204.濡れた話は深く知りたくなるのよね
宰相の仕事に便利だから、エック兄様は中の宮に住んでいた。兄妹で四方向を分けて使っていたの。だから遅刻してくるのはおかしいのだけれど。奥の宮のお父様やガブリエラ様も同じ条件だった。
一番遠くから来たのは、公爵邸に移り住んだ私だもの。
「エック兄様とコルネリアは……」
口に出した途端、ノックと同時に扉が開く。控え室にいた全員で振り返ってしまった。
「すみません、遅れました」
「ごめんなさい。ちょっと……その、寝過ごしちゃって」
気づいた私は立ち上がり、コルネリアの首元に手を伸ばした。ハーフアップにした髪を少しずらして直す。そのまま顔を寄せて囁いた。
「首筋の虫刺されが目立つから、スカーフを用意したらいいわ」
「っ、ありがとうございます」
さすがは元ライフアイゼン公爵令嬢、きちっと返してきた。やや耳が赤いけれど、笑顔でカバーするつもりね。隣のエック兄様は平然としているけれど、口角が動いたわよ?
「……遅れたか? いや、間に合ったな」
「全然間に合っておらぬ」
エック兄様の開いた扉から駆け込んだお父様に、ルヴィ兄様が噴き出す。足を折った年寄り設定ではなかったの? もう治ったにしても、元気すぎるでしょうに。ガブリエラ様は辛辣に切り捨てながらも、襟をすすっと直している。
「なぜ、あたしより先に出……むぐぅ」
余計な発言をしたアデリナが、ガブリエラ様の手で口を塞がれる。かつかつと靴音をさせて足早に寄ってきたときは、少し怖かったわ。すごく真剣な顔だったんだもの。黙れと耳元で囁かれ、アデリナは素直に頷いた。
ようやく解放されたアデリナの隣で、フォルト兄様が「やはり義母上は強いな」と感心している。妻を助けなさいよ、と思うけれど……助けても、アデリナに叱られそうね。個性の強い五組の夫婦は、互いに同じことを考えたみたい。誤魔化すように笑顔を浮かべた。
「入場の準備が整いました」
まったく気にしないエリーゼは、皇族の近くで仕事をするうちに慣れたのね。入り込めずにおろおろする侍従を押しのけ、すっと一礼した。声掛けされたことを幸いと、逃げ道にしたガブリエラ様が動く。
「ならば、我らから」
「こういう時は皇帝陛下からなのでは?」
ちょっとした意地悪で口にしたら、エック兄様が空気を読んで応援に入った。
「皇帝陛下が最上位ですので……」
「あら。こういう場面では最後に入るのではないの?」
マルグリットはガブリエラ様に恩を売る作戦らしい。にこにこと笑顔で割って入った。ちょっとした家族の騒ぎはいったん終了。皇妃殿下が「皇帝夫妻は最後」と言ってしまったら、誰も逆らえないわ。ルヴィ兄様は肩を竦めて、賛否を避けた。
「クラウスは加わらないのね」
「美しいトリアを見ているだけで、手一杯でした」
惚気たクラウスの言葉に、はっとした顔で皆が振り返った。何か気になることがあったかしら?
「トリアと、呼び捨てに?」
「いつからでしょうか」
「俺は知らん」
兄三人が三様に口にするのを無視した。
「夫婦仲がよくて安心したぞ」
にこやかにガブリエラ様が加わったので、何気なく「そちらこそ」と返したら首が赤くなる。笑顔が引きつって固まった。もしかして、遅れた理由が二組とも同じ、とか……え? そんなことある?
「さ、急ぐぞ」
誤魔化したガブリエラ様は、すぐにすまし顔。お父様が照れて顔を逸らした。確定ね。
エリーゼが促す笑みを深くしたので、これ以上待たせたら叱られるわ。クラウスが差し出す腕に絡め、微笑みを作る。さあ、社交の始まりよ。
お披露目の場へ足を踏み入れ、拍手で迎えられる。元帥で大公のフォルト兄様とアデリナ、宰相職に就くエック兄様も大公ね。コルネリアと仲良く入場した。先ほどと打って変わった威厳を湛えたお父様が、ガブリエラ様と親しげに続く。
階段三段分だけ高い皇族席で待つ私達に向かい、マルグリットをエスコートするルヴィ兄様が入った。ここで全員揃って会釈する。深く頭を下げた貴族がゆっくりと五秒数えて、頭を上げた。その中に驚くべき人がいて……私は思わず呟いていた。
「……側妃様?」




