10.謀略は神々の遊戯だ ***ウルリヒ
兄上と義姉上が引退したとき、正直迷った。後継に座を譲るべきか、その決断を留めたのはジルヴィアの存在だ。トリアにそっくりな皇女は、当然のように俺に命じた。いや、本人にそこまでの覚悟はなかったのか?
「大叔父様、私の味方をしてくださらない?」
トリアにそっくりな顔と声で、無邪気に強請る。大神官九人の頂点に立つ、事実上の支配者に……軽い口調で要請した。その言葉や振る舞いがトリアにそっくりだ。
「いいでしょう、お付き合いします」
穏やかな顔で答える。あの日、彼女ならば私を上手に使いこなすのかもしれないと思った。表に立つ大神官としての『私』と、元皇弟であった『俺』は矛盾だらけだ。刃物に例えるなら、柄や鞘がない。使えば己の指を落としかねない危険な抜き身を、ジルヴィアは選んだ。
女帝の素質はあるだろう。実母がヴィクトーリアで、育てたのがマルグリットだ。あのマルグリットも、一侯爵令嬢とは思えない才媛だった。
祈りのために跪いていた姿勢で、ゆっくりと顔を上げる。見上げる先には守護神の像、正義と断罪を司る神にもう一度深く頭を下げてから立ち上がった。祈りの間には、様々な信者の声が集う。奥にある儀式のための広間より、表にある祭壇の間で祈ることを心掛けてきた。
人の目に見える場所で、人々の祈りを背に受ける。皇族である立場を捨て、神職を選んだことを忘れないように。己が神々の一部であり、手足であることを驕らぬように。娘の病の快癒を祈る母親、老いた父の平安を祈る息子、恋人との仲を保ちたいと願う娘。様々な祈りが捧げられていた。
「ウルリヒ大神官様、他の大神官様がお待ちです」
「いま、参ります」
ジルヴィアはトリアを映す鏡だ。女帝にならない道を選択したトリアの代わりに、リヒター帝国の頂点に立つ。ジルヴィアの能力も覚悟も十分すぎるほど足りていた。後押しが少しばかり必要なだけ。弟妹達は皇位に興味がないように振る舞いながら、姉を助けようとしていた。
我が一族は結局、血が薄まっても変わらないらしい。親族への愛情は強く、その執着は時に危険なほどだ。それでも行動に移さず、愛した存在を高めようとする。自己犠牲も厭わないほどに。俺がトリアに抱いた愛情にそっくりではないか。
男児であり、皇帝の長男として生まれたレオンハルトはさっさと絵描きを選んだ。得意なものに没頭する形で、姉の邪魔にならないよう退場する。妹ゲアリンデは姉の補佐に回るつもりらしい。二人とも姉ジルヴィアが女帝になったら、牙を剥く敵から守る盾になるはずだ。
大神官達が待つ部屋で、ゆったりと裾を捌いて上位席に腰掛ける。見回す八人の顔ぶれは、ここ十年程でかなり入れ替わった。年齢を理由に、リヒター帝国までの旅が耐えられないと隠居した者もいる。己の親族に大神官の座を譲り、神々の元へ召された者もいた。
あと十年もすれば、『私』も表舞台を下りる。その時までに足固めをしてやろう。『俺』に出来る最高の演出で、即位式を盛り立てる。そこで終わりだ。隠居したら何をしようか。兄上や義姉上の邪魔をするのも気が引ける。
静かな別邸の一つを選んで、そこで余生を過ごす。年に一度か二度、皆と顔を合わせる機会があればいい。読まずにため込んだ本を消化して、棚一面に並べてみようか。ああ、悪くない。近い未来の話を想像しながら、準備を進めるとしよう。
各大神官が近状を報告していく。その中で、一つだけ大きな報告があった。
「プロイス王国が降伏を決めました。あと少しですな」
プロイス王国の大神官となったバルナバスだ。彼は代替わりしたばかりでまだ若い。野心家であり、敬虔な信者でもある。大神官の中では一番若いが、それでも四十代だった。彼を後継にして、その下に再び皇族の血を入れるか。
何にしろ、プロイス王国の降伏宣言のために骨を折ってくれたようだ。ねぎらいは必要だな。
「ご苦労でした。バルナバス殿には話があります」
この一言で報告を終えた大神官七人が一礼して出ていく。残ったバルナバスの目に、期待の光が宿っていた。さあ、どのように切り出し……いかようにして操ろうか。久しぶりに駆け引きを楽しめそうだ。九柱の神々よ、我が謀略の遊戯をご照覧あれ。




