60.愚かな選択の末路 ***SIDEアルホフ王
一つ減った軍事同盟の当事者が顔を合わせた。我がアルホフ王国とデーンズ王国の間にある森、小さな砦で行われる。なぜか神殿関係者も顔を出した。神官だろうが、顔を隠している。
我が国の神官は、大神官の補佐をする男だった。名前をなんと言ったか。あとで調べさせておこう。詳細に報告すれば、我が国の安全が担保される。宰相のラウエンシュタイン大公が、そう約束した。
すでに失敗している以上、これ以上の失態は許されない。彼らに背けば、リヒター帝国はすぐに軍を動かすはずだ。エーデルシュタイン元帥に攻め立てられたら、防衛ラインなどすぐに突破される。
これが最後のチャンスだった。国が存続するか、子孫が生き延びられるかどうか。
「どうした? 具合でも悪いのか」
デーンズ王に話しかけられ、ゆっくり深呼吸する。ラウエンシュタイン宰相が命じたのは、一つだけ。不安の種を蒔くことだった。気取られないよう、落ち着いた声で切り出す。
「リヒター帝国の宰相から、問い合わせがあった。軍事同盟を嗅ぎつけたようだ」
これで参加の目的は果たした。そのことで頭を悩ませたように振る舞い、ざわつく男達の様子を窺う。正面に立つのは、話しかけてきたデーンズ王だ。その隣にデーンズの神官、アディソンの神官、離れた場所に事務官が数人。
俯いて動かないのは、アディソンの王太子だった。今回は王が国を離れられないと、代理を寄越した。一番余裕がないのは、アディソン王国で間違いないな。これも報告情報に付け加えよう。
ふと耳に飛び込んだ話が気になった。
「大神官が不在ゆえ、その件は任せよう」
「承知いたしました」
アルホフの大神官が頭を下げる。命じたのはデーンズ王だ。妙な言葉が聞こえた。大神官が不在? ならば、ここに来ている神官は、誰が送り込んだ? アディソンも大神官ではない。軍事同盟の締結時に顔を合わせた。見間違えるはずはない。
「大神官が不在、だと? 何かあったのか」
「いや……従弟なのだが、どうやら行方不明らしくてな」
「そんなことがあるのか」
デーンズ王は言葉を濁した。伝えられない何かがある。つまり、秘密裏に処理した? 大神官に何か不手際があったか、それとも王位でも狙った? いや、大神官となれば還俗は不可能に近い。この情報を持ち帰れば、リヒター帝国の俺に対する心象が一変するはず。
「大神官といえど、人ですので。不幸が起きる可能性は否定致しません」
庇うような発言をした大神官は、アルホフの調和と夜を司る神殿を治める。名はジーモン、他国の貴族出身と聞くが……詳細は気にしたことがなかった。親しげに振る舞う様子から、デーンズ王国出身の可能性に思い至る。
軍事同盟を持ちかけてきたのも、この男だった。下話をしたあと、デーンズ国王と引き合わせる。あの時はリヒター帝国を脅威に感じていたため、迂闊にも簡単に信じたが……。いま思えば不自然な点が多かった。
「なるほど。では、アディソン王国はどうしたのだ? 王太子殿の様子はおかしいし、神官も前回と違うようだが」
少しだけ欲が出た。こんな機会はもう巡ってこないだろう。だから、多くの情報を手に入れたい。我がアルホフ王国が生き残るために、必要だった。他国に誘導され騙されたのなら、その証拠があれば帝国に許されるかもしれない。
様々な思惑で目が曇ったのは……切羽詰まっていたから。鋭い視線を向けられ、焦りから言葉を紡ぐ。それらがさらに危険を呼び込む。だが、まだ慢心していた部分がある。
一国の王に手を出せるはずがない、戦争になるぞ――。雨の中、帰りの馬車が襲撃され、護衛がすべて倒された。引きずり出され、泥の中に這い蹲る。懇願する声より早く、喉に剣が刺さる。どくどくと流れる命が、赤く視界を彩った。
死体を獣に食わせろ……そんな声が聞こえ、意識が薄れていく。そうか、殺害の証拠がなければ……王の暗殺にはならない、のか。死体すら残してやれず、国の行方も危うい。
すまなかった、我が子や孫に詫びる言葉は、雨の音にかき消された。




