39.蝶も花も毒の野にありて ***SIDEウルリヒ
異母兄も義姉も、好ましい人物だった。年齢差があるため、次の皇太子に私を推す声が聞こえ始めた時、神殿に入る決意をする。母にも言われていたことだ。お前は皇族だが、皇帝の器ではない、と。その通りだと思う。
あのような激しさも情熱もない。幸いにして、甥三人はそれぞれに能力が分かれていた。争う危険性は、末の姫が潰していく。彼女が皇族のまとめ役であり、要だった。なのに、政略結婚? とるに足らんアディソンの、直系ですらない男に!
神殿内で力を蓄えたのは、家族の役に立つため。それなのに、この身が神職であるせいで動けない。神殿に入る前なら、私が娶ってでも彼女を留めただろう。悔しいが祝福して送り出した。この後悔は生涯消えないと思ったが……隣国は禁忌に手を染めた。
九柱の神々が人の管理を委託したとされる神殿を蔑ろにし、婚姻の事実を偽り、我が姪を騙した。子を連れて戻ったトリアは気高く、どこも穢されてなどいない。その事実にほっとする。と同時に、彼女の復讐に協力することを決めた。
他国の神殿へ緊急連絡を回す。大神官宛だが、封をしなかった。封をする前に発送された、と言い訳ができるように根回しも忘れない。大神官達の手に届くまでに、何人が情報を盗み見るだろうか。神殿内に広まる噂に、尾鰭背鰭が増えていく。
帝国のもう一人の大神官、七つの王国に一人ずつ配置された大神官。私を入れて九人いる大神官は、それぞれ一柱の神の代理人である。神殿すべての権威を動かすのは、多数決だった。帝国に二人、シュナイト、プロイス、イェンチュ、ブリュート――六人の大神官が賛同する。
まずはアディソン王国から。怯えるデーンズ王国はその後だ。一度の狩りで獲物をすべて仕留めれば、トリアが嘆く。彼女の望みは、長引かせて後悔させ、彼らがもう許せと縋るまで。いや、その後も彼女は手を緩めないはずだ。
「そろそろか」
噂が浸透する頃、動く前にトリアが訪ねてきた。二度の会食が流れたため、共に食事を摂ろうと提案される。断る理由はない。ちょうど、熟した木の実が一つ、落ちてくる頃合いだった。
「熟し過ぎて腐ったか」
神殿の足元に紛れた不純物を排除し、権威を高めていく。私を守護するのは、力と正義、断罪を司る神だ。皮肉なことに、私ほど正義に反する大神官はいないだろうが。それでも守護神の権威は消えない。
「子を持たぬ私にとって、トリアは我が子も同然。手を出した愚者を潰すのに、遠慮も容赦も不要だ」
異母兄の不安を消すために神職を選んで、子を生さぬ誓いを立てた。愛しい姪は、私を慕ってくれる。あの子のためなら、持てる権力と影響力を駆使して戦う覚悟があった。
「大神官ウルリヒ様へのお手紙にございます」
信用する側近の神官が運んできた返答に、ゆっくりと目を通す。アルホフの大神官もこちらについたか。欲深いが賢い奴だな。口元が緩んだ。
「作戦を決行します。すべては神々の御為に……わかっていますね?」
「委細承知しております」
下がる神官を見送り、ゆったりと足を組んだ。その上に手を乗せる。指先がとんとんと足を叩いた。
神々の威光を無視したアディソン国王に対し、神殿が破門を申し渡す。そうなった時、あの男はどうするだろうか。トリアに相談が必要だが、信者を焚き付けて追い落とすのも面白そうだ。いや、ブリュートと同じ手は芸がない。
嘆きと後悔を存分に引き出す方法を考えるのは、存外楽しい。愚王が反省する必要はなかった。ただ失敗した己を呪い、神々の天罰を身に受けて苦しめば満足できる。さて、賢いあの子はどんな手を打ってくるか。
送り届けたばかりの姪の美しい姿を思い浮かべ、用意された花茶に手をつける。やや渋い、毒入りのお茶を喉に流し込んだ。




