45.酸っぱい林檎をどう使うか
ルヴィ兄様の婚約は解消となった。一方的な通知だけれど、破棄ではない。この帝国で、婚約破棄は唾棄すべき行いとされていた。過去に事例があるのだけれど、一方的に人前で婚約破棄した皇子がいたらしいわ。隣に婚約者ではない、はしたない女性の腰を抱き寄せて。
もし目の前で見たら、横面を張ってしまいそうね。はしたない女性は貴族ではあるものの、男爵令嬢の地位しか持たない。その上、外見は可愛いが、それだけ。特に認められる技能や才能は持ち合わせなかった。到底、皇子の妻に届かない。
この時点で、ハニートラップと判断した周囲は正しい。皇子は地位を剥奪され、平民として放逐された。もちろん、庇護する貴族はいない。間違って血を残さぬよう、断種の措置も施されたから、拾っても使い道がないわ。はしたない女性は国を乱した罪で、国外追放になった。
そのままの意味ではないわ。他国に通知が出ていたの。彼女の入国が確認されたら、国交を鎖ざすと。当然、どの国の国境も彼女を通さない。けれど、国外追放された女性が、帝国に留まることも不可能だった。
姿を消した彼女が、どこぞの街道の宿場で娼婦をしていただの、海に飛び込んだだの。様々な憶測が囁かれたが、公式記録は国外追放までよ。貴族女性だったのに、神殿で保護された話がないのは、彼女の素行が原因ね。神殿の慈善事業も、相手を選ぶのよ。
だから、この帝国で婚約を破棄する王侯貴族はいない。白紙撤回となる解消か、政略結婚で両家に利害関係があれば契約違反か。どちらかが理由として記されてきた。
あれこれ考えながら、可愛い娘をあやす。抱き上げた私の腕に、ぴたりと吸い付く肌は褐色だ。私よりやや薄い色をしている。銀の髪は癖があって、ふわふわしていた。まだ毛量が少ないから、不思議な感じね。大きな目をぱちぱちと瞬くイングリットは、口を開けて声を上げた。
あぶぅ……きゃあ。両手両足を必死に動かし、何かを訴えているみたい。残念ながら、お母様にもわからないのよ。そう口にして頬を寄せた。イングリットに会う時は、化粧をしない。保湿だけで、素顔で触れ合うの。
「可愛いわ」
周囲で見守る乳母のアンナや侍女エリーゼからも、同意の声があがる。皆に褒められ、大切に保護され、愛されて育つの。もう一度頬を触れ合わせて、時間を確認した。もう、支度をしないと間に合わないわ。
「支度をしましょう」
「はい、お嬢様」
アンナに後を任せ、私はエリーゼと外へ出た。待っていた執事コンラートを従え、自室へ戻る。着替える必要はないため、化粧を任せた。調査のため、一時的に離れていたコンラートは、手元に報告書を抱えている。
「どの程度まで探れたかしら」
「お嬢様が希望なさる範囲は、調査済みでございます」
受け取った報告書に目を通す。速読して内容を頭に入れ、次々と読み進めた。
「軍事同盟……? 詰めが甘いわ」
主犯と思われるデーンズ王国、愚かに踊ったアディソン王国、利益に目が眩んだアルホフ王国とすでに破綻したブリュート王国。四つの国が軍事同盟を結んだ。基本的な考えは悪くないわ。
帝国を入れて八つしかない国々の半分が同盟を組み、強大な帝国と対峙する。我がリヒター帝国を悪者にするなら、さぞ盛り上がる物語になったことでしょう。
すでにブリュートが陥落した。アルホフからは助命嘆願が届いている。表面上は友好親善を謳い、帝国に取り入ろうとする思惑が感じられた。突っぱねるか、取り入れて利用するか。
ふと思いつきを口にした。
「コンラート。酸っぱい林檎があったとして、捨ててしまう? それとも何とかして食べようとする?」
「お嬢様の謎かけは難しいですな。私でしたら、アップルパイに仕立てて、誰かに食べさせます」
自ら口にする必要はない。その回答が気に入って、くすくすと笑った。
「素敵ね。その案を使わせてもらうわ」
ちょうど支度も整った。エリーゼに礼を言って立ち上がり、鏡の前で身なりを確認する。では、行きましょうか。




