80.愚者の逃走劇 ***SIDEアディソン王
なぜだ? どこで失敗した! 叫びたい気持ちを押し込んで隠れる。自分の城なのに、人目を忍んで逃げ回る無様に体が震えた。怒りと激しい恐怖、八つ当たりすら難しい状況だ。
周囲を警戒しながら、騎士が誘導する。アディソン王家に伝わる避難路は、直系のみに伝えられた。ここへ逃げ込めば、城を襲う国民に遭遇する心配はない。地下の水路を通り、城の裏手にある石造りの古い遺跡に出るだろう。
リヒテンシュタット帝国が存在した頃の、古い神殿跡だ。今は使用しておらず、神殿も民も見向きもしない。倒壊の危険があるとして、立ち入り禁止の措置が取られた。実際には、城の緊急出口として管理されている。突き当たりの壁に掛かる肖像画の裏から、急いで脱出した。
騎士が三人、姉と子供達……俺を含めても両手の指に満たない。人数が多いほど、発見される危険が高まる。召し上げた妾もすべて置いてきた。宰相には足止めを命じたが、本来は騎士団長である異母弟の仕事だ。あのバカは、大切な帝国の人質に逃げられただけでなく、自らも行方不明となった。
そうだ、アイツが悪い。あのバカがきちんと役目を果たしておれば、俺が逃げるような事態にならなかった。国民だって大人しくしていたはず。口の中で罵りながら、出入り口で安全を確認した騎士に続く。
「はぁ、やっと城を出たのね」
靴で擦れた踵が痛いと嘆く姉を横目に、かつて神像が座した台に腰掛ける。石造りのため冷たいが、数日は我慢だった。ここからデーンズ王国の支配地域まで、三日程度かかる。馬が必要だな。
息子達は怯え切っており、身を寄せて震える。覚悟も誇りもないが、これでも血の繋がる我が子だった。見捨てていけば、他国に利用されるだろう。どうしても足手纏いになれば、処分すればいい。王である俺が生きていれば、国も王家も復活できる。
ふと、物音が聞こえた。騎士が剣の柄に手を触れる。だが抜かずに耳を澄ませた。小さな物音は徐々に大きくなり、人の足音や声であると知れる。問題は……その声が我々を探す響きだったこと。
「なぜだ、どうしてバレた? ここを知っているのは……王家の! 誰が裏切ったのだ」
「陛下、詮索は後にしましょう。脱出のため、我々が囮になります」
「いや、待て」
囮として騎士三人を置いて、女子供を連れた俺が逃げ切れるか? それくらいなら、女子供を捨てた方がマシだ。俺の身を守る奴が絶対に必要だった。体力バカの異母弟と違い、俺の剣術は最低レベルだ。生き残るためには……。
「我々で追っ手を引きつけるから、ここに隠れていろ」
「陛下……っ」
「心配するな、王太子も一緒だ、見捨てたりせぬ」
言い聞かせ、騎士と共に足早に離れた。そのまま止まらない俺に不思議そうな顔をする騎士もいたが、命令に服従するのが彼らの習性だ。ぐるりとまわり込んだ先で、放牧した馬を確保する。
「いくぞ」
「で、ですが……殿下を」
「王は俺だ」
困惑した顔の騎士に護衛を命じ、馬に跨る。馬具はないため、タテガミを手綱代わりに握った。迷う騎士の一人を残し、二人を従えて走り出す。先ほどの遺跡がある方角で声が上がった。叫び声と怒号、残った一人の騎士が駆け戻る。バカな男だ。あれらを助けようにも、多勢に無勢なのは明白だろう。
馬を走らせた先で、丘を越えると……そこには大人数の兵が配備されていた。
「点灯!」
号令に合わせ、一斉に松明に火が灯る。赤々と夜空を照らす光に、全身から力が抜けた。兵士の装備を見ればわかる。あれはリヒター帝国の軍だ。単騎が進み出て、大声を張り上げた。
「王が国を捨てれば、すなわち滅びと同じ。恥を知れ!」
護衛の騎士二人は、さっさと剣帯を外して馬を降りる。投降すると示す彼らの裏切りを前に、俺はまだ逃げ道を探していた。そんなもの、あるはずないのにな。




