81.盛大に滅びなさい ***SIDEアディソン先代王妃
これでよかったの。自分に言い聞かせて、組んだ手を解く。祈りの形に重ねた手の甲には、爪の痕が残っていた。強く握りすぎたわね。
「王太后様……」
「ごめんなさいね、手間を増やしてしまったわ」
「痛みますか」
心配そうに世話を焼くのは、幼馴染みとして育った乳姉妹のエマだ。息子に追われて王宮から出たときも、彼女は私を選んだ。献身的で穏やかな人柄は、王宮でも人望が厚かったのに。
丁寧に傷を確認して、冷やした布を押し当てられた。以前は王妃付き侍女だったエマの手も、今ではアカギレが目立つ。すっかり荒れてしまったのは、私の立場が落ちたから。
「もう、王太后ではないわ。以前のように名前で呼んで頂戴」
「フリーダ様」
微笑んだエマは、豊かとは言えない生活の中で私に尽くしてくれる。彼女を道連れにする未来だけは選べなかった。だから、愚かな息子を切り捨てるの。夫だった先代王に似て、考えなしで向こうみず。結果を考えて動く能力もない。消去法で王を決めたことが、申し訳なかった。
気弱な長女に王位継承は無理で、愚かな長男が手を挙げる。他に誰もいなかった。夫が愛人に産ませた次男は、頭まで筋肉でできたような子よ。あれよりマシと選んだものの、選択を誤ったのは私の責任ね。
祈りを捧げていたのは、正義を司る神の像。もっとも相応しい神に祈った。左手に持つ善悪を計る天秤に、息子も乗せられているのだろうか。それなら傾いて、落ちてしまえばいい。民を生かすことを条件に、私は我が子らを売った。
神殿の神官様へ、あの子の罪と共に、王族の知る避難路や重大な秘密を伝える。アディソン王国の大神官は、城からの帰りに消えた。神をも恐れぬ息子の愚行に黙っていられず、私は叱りつけた。放逐された原因よ。一切、後悔はしていない。
神々を敵に回して、贅沢を楽しむ気はなかった。傅かれる必要もない。私は親の言いなりで王子と結婚し、夫のために人生を無駄にした。その対価として、夫の血筋を絶やすことを選んだだけ。
「フリーダ様、お体が冷えます」
「ありがとう、エマ。帰りましょう」
神官様が民に声をかけ、人々は怒りに任せて王宮へ向かった。私達が帰るのは、街外れの小さな家だ。屋敷と呼ぶには小さい。お義母様が「いつか逃げる日が来るでしょうから」と用意してくれた。あの方の実家だったと聞く。
小さな子爵家の令嬢だったお義母様は、優秀な方だった。いろいろと思慮の足りない王子の頭脳の代わり、と召し上げられた。苦労し、気づけば年老いていたのと笑う姿は、未来の私を見るようで辛かったわ。病を得てお亡くなりになるまで、お義母様は気丈に振る舞った。
丁寧に育てられた金木犀の木が、入り口を飾る。ずっと手入れを欠かさなかった庭は、様々な木々と花に彩られていた。高価な薔薇はない。白い花が咲く薬草や紫の花が揺れる香草、心が落ち着く花ばかり。お義母様そのものね。夫は愛妾の子だった。他に王子がいないため、母親と引き離したらしい。
義父、夫、息子……クズが三代続けば、国も傾くでしょう。どうせ倒れるなら派手にいけばいい。後世に語り継がれるくらい、みっともなく……嘲笑われる形で崩壊させてやりたかった。
「お茶をご用意しますね」
「ええ、エマの分も用意して頂戴。一人では寂しいの」
答えは返らないが、エマはかすかに頷いた。手際よく淹れるお茶は、庭で収穫した香草を煮出したもの。とても良い香りがするわ。淡い緑の水色を楽しみ、二人で顔を顰めた。
「苦いっ」
「これは……配合を間違えたかもしれません」
「蜂蜜をお願い」
高価な蜂蜜を少しだけ足す。まだ苦さの残るお茶を味わった。笑いながら「次は違う組み合わせを」と意見を交換する。香りは最高なのに、味はひどい。まるでアディソン王国の王家のよう……どうせ濁った血なら、盛大に流して終わればいいわ。




