第一話 予測できない彼女の思惑
桜舞い散る季節、春。
私達は、二人して同じ大学に入った。
私―上月聡―と彼女―雪野沙希―の二人は。
そして、それと同時に驚いた。
その人間の多さにだ。
私達の通う事になった大学は、関西圏にある有名公立大学である。
その道の人なら、きっと知っている。
有名な財界人を何人も輩出している。
そんな大学だが、別にマンモス校ではない。
総合大学ですらない。
単なる単一大学である。
それなのに、その人間の多さに驚いた。
特に、対人恐怖症と言うか、人の多い所が苦手な私にとってはショックだった。
これから、四年間過ごす事になるこの大学。
はたして、自分はこの人の多さに耐えられるだろうか。
そう思ったら頭痛がしたのだ。
とはいえ、すぐにそんな事も言っていられなくなった。
初めてだらけの事。
余裕なんてすぐになくなる。
人の多さに構う暇などなかった。
その日を、無事に終わらせる事で手いっぱいだった。
確かに、高校に比べれば、宿題も少なく、そういう面では楽だった。
けれど、その分、全てに置いて自己責任が問われ、誰にも頼れない状況になっていた。
そんな状況下で、人の多さなど大して、問題にはなりえなかった。
大学生活に慣れるまでは。
「なぁ、合コンいかないか?」
私は、思わず、目の前にいる男を凝視した。
この男の名前は、植野孝。
一応、この大学で初めて出来た私の友達だ。
「行かない」
けれど、その問いかけはすぐに切って捨てる。
いきなりの事に驚いたが、そんなものに行く気は皆無。
むしろ、金の無駄だ。
「はぁ!?」
けれど、それは彼には通じなかったらしく、露骨に驚かれた。
はっきり言わせてもらえば、オーバーリアクションだ。
なんだか、彼女に似ているような気がしないでもない。
……いや、それは彼女に失礼か。
彼女は、こんな意味不明な突拍子も無い提案をしない。
少々無茶な提案はたまにあるけど。
「いや、まて、もう一度聞くぞ。合コンに行かないか?面子はかなりレベル高いぞ?」
それはさておき、孝は私の答えが気に入らなかったのか、
もう一度そう言う。
「行かない」
けれど、答えは変わらない。
「俺、彼女いるし」
彼女がいるのに、合コンに行く意味なんて無い。
あれは、出会いを求めるためのもののはずだ。
なら、私には関係ない。
まぁ、彼女がいるのに行くと言う人もいるらしいが、私はそんな気はないし。
「は!?お前、彼女いたの!?」
けれど、それこそ、一番のショックだったらしく、ありえないほど目を大きくしている。
いや、まぁ、孝の気持ちも分からないでもない。
この私に彼女がいるなんて、そうそう予測は出来ないと思う。
「まあね。高校の時からの彼女がいるんだよ」
だから、別になんとも思わない。
ちょっとだけ、腹立たしいような気がするけど、気にしない事にする。
気にするだけ無駄だし。
「まじかよ」
そんな心優しい私は、孝の言葉を聞き流す。
目の前にいる孝といえば、思いっきりショックを受けて凹んでいる。
そこまで、ショックだったのだろう。
この私に彼女がいた事が。
「ま、まぁ、そうだよな。選ばなければ、誰だって彼女ぐらい出来るよな」
しかし、どうにか立ち直ったのだろう。
顔を上げると、そういう。
失礼な言い草をつけてくれたが。
まぁ、私の相手なら、そんなふうに思ってしまっても仕方がない。
何と言っても、わたしはそんなたいした男ではない。
顔が特別いいわけでもないし。
だから、その意見はもっともだ。
もっともだけど…
「あ、沙希さん?俺だけどさ、今どこにいるの?うん?食堂?ご飯食べて終わった?そっか。んじゃ、今からこっちに来てくれない?外のベンチに座ってるからさ、隅っこの方の」
私は、携帯を取り出すと、彼女にかける。
もちろん、こっちに呼び出すためだ。
孝の意見はもっともだ。
だけど、だからと言って、許せるかと言うことは別の話しだ。
彼女の事をとやかく言われるのだけはイヤだ。
まぁ、孝が沙希さんを見て、どんな反応をするのかが、見てみたいと言うのもあるが。
「おい、もしかして、彼女呼んだのか?」
そんな僕の内心に気づいたのだろう。
顔を寄せてくるとそう言う。
けれど、どこかその顔はいやそうだ。
まぁ、期待していないからなのだろう。
「まぁ、そうだな」
私は、それを取り合わず、適当に流すと、食堂の方に視線を送る。
ちょうど、彼女の姿が見えたからだ。
もちろん、彼女も私の姿を確認すると、ぱたぱたと走ってこちらに向かう。
「どうしたの、聡君?」
そして、私の目の前まで来ると、そう言う。
「いや、ちょっと沙希さんの事を紹介しておこうかなと思って」
それに対して、私は平然と最初から準備していた言葉で返す。
けれど、平然としていられないのは、目の前にいる孝である。
目を大きく見開き、口をあんぐりとあけている。
もうほとんど呆然としている。
私は、その姿がたまらなくおかしかった。
もう、今にも笑い出しそうだった。
それこそ、腹がよじれてしまいそうなほど。
「紹介するね。俺の高校の時からの彼女で雪野沙希さん。専攻は俺達と同じ経営」
けれど、私は、それを腹の中に押し込むと、平然とした顔で続ける。
まさしく、とどめである。
孝は、うなだれるように、俯く。
瞬間的に見えた顔は、うつろだった。
まぁ、こんなありえない現実を目の当たりにしたら、そんな顔をしたくなるだろう。
何と言っても、彼女は文句なしの美少女なわけだし。
くりりとした二重の愛らしい大きな瞳。
さらさらと流れる極上のシルクのような黒髪。
神の仕事と言わんばかりに均整の取れたパーツの配置。
淡雪のように白く澄み、しみやそばかすなんてない綺麗な肌。
抱きしめれば折れてしまいそうなほど華奢な体。
けれど、出るところはしっかりと出ている。
そんな少女が私の彼女だと言うのだ、ショックを受けないほうがおかしい。
高校の時だって、それはそれは大混乱になったわけだし。
「てか、沙希さん、座ったら?」
それはいいとして、いまだショックから立ち直れてない、孝を放置し、彼女に席を勧める。
さすがに、いつまでもたたせておくわけにも行かない。
彼女は小さく頷くと、私の隣に腰をかける。
「それにしても、いいの?」
そして、それと同時にそう尋ねた。
いったい何の事だろう。
一瞬、考えたが、すぐに思い浮かぶ。
「別にいいよ。元々隠してたわけでもないし」
こういうことだった。
私達の関係は、まだ誰にも言ってない。
彼女もそうだ。
とは言え、彼女に答えたように、別に隠していたわけでもない。
ただ、わざわざ言う必要がないと思ったから言わなかっただけの事だ。
「そっか。んじゃ、堂々としててもいいんだよね?」
それを、どうやら、彼女は勘違いしたらしく、隠しているものだと思っていたらしい。
まぁ、高校の時の例があるから仕方ないけど。
「まぁね」
だけど、もう隠す必要もない。
私に与えられるものなら、全て彼女に与えたい。
それが、私の支えになってくれる彼女に唯一出来ることだから。
「そっかそっか」
そして、その言葉は、彼女にとっては何よりのプレゼントになったらしく、さらににじり寄ってくる。
彼女の息遣いも必然的により強く感じ始める。
最初に触れ合ったのは手だった。
彼女の手のひらをそっと私の手に重ねる。
そして、さらに近づくと、今度は手を絡める。
もう、そこからは、動かない。
しっかりと僕の腕を抱きこむと、体重を僕に預ける。
二人きりの時みたいだ。
いや、もう、今、ここは二人だけの世界となっている。
邪魔する物は、きっと誰も……
「うがぁぁぁぁぁ!!」
いないと思ったら、しっかりといた。
どうやら、復活したらしい。
思いっきり頭を抱えて、叫んでいる。
どうやら、彼にはこれは少々刺激が強すぎたみたいだ。
「いったい、どうなってんだよ!?」
それが爆発したのだろう、私に掴みかかってくるように口を開く。
とはいえ……
「だから、さっきも言ったじゃん。沙希さんは俺の高校の時からの彼女だって」
だからといって、素直に答えるつもりはない。
本当は、どういう意味で分かっているんだけど、あえてほじくり返す。
だって、そっちのほうが、おもしろいから。
「ちげーよ、そうじゃなくて、どうして、お前みたいなや…いや、なんでもありません、俺が悪かったです」
そして、そんな私の答えに対して、業を煮やしたのだろう。
早速、食いかかってくる。
まぁ、その勢いもあっという間に削がれたが。
もちろん、他の誰でもない彼女だ。
さっきまで、ほんわか幸せ顔をしていたけど、孝がその言葉を言いかけたところで、恐ろしいまでに睨んだのだ。
あれは、まさしくメデューサの眼力ぐらいの威力はあったと思う。
そして、それの直撃を受けた孝は、あっさり負けを認めたのだ。
まぁ、彼女と戦おうなんて思わないだろう。
負け戦と分かって戦う輩はいない。
まぁ、それはそれで、おもしろくないから、悔しいけど。
もう少し粘ってくれたほうが、私としてはおもしろいし。
それはそれで、彼女に失礼な気がしないでもないけど、元々そんな性格だから諦めてもらおう。
いまさら、どんな事をいったところで、変わらない。
俗に言う『三つ子の魂百まで』と言う奴だ。
まぁ、今の性格は、三つの時に形成された物じゃないけど。
でも、それはそれでいいとしておこう。
気にするだけ、疲れるし。
「ねぇ、そういえば、どうして、私呼んだの?」
そんな脳内でばかな事を考えていると、彼女が孝から視線をはずしながら、そう尋ねる。
どうして、そう聞くのかは分かっている。
もちろん、
『さっき言ったよ』
なんて無粋な事は言わない。
彼女は、どうして、自分を孝に紹介しようとしたのかを聞いていたのだ。
私がわけもなくそういう事をするような人じゃないことが、分かっているから聞いたんだろう。
「まぁ、なんとなくだよ、なんとなく」
だからと言って、素直に本当の事を言うわけにもいかない。
変に心配をかけたくない。
それに、誰だって聞きたくないだろう?
自分の恋人が合コンに呼ばれただなんて。
私だって、聞きたくない。
だから、言わなかった。
「いや、俺が合コンに誘ったの」
なのに、あっさり目の前にいるばかは言ってくれた。
せっかく隠そうとしたのに、なんて奴だ。
しかも、子憎たらしい顔をしてこっちを見てるし。
どうやら、喧嘩の種をふっかけるつもりらしい。
「ふ~ん。そうなんだ。行くの?」
が、そんな目論見はあっさり崩れ、何でもなさそうに、彼女は聞いてくる。
まぁ、そんな物だろうとは分かってた。
目の前にいるばかは、ぼんやりとそんな彼女を見てる。
「いや、行かないよ。俺には沙希さんがいるからね」
それが、おもしろくて、笑いそうになったけど、そんな奴より、彼女の方が大事。
変に出遅れて、誤解されても困るし。
私にとっての優先順位は彼女だ。
まず、彼女が第一。
彼女がいないと、まともに生きて行く自信がないから、そうなる。
本当に、自分で言うのもなんだけど、だめ人間だと思う。
まぁ、彼女の事を大切にしようとしてる分は、まだましだけど。
これで、彼女の事を大切に出来ないようじゃ最低だし。
て、私も、本当に自己弁護が好きだね。
「そうなの?別に、私の事なら気にしなくてもいいんだよ?」
そんな情けない自分にあきれ返っていると、私の答えを聞いた彼女は、あっけらかんとそう言ってくれた。
一人蚊帳の外にいるばかは、今度こそ呆然としている。
まぁ、私も呆然としてるけど。
「いや、行かないって。家でのんびりしてるほうがいいからさ」
だけど、そのままでいるわけにいかないから、さっさと答える。
というか、彼女に薦められるこの状況って、おかしいだろうに。
そして、それを呆然として断る彼氏もぜったいいない。
これが、浮気な彼氏なら、裏で喜ぶかもしれないけど、私はそういうタイプじゃない。
むしろ、困惑するばかりだ。
「ねぇ、えっと、名前はなんて言うんですか?」
そんな私を尻目に彼女は、あくまでもいつもどおり。
おかげで、私が踊らされている。
こんな状況なんて、めったにない。
常に私が精神的優位に立っているというのに。
「え、俺?俺は、植野孝だけど。て、もしかして、俺の事は紹介してなかったのかよ」
それが歯がゆくて、どうにかして、状況打破を考えたが、それよりも早く、孝にかみつかれた。
まぁ、その気持ちは分からないでもない。
だけど、二人の世界に入ろうとしていたんだから、そんな無粋な事を言えるわけもない。
人の恋時を邪魔する奴は馬に蹴られて、死んじまえって言うことだ。
とはいえ、どんどん旗色が悪くなって来た。
二対一のかなりの劣勢状況。
どうする?
「ねぇ、どうして、呼ぼうと思ったの?」
けれど、考えているうちに状況はさらに悪化し始める。
ここは、逃げるしかない。
彼女を連れて。
「いや、人数が足りなかったからさ」
「そっか。んじゃ、聡君も入れておいていいよ」
だけど、その策は無情にもあっさりと崩れてしまった。
と言うか、なんで、こんな事をするのだろう?
人に浮気させようと言うことか?
もしかして、私に愛想つきたのだろうか?
だから、あえて、遠まわしに根回ししているのだろうか?
違う人とくっつけようと?
まぁ、それは無茶だとは思うけど。
私のもてなさはかなりのものだし。
彼女に告白された以外一度として、告白どころか、バレンタインデーにチョコをもらった事のない男だ。
毎年、妹にもらってた男なのだ。
そんな男がもてるわけない。
…なんか、むなしくなってきた。
ていうか、本当に、愛想が尽きたから、別れようとしているのだろうか?
別に彼女の事を信じていないわけじゃない。
彼女が私を見る目は、以前と変わらない。
だけど…
変わらないだけで、ずっと思い続けてもらえてるとは思えない。
「たまには、気晴らしに行って来た方がいいと思うよ?」
そんなしょげ返っている私を尻目に彼女は、呑気に笑いながら、そういったのだった。