07.あれらは私の獲物ですわ
当初の予定だった守り袋は、受け取らなかった。婚姻届の状況がわかった上でなら、問題ないわ。でも今はまだ早い。そう判断した。
馬車で屋敷に戻り、執事を呼びつける。彼に問い質したが、何も知らなかった。ならば、夫の独断なの? いえ、そもそも夫ではなかったわ。なんと呼べばいいか迷い、しばらく公爵と呼ぶことにした。
公爵が婚姻届を出さない理由に、思い当たる節はないわ。この婚姻は、アディソン王国側から持ちかけられたものよ。国境関連で騒動が起き、戦に発展する手前で申し入れがあった。私も納得しての輿入れだったのだけれど。
リヒター帝国は三人の兄が、それぞれに役割を分担して支えている。カリスマ性で人を纏める長兄ルートヴィッヒ、賢く頭脳戦に長けた次兄エッケハルト、武力に特化した戦上手の末兄フォルクハルト。兄様達が守る国を、私も守りたかった。
政略結婚ではあるが、王族の血を引く貴族との婚姻よ。スチュアート伯爵モーリスは、先代王の庶子だった。認知はされたが、前王妃の嫉妬が激しく公爵の地位は与えられなかった。侯爵でも納得せず、仕方なくぎりぎり高位貴族に分類される、伯爵の地位を与えた経緯がある。
不遇な状況に腐らず、精進して実力で騎士団長に登り詰めた有望株。事前情報を信じて結婚したのに、まさか婚姻届が受理されていないだなんて。想像もしなかった。そもそも情報自体が間違っていた可能性もある。帝国貴族の情報だから、と信じたのがいけなかったかしら。
モーリスは私との婚姻で戦を防いだ功績により、公爵に陞爵した。リヒター帝国の皇女を娶るなら、伯爵のままでは拙いと王家が判断した結果よ。それぞれの国で盛大な結婚式を挙げ、周囲も私を公爵夫人として認めていた。
それなのに公的な書類一枚が、私を私生児を産んだ未婚の母に貶めたの。
「お茶を飲め。一度に話すと辛いだろう」
気遣うルヴィ兄様に頷き、新しく用意されたカップに口を付ける。お茶の種類を変えたのね。
「このお茶、私の好きな花茶ね」
「ああ、白にしたぞ」
こういう気遣いはルヴィ兄様らしいわ。私の好きなお茶を急遽取り寄せてくれたのだろう。香りを楽しみ、淡い色を堪能しながらもう一口。ほっとするわ。
「一番最初にすべきは、あれだろ。イングリットの守り袋の手配だ!」
どうだと胸を張るフォルト兄様は、相変わらず考えるのが苦手ね。でも今回は正しい答えだと思う。
「そうね……イングリットの守り袋は必須だわ。急いで手に入れましょう」
「状況確認は手配済み、報復はじっくり、ゆっくり、真綿で首を絞めるように行うのが僕の流儀ですから」
意地悪く笑うエック兄様の顔は、暗い影が差して恐ろしい。でも私は頼もしく思えた。兄様達に任せて、叶わないことなどない。いつだって私を大切に守り、優先してくれたから。でもね、今回はダメよ。
「エック兄様、じっくり絞めるのは賛成しますわ。でも獲物を譲る気はありませんの」
私の獲物です。穏やかな口調で伝えたのに、なぜか兄三人は青ざめた。嫌ですわ、淑女の微笑みに対して失礼でしょう?