70.祝い事を優先するわ
祝い事を優先すると、叔父様から連絡が入った。三日後、可愛い娘イングリットは名が変わる。
イングリット・クリスティーネ・リヒテンシュタインから、ジルヴィア・クリスティーネ・リヒテンシュタインへ。これは大きな変化よ。女神様の御名を賜ったイングリットは、第三代と第十二代女帝陛下と同じ名を冠するの。
参加者の名簿を作成して、大急ぎで通知した。前回の守り袋と違い、今回は参加する家族の数が多い。前皇帝夫妻である父上とガブリエラ様から始まり、皇帝であるルヴィ兄様と婚約者のザックス侯爵令嬢。彼女は「ヴィ」の響きを外すため、新しい名を得る。
エック兄様はライフアイゼン公爵令嬢をエスコートする。フォルト兄様はいまだ婚約者なし、私はローヴァイン侯爵クラウスと参加予定だった。こうして考えると、フォルト兄様も婚約者がいないとマズイわね。他国からもらうと面倒だから、国内にいい人いないかしら。ガブリエラ様のように、少数民族の姫をもらうのもよさそう。
手早く招待状を作り、エリーゼに任せた。離宮で隠居した方々は……挨拶だけで構わない。私の実母は亡くなったし、他の側妃だった方々も表舞台に立ちたくないと聞いた。呼び出すことはないわ。
ペンやインクを片付け、イングリットの顔を見に向かう。入室すると、イングリットは大泣きしていた。珍しく背を反らせ、顔を真っ赤にして泣く。気に入らないことでもあったの? それとも体調が悪くて癇癪かしら。
「どうしたの、イングリット……ご機嫌斜めね」
話しかけて近づき、抱いてあやしていた乳母のアンナから受け取った。軽く揺らして、イングリットの泣き顔に微笑みかける。疲れたのか、しばらくすると大人しくなった。
「やはり姫様のお声が聞こえると、落ち着かれますね」
「あら、まだ姫様と呼んでくれるのね」
ふふっと笑い、アンナを揶揄う。彼女は私が小さい頃から、一緒にいてくれた。乳姉妹に近い存在だった。専属侍女のエリーゼとは違う形だけれど、信頼しているわ。
「私にとっては、ずっと姫様でいらっしゃいますよ」
姉のようであり母に近い接し方をしたアンナの言葉に、一瞬目の奥が熱くなった。潤んだ目を見開き、抱いたイングリットに視線を落とす。泣き疲れた様子で、うとうと微睡む彼女を軽く揺すった。無言は続くが、沈黙が重くはない。
「ねえ、イングリットの改名に立ち会ってほしいの」
「……ありがたくお受けいたします」
乳母だから同行しろと命じるのとは違う。察したアンナは、一瞬だけ言葉に迷った。この謙虚さが嬉しい。断ろうとして、でも私のために受けてくれた。私が身内に甘いのって、アンナの影響じゃないかしら。
「ありがとう、仕事をしてくるわ」
イングリットをアンナに渡すと、またぐずり始める。上手にあやしながら見送られた。部屋を出て、エック兄様の執務室へ足を向ける。さきほど思いついた、婚約者の件を相談しなくては。それに、アディソン王国への仕掛けも説明しておきたい。
足早に廊下を抜け、表宮にある執務室でノックする。入室の許可を得て、扉を開けたら……クラウスがいた。
「クラウス?」
「麗しきヴィクトーリア様に、ご挨拶いたします」
略式ながらも格の高い挨拶を選んだのは、エック兄様が睨んでいることと関係あるの? 微笑みでブロックしてくる婚約者より、私に甘い兄のほうが攻略しやすそうね。あとで聞き出しましょう。
「エック兄様、皇女ジルヴィアの名で、アディソン王国の民に施しを与えます。神殿からも備蓄を拠出予定ですが、帝国はどのくらいご用意いただけましたか」
事前に相談してあった件を口にすれば、用意した資料が出された。備蓄の放出としては、多めだった。飢饉があった時の半分程度……十分だわ。
「足りますか?」
「ええ、十分です。国一つの領地を購入すると思えば、安いくらい」
情報を握るローヴァイン家当主を交え、最後の詰めを始める。話し合いが終わったのは、夕食の知らせとほぼ同時だった。




