44.伏した獅子は目覚めた ***SIDEルートヴィッヒ
下の弟エッケハルトは、年齢も近い。神童と称えられるほど物覚えがよく、あっという間に人々の信頼を勝ち取った。人付き合いの苦手な一面もあるが、真面目さの裏返しだろう。父によく似た顔立ちも合わせ、古参の貴族には人気が高い。
少し歳の離れた弟フォルクハルトも、一芸に秀でていた。剣術、弓術、格闘技……乗馬に関しても彼に敵わない。体を動かすことにかけては長けているが、頭を使うのは苦手なようだ。
ここまでなら、周囲もさほど騒がなかっただろう。母上のカリスマ性と顔立ちをそっくり受け継いだ私は、人たらしと揶揄されてきた。穏やかに話しかけ、少しすると大人が私に傾倒するのだ。当初は自覚がなかったが、この能力は高く評価された。
三者三様、けれど協力はしない。そんな私達の関係を大きく変えたのが、最後に生まれた妹だった。ただ一人の姫だ。勝利を意味するヴィクトーリアと名付けられ、彼女は愛の女神の加護を得てすくすくと育った。愛らしい顔立ち、皇女の地位、生まれながらにして幸福を約束された存在――。
「ルヴィお兄様は、なぜご自分に自信がないの? エック兄様は頭がいいけれど、それなら私も同じよ。フォルク兄様は強いけれど、私だって負けないわ。でも……ルヴィ兄様の真似は私にはできないもの」
思わぬ指摘に、驚いて動きが止まった。初めて参加するお茶会のため、相手役を務めた時だったか。聡明だと知っていたが、ここまで大人びた言葉を聞くなんて。あの日から、すべてが変わった。
父上や母上が皇太子の地位を私に定めた。長兄だからか、そう問うた無礼に、母上は平手で応じる。叩かれていないのに同じ左頬を手で覆い、痛そうに顔を顰めた父上は……今思えば、母上に叩かれた経験があるのだろう。
「先に生まれたから、皇妃の息子だから、そのような理由で選んでおっては国が滅びるわ! もしトリアが望んだなら、あの子を後継にした」
母上の発言に目を丸くする。が、納得した。なるほど、あの子が進言したのか。トリアは程よく才能を発揮した。勉強もできるし頭も回る。けれど格闘戦もこなし馬を操った。文武両道、整った美しい姿と先を見通す聡明さ。彼女が頂点に立つなら、それがいい。
「なぜトリアを選ばないのですか」
「……断られたのだ。それに我らの策も見破りおった」
母上は舌打ちして大きく息を吐き出した。顔の前で扇を広げる。どきっとしたが、扇の柄は青い小花だった。椿でなくてよかった。心から安堵しながら、先を促す。
「名前に仕掛けがあったのは、気づいておるか?」
父上によれば、これは母上と相談して決めたらしい。かつてリヒテンシュタット帝国では、皇太子に「ヴィ」の称号を与えた。皇位争いにより国が疲弊することを防ぐためだ。ここまでは、授業で習っていた。
「ルートヴィッヒ、エッケハルト、フォルクハルト……気づくことはないか?」
響きか。弟二人の響きは似ている。だが私だけ明らかに違う系統の名だった。ヴィの響きも含んでいる。
「側妃を迎える時に決めた。彼女らに男児が生まれても、皇位は継がせない。トリアに関しては、女児ゆえ問題ないと判断したが……」
先祖の伝説には、嘘か本当か迷うものが存在した。称号により能力が変化する話や、神々の加護で実際に魔法のような力を振るう者がいたと。
「トリアは……」
「先祖がえりであろうよ」
ヴィクトーリアの名前は、滅びた帝国の称号が含まれる。言霊信仰が残る大陸で、古い血に含まれる称号が影響を与えたのか。稀な逸材が揃った当代で、一番の要はトリアだった。
「よいか、お前はトリアを守る盾だ。玉座に就かぬ影の女帝を、皇帝という肩書きで守れ。あの血を絶やしてはならぬ」
母上は言い切ると、満足げに扇を畳んだ。あの日、私の運命は確定したのだ。トリアが望むように取り計らい、いつか彼女の子孫を一族に戻す。
そのチャンスは、突然訪れた。嫁いだ彼女が帰ってくる。そっくりな娘を連れて。母上の言霊が紡いだ縁だろう。
「血を残すための妻は、もう必要ない」
親族婚で古い血を持つプロイス王国の姫を求めたが、もう不要だった。トリアの娘イングリットが一族に戻る。ならば、無駄な嫉妬などしない賢妃を探そう。婚約解消の公文書に署名し、私は椅子に寄りかかった。
伏して目を閉じた獅子が、ようやく目覚める。身を起こし、不相応な夢を抱いた獲物を食い殺すために。




