156.罠にかかった獲物は俺か ***SIDE帝国貴族
結束が固く、高い能力を誇る皇族に綻びが見えた。そう考えたのは、俺だけではなかったらしい。侯爵から子爵まで、才覚に自信のある者が集った。男爵家は切り捨てる。多少の金と力を持っていようと、平民も同然の連中だ。相手にする必要はなかろう。
辺境伯などの大物はいないが、武力も権力も十分だ。蛮族の皇妃の子である皇帝ルートヴィッヒだけでも目障りなのに、側妃は次々と子を産んだ。宰相エッケハルト、元帥フォルクハルト。どちらも大公閣下などと偉そうに名乗りおって!
さらに末のヴィクトーリアだ。皇帝になる者にしか許されぬ「ヴィ」を持ったまま、他国に嫁ぐなど……皇族の権威を蔑ろにしている。そのうえ騙されて入籍しておらず、子を孕んで逃げ帰ってきた。皇族である誇りすらないのか。自害して果てるくらいの矜持が必要だろ。
酒を飲みながら吐き捨てれば、周囲の仲間が同調する。どうせ傷物なら、あの小娘を連れ出して慰み者にでもしてやろうと考えたが……邪魔された。挙句、フォルクハルトにまた蛮族が嫁ぐだと?! もはや皇族に、高貴な血は流れていない。
先代が蛮族の娘を娶った時点で、その血は穢れたのだ。
「皇族など恐るるに足らず!」
勢いよく叫んだ直後、秘密の会合が行われる屋敷に大きな音が響いた。振動を伴う爆音に、人々が不安そうな顔を見合わせる。
「何事だ!」
屋敷を提供したのは俺だ。もちろん警護は増やしていたし、何かあれば逃げるための通路も用意していた。だが……何もなく音と振動だけが伝わってくる。不安が膨らんだところへ、扉が外から蹴破られた。
「これはこれは、大層な顔が揃っておるではないか」
ライフアイゼン公爵の声が聞こえるも、扉を破った槌を握るのは元帥直属の騎士団だった。黒に赤いモールをあしらった制服は、フォルクハルトに与えられた象徴色だ。慌てて逃げるために走り出すも、騎士の迅速さに貴族が勝てるはずもなく。
捕らえるというより、討伐のほうが近いのか。乱暴に背中を蹴られて顔から転んだ。鼻血で汚れた顔を引き上げられ、掴まれた髪が痛い。呻く俺の顔を眺めた騎士は「コルヴィッツ侯爵です」と報告した。足音を響かせて近づいたライフアイゼン公爵は、にやりと笑う。
何度も議論がぶつかった相手だが、地位ゆえの傲慢さか。俺を見下してきた男だった。高齢にもかかわらず、いつまでも爵位を譲らぬ強欲な男だ。腹立たしい。折れた歯を血と一緒に吐きかけてやろうか。そう思った俺は、次の瞬間、激痛で叫んだ。
「ぐぁあああ!」
「生意気な目が気に入らん。その顔も汚い」
暴言を吐きながら、ライフアイゼン公爵はねちねちと嫌みを並べた。
「皇族の血は穢れたらしいが、お前の血は見るからに濁っておるではないか。本当に貴族なのか? どう思う、マインラート」
先代皇帝の名が聞こえ、そんな馬鹿なと呻く。この場に先帝がいるはずが……そう思って見開いた目に、謁見の間で見た顔が映った。澄ましたいつもの顔ではなく、隣のライフアイゼン公爵と同じ嫌な笑みを浮かべて。手足を折って寝込んだという話は、罠だったのか!
「貴族ではあるまい。何しろ、わしが知らんのだからな」
「ならば、相応の処分をするだけか」
言質を取ったと笑うライフアイゼン公爵の顔に、ぞくりと背筋が凍った。謝ろうと動く口はひゅーひゅーと息を吐き出し、呼吸で手一杯だ。恐怖で頭が真っ白になった。この二人に纏わる過去の伝説が思い浮かぶ。なぜ忘れていたのか。
皇位を継いですぐ、この二人を中心とした大粛清があった。娘を皇妃としてねじ込もうとした貴族が根こそぎ処分され、伯爵家だった俺は押し上げられた。そうだ、侯爵の地位は実力で得たものではない。都合よく記憶の奥へしまい込んだ恐怖と事実が、俺を追い詰めていく。
騎士に引きずられ、仲間だった貴族達と檻馬車に放り込まれた。ああ、言い訳すら届かない。思い上がった幻想に突き付けられた現実は、食い込む縄より痛かった。




