52.あの男を使うのはまだ先よ
ルヴィ兄様の婚約者が決まった。承認を経て、発表しなくてはいけない。お父様やガブリエラ様に、話は通っていた。あとは貴族に周知して……手順を組み立てる私の部屋へ、フォルト兄様が顔を見せた。
「トリア、あの男だが……処分していいか?」
「……あの男?」
「アディソン王国の自称騎士団長だ」
面白がるような口調で、フォルト兄様は肩を竦める。国境まで出かけていたから、思い出したのね。私はすっかり忘れていたわ。以前はともかく、今は使い道がないのよね。せいぜい、憂さ晴らしに使うくらいかしら。
椅子を勧めると、私の前にある書斎の机に腰掛けた。行儀が悪いんだから。開いていた書類を片付けて、左端に積み上げた。
「自称ではなく、あれでも騎士団長なのよ」
実力が伴っているか、問われたら首を横に振る。おそらく私でもいい戦いに持ち込めるわ。短剣の不利を、長剣が補ったとしても……モーリスの勝てる確率は低かった。
「だが、あの程度で王国最強と言われてるんだろ?」
実力主義のフォルト兄様が食い下がる理由は、ここね。あの程度の実力で、アディソン王国最強を名乗った。
「仕方ないわ、忖度した結果だもの。だから謳われず、言われるだけなのよ」
本当の実力者なら、誰もが最強と謳う。広がっていく噂は現実と重なり、人々の尊敬や憧れはついてこないの。くすくす笑いながら指摘したら、フォルト兄様は満足そうに頷いた。
「難しい顔より、今の笑顔のほうが可愛いぞ」
「お気遣い嬉しいわ。フォルト兄様。モーリスは役立たずだけれど、ちゃんと出番があるわ。プライドを折るような、屈辱的な扱いをして頂戴」
「承知した。俺もそのほうが得意だし、な」
にやっと笑う表情は、獰猛な肉食獣のよう。獲物に食らいつく直前に似た、物騒な雰囲気で喉をくくっと鳴らす。品のない振る舞いなのに、フォルト兄様がすると腹が立たないの。似合っているから? それとも慣れかしら。
「ルヴィ兄の婚約者が代わったらしいが、次のもどこかの姫様か?」
「いいえ、ザックス侯爵令嬢よ」
「へぇ……トリアが気に入ったなら、義母上みたいなタイプか」
変なところで鋭いフォルト兄様は、時々、核心を言い当ててくる。なんの計算もないのに、本能で指摘するの。この勘を自在に操れたら、すごく助かるのだけれど。
「そういや、帰りにこれを預かった」
フォルト兄様にお使いを頼む? 無謀なことをする人もいるものね。こうやって忘れて、終わった頃に出してくる人なのに。呆れながら受け取ったのは、叔父様からの手紙だった。きちんと封がされ、大神官の印が押されている。
「使者から奪ったの?」
「いや。何してんだと声をかけたら、震えながら差し出してきた」
また盗賊みたいな格好だったのではなくて? 困った兄だこと。
開いた封筒の中は、手紙というより顛末書ね。感情を省いて、淡々と事実が連ねられている。神殿内の清掃が終わったので、他国の神殿の状況を調査していた。その結果だわ。
帝国の大神官二人、デーンズとアディソンを除く王国の大神官が五人。全員が、今回の事態を重く受け止めて返事を寄越した。ここまでは前回わかっていたことよ。意外だったのは、残る二つの王国の大神官の対応だった。
神殿が一枚岩とは言わない。でも権威を蔑ろにされて、動かないなんておかしいわ。叔父様も同じことを考えたのね。二つの神殿に対し、高位神官の入れ替えを指示した。他王国の大神官が派遣した形をとり、送り込んだ結果がこれね。
「大神官が、いない? おかしいだろ」
「ええ、おかしいわ」
覗き込んだフォルト兄様は、結論のほうから読んだみたい。先に声に出され、私は同意しながら二枚目に目を通した。




