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ヤミウタ  作者: 沙φ亜竜
第1楽章 歌=犯罪
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-2-

「まったく、あんたって子は! お母さん、情けなくて涙が出てくるわ!」


 怒鳴り声をぶつけられ、私は肩をすぼめる。

 その言葉どおり、お母さんの頬には涙の筋が流れていた。


 ライブハウスでの一件のあと、私を含む観客は一ヶ所に集められ、思ったとおり警察からの注意を受けただけで帰宅を許された。

 言うまでもなく、綾芽さんたちバンドメンバーやライブハウスの経営者は、パトカーに乗せられて連行されてしまったわけだけど。

 でも、助かった、とは言いきれない。


 会場にいた観客の名前は、ライブ前の誓約書の署名を見れば明らかだ。自宅の住所や電話番号も記入している。

 そのため、家族には警察から連絡が行ってしまう。


 監督責任を問われ、お母さんも警察からの電話で厳しく注意を受けたに違いない。

 家に帰り着いた私を、お母さんは玄関で出迎えてくれた。般若のような形相を添えながら。

 耳を引っ張られ、居間に正座をさせられ、私は今、お母さんに怒られている。


 悪いことだというのはわかっていた。

 反論なんてできない。

 ただ、納得できているかといえば、それはまた微妙なところで。

 そんな複雑な表情をしているせいか、お母さんには反省の色がないと勘違いされてしまったようだ。


「和歌菜! あんたはどうしてそう、ちゃんと謝れないの!? いつもへらへらへらへら。自分勝手でわがままで! もっと自分の行動に責任を持ちなさい!」

「…………」


 うつむいて、黙り込むだけの私。

 悪いのはわかっていても、納得できてはいない。

 納得できていないのだから、謝罪の言葉が口から滑り出すこともない。


 嘘でもいいから謝ってしまえばいいのかもしれないけど……。

 それはそれで、心がこもっていないと見透かされて余計に叱られる原因にもなりそうで。

 結局、台風が過ぎるのをただじっと耐えるように身を縮こませることしかできなかった。


「風香ちゃんにまで迷惑かけて! どうせ和歌菜が連れ出したんでしょう? お母さん、穂波さんに顔向けできないじゃないの!」


 お母さんは風香ちゃんのことにまで言及してきた。

 警察からの連絡で、一緒にライブハウスに行っていたと知ったのだろう。


 私と風香ちゃんは親友で、中学でも同じクラス。毎日ほとんど一緒に行動している。

 私の家にも何度も遊びに来たことがある。当然、お母さんとも顔馴染みだった。


 風香ちゃんは、代々続く名家のひとり娘で、お手伝いさんが何人もいるような広いお屋敷に住んでいる、いわゆるお嬢様。

 私とは身分違いもいいところだ。

 それでも風香ちゃんは嫌な顔ひとつせずに私と一緒にいてくれる。

 そりゃあ、たまにケンカをすることもあるけど、仲のよい本当のお友達で、唯一無二の存在なのだ。


 もっとも、なにかあるとすぐ、私が悪いことにされてしまう。

 ……実際のところ、たいていは本当に私が悪いのだけど。


 今回の件に関しても、私が風香ちゃんを誘ったのは間違いない。

 それでも風香ちゃんだって、納得した上で一緒に行ってくれたはずなのだ。

 警察が突入してきた混乱の中、本人もそう言っていたわけだし。


 だから、私は悪くない。

 ……などとはもちろん思っていない。


 やっぱり、私が悪かったのは紛れもない事実。

 素直に謝るべきなのは、自分でもわかっている。

 わかってはいるけど――。


「まさかあんた、隠れて歌ったりなんて、してないでしょうね?」

「そ……そんなことしてないよ!」


 とっさに嘘が飛び出す。


 私は綾芽さんのライブに足を運んで楽しむだけでなく、自分でも歌を歌っている。

 とはいえ、それは歌唱罪となる違法行為――。

 隠しておかなければならないことなのだ。お母さんをこれ以上心配させないためにも……。


「だけどあんた、綾芽さんだっけ? あの人と会ってたらしいじゃないの! それも一度や二度じゃないんでしょう?」

「う……」


 これもまた事実だ。

 単に人と会っていたというだけだし、警察からの電話でそこまで伝わることはないと思う。

 とすると、おそらくは近所の井戸端会議かなにかで得た情報なのだろう。


「わ……わかな、わかんなぁ~い」

「またあんたは、そうやってごまかす! 歌手なんて、今の世じゃ犯罪者なのよ? ちゃんとわかってるの?」

「わ、わかってるよぉ……」

「わかってないでしょ! あんたって子は!」


 ここまで来て、お母さんが実力行使に出た。

 私の体を無理矢理抱え上げ、四つん這い状態にさせると、何度も何度もお尻を引っぱたき始めたのだ。

 ……中学二年生にもなってお尻ペンペンされるなんて、思ってもいなかった。


「まったく!」(ぺしっ!)「あんたは!」(ぺしっ!)「もう!」(ぺしっ!)


 涙まじりの声と、お尻を叩かれる音が居間にこだまする。

 私のお尻は物理的に痛いけど、お母さんの心も同じように、いや、それよりももっと痛んでいるに違いない。


 どうしてお尻を叩かれなくてはいけないのか。

 納得の行かない部分はあるものの、お母さんの気持ちもよくわかる。

 私は黙って叩かれ続けた。


「ちょっとは」(ぺしっ!)「お姉ちゃんを」(ぺしっ!)「見習いなさい!」(ぺしっ!)


 むっ……。

 また出た。

 ちくりと胸が痛む。


 いつもいつも、お母さんは私とお姉ちゃんを比較するのだ。


 有名な進学校である高校へと進んだお姉ちゃんは、レベルの高い中でも首席の成績を誇り、東大でも京大でも現役合格間違いなしと噂されるほどの優等生。

 勉強ができるだけでなく、スポーツも万能。女子バレー部のエースとしても活躍しているらしい。

 文武両道なお姉ちゃん……。今年は生徒会の副会長を務め、来年には会長の座も確実視されているとか。


 そのお姉ちゃんが、いつの間にやら居間のドアの陰に立ち、こちらへと視線を向けているのに気づく。

 私がお尻を叩かれながら怒られているのを、哀れみの目で見つめているようだった。


「もうそれくらいで許してあげたら? あまり強く言い過ぎると、逆効果ってこともあるわよ?」


 お姉ちゃんの言葉で、お母さんがハッと顔を上げる。


「あら、聖理架(せりか)、お帰りなさい。部活、お疲れ様。夏休み中だっていうのに、大変よね。……いけない、夕飯の準備、すぐにしないとね!」


 四つん這いの私を放置したまま、お母さんはそそくさと立ち上がると、


「和歌菜、しっかり反省するのよ!」


 そう言い残し、急ぎ足で居間から出ていった。



 ☆☆☆☆☆



「……お姉ちゃん、助け舟を出してくれて、ありがとう」


 私はスカートの裾を直しながら、お母さんと入れ替わりで居間に入ってきたお姉ちゃんにお礼を述べる。

 いつもいつも比べられるお姉ちゃん。引け目は感じている。

 でも、恨みとか妬みとかいった感情はまったく持っていない。


「べつに~。だいたい和歌菜は要領が悪いのよ。適当に謝って済ませちゃえばいいのに」

「う~、でも……」

「ま、それができないのが和歌菜のいいところでもあるって、私は知ってるけど」

「いいところでは、ないと思うな……」

「ん~、私にとって都合のいいところ、って感じかしら。私はほら、また『いいお姉ちゃん』って思ってもらえるポイントを稼ぐことができたわけだしね」


 お姉ちゃんはそう言って、ふふっと笑う。

 こんなことを言ってはいるけど、お姉ちゃんが私を大切に思ってくれているのは、温かな笑顔を見れば伝わってくる。

 だからこそ、私はお姉ちゃんが大好きなのだ。


 聖理架お姉ちゃんは、三歳年上の高校二年生。私が幼い頃は、よく手を引いて歩いてくれたっけ。


「怒られてるの聞いてたけど、またあの人のライブに行ってたのね」

「うん……。綾芽さん、警察に連れていかれちゃった……」

「えっ、そうなの!? 和歌菜、そんなとこにいて、大丈夫だったの!?」

「う……うん……。警察の人にいろいろ言われたけど、観客の人たちはみんな、お咎めなしで帰された」

「そう、よかった。だけど、気をつけなきゃダメよ? 和歌菜になにかあったら、私……」


 今にも泣きそうな顔。


「……いいお姉ちゃんポイントが稼げなくなっちゃう?」

「そ、そうよ! あ~、危なかったわ!」


 私の言葉で、恥ずかしさが込み上げてきたのだろう、お姉ちゃんは真っ赤になっていた。

 思わずクスリと笑みがこぼれる。


「なに笑ってるのよ!」

「ううん、なんでもない!」


 さっきまでの重苦しい気持ちが、お姉ちゃんのおかげで一気に軽くなった。

 やっぱりお姉ちゃんには敵わないな。

 成績とかだけじゃなく、人間的な部分においても……。


「和歌菜はせっかく能力があるっていうのに、上手く活かせないから、ほんと、もったいないわよ」

「え~? わかなに能力なんてないよ~」

「なに言ってんの。一度聴いたメロディーは、楽譜のイメージとして記憶できるんでしょ? そんな能力があるんだから、なにか楽器の演奏家でも目指せばいいのに。もしくは、作曲家とか」

「う~ん……」


 それは何度も言われていることだった。

 どうやら絶対音感を持っているようで、私はどんな音でも楽譜としてイメージできる。


 ともあれ、楽器の演奏に関しては、手先の不器用さも相まって、どうにもならないことが判明している。

 同様に、作曲もまた別の才能が必要な分野らしく。

 ちょっとだけ挑戦してみたことはあるものの、私には絶対に無理そうだという結論に達していた。


 そんな経緯もあって、歌いたい、という方向へと流れていったわけだけど。


「わかなには無理よぉ~」

「何事も挑戦あるのみよ!」

「お姉ちゃんみたいに優秀だったら可能かもだけど、わかなみたいな出来の悪い子には無理だもん」

「ほら、いじけないの! 和歌菜だって、やれば出来る子だと思うわよ?」

「そんなことないもん。わかな、お姉ちゃんがいないと、なんにもできないもん」


 私はそう言いながら、お姉ちゃんにくっつく。


「もう、甘えん坊なんだから」


 お姉ちゃんは、そう言いながらも、私の頭を優しく撫でてくれた。

 いつまでも甘えてはいられない。それはわかっている。

 だけど、甘えられるうちは甘えていたい。

 それを許してくれるお姉ちゃんだから、というのもあるだろうけど……。


 これが私の現状。

 専業主婦のお母さんと、忙しくてあまり家にはいない政治家のお父さん、そして優秀なお姉ちゃんという家族に囲まれ、幸せに暮らしていた。


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