82.道化の最後の一歩 ***SIDEデーンズ王
※女性の扱いに、一部不適切な表現が使われます。苦手な方は避けてください。
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「アディソン王国が落ちた、だと?!」
報告を受けて、手に持ったグラスを叩きつける。大理石の床で割れたガラスが光を弾き、ぬらぬらと赤ワインが広がった。すぐ近くの絨毯に染み込んでいく。まるで流血のようだ。不吉な光景に舌打ちする。
「アディソン王は逃亡、ただしこれは表向きの話でして……実際はエーデルシュタイン元帥に捕まりました」
だろうな、と腹立たしさに任せて吐き捨てた。あのリヒター帝国の宰相ラウエンシュタインが、見逃すはずはない。王家が隠す地下通路の図面すら、入手する男だからな。ブリュート王国陥落と、ほぼ同じ手段を使った。だが、民の暴動を引き起こす引き金に、大神官の不在が利用されたのは……危険だった。
我が国も同様の状態にあり、神殿の力は侮れない。邪魔をする大神官を二人始末したが、短絡的だったか。いまさら、死人を呼び戻す方法がない以上、切り抜けるしかあるまい。
カーンカン、工事の音が響く。石造りの荘厳な塔を建てて、権威を示すのだ。他の王国とは違う。凍てつく大地が半分を占めるデーンズ王国は、簡単に民が動かぬ。日々の生活でギリギリになる水準を見極め、搾取しているからな。
搾り過ぎれば暴徒になる。だが日々の生活が送れる程度なら、多少の不満は呑み込む。何より、稼がねばならない状況を故意に作り出すことで、民は考えをまとめて判断する時間を持てなくなる。洗脳と同じだ。人は徐々に麻痺させれば、抵抗しない。急に首を絞めたら暴れるが、ゆっくり力を込めれば苦しくても大人しくなる。
王家に伝わる、民の制御方法だった。判断を誤れば危険だが、そこは先祖の知恵がある。我が国はリヒテンシュタット帝国から離反した王国の中で、もっとも長い歴史を誇った。培われた知識と技術は、代々受け継がれてきたのだから。
このような立派な塔があれば、民は神より王を信じるはず。あのような迷信を後生大事に抱えたところで、何も得られぬ。王城すら、神殿の塔より低いのだ。見下ろす神殿に、幾度腹を立てたかしれん。
溢したワインを拭く侍女を、じっくり眺める。この女、かなり見目がいい。一晩くらい遊んでやろうか。
アディソン王国の崩壊は、もう手の打ちようがなかった。一度解き放たれた民は、制御不能だ。荒れ狂う川の流れと同じ、なるようになって治まる。それまで触れぬが賢者の知恵だった。
死体が見つからねば犯罪は表に出ないと、余計な探りを入れたアルホフ王を殺した。何かしらの情報を手に、寝返る算段だった可能性がある。危険を感じたら事前に手を打つのが、賢王だろう。俺のように。
長々と続いた報告のほとんどを聞き流し、考え事を終わらせる。
「もうよい、下がれ」
報告を終えた文官が下がるのを待ち、ワインの染み抜きをする侍女を呼びつける。顔を上げれば、まだかなり若い。娘と呼ぶ年齢か。小刻みに震える侍女は、逆らう術がなかった。当然だ、俺はこの先リヒター帝国を倒し、すべての王国も支配下に置く稀代の王になるのだから。
言いくるめてベッドに連れ込み、乱暴に髪を掴んで鞭で叩きのめした。服で隠れて日焼けしない背に、いく筋も赤い線が浮かぶ。泣き叫んで逃げようとする侍女の頭を床に叩きつけ、動かなくなったところを、さらに嬲った。
反応がなくなるまで使えば、あとは捨てるだけだ。ベルを鳴らして侍従を呼び、片付けるよう命じた。新しく運ばれたワインで喉を潤し、ベッドに倒れ込む。
リヒター帝国には皇女がいたな……いや、今は皇妹だったか? あれは気が強そうだった。捕まえて嬲れば、さぞいい声で鳴くだろう。そんな考えに浸りながら目を閉じた。同盟相手が次々と消え、孤独になった現実から目を背けるために。




