ってやつ?


「立って、走るんだ!」


 いや、違う。

 本当にくりおねくんだ!

 くりおねくんは泥まみれになった私に躊躇することなく、しっかりと横から抱え上げてくれていた。


 そうだ。

 私だって、生きなきゃ!


「うん、走る! くりおねくんと一緒に!」

「よし、行くよ!」


 泥にまみれた私たちは、力いっぱい駆け出す。

 その背後を、雷鳴のごとき地響きを伴って押し寄せた大量の土砂が、怒涛の勢いで流れ落ちていった――。


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