14.アルムガルド伯爵家はもうない
イングリットを乳母に預け、窓際で本のページを捲る。朝から曇り空のため、読書に最適だった。眩しすぎず、暑くもない。一通り目を通し、分厚い本を閉じた。
視線を上げれば、美しい花々の咲き誇る庭が広がる。表側と居住区域の間に中庭を設けた、五代前の皇帝は正しかったわ。お陰で、自室まで喧騒が届くことはない。
閉じた本を隣に置く。昨年改訂された貴族名鑑だった。一度目を通していたが、しっかりと頭に入れ直す。帝国で暮らす以上、皇族が貴族の顔や名前を知らないなど許されなかった。
「少しいいですか」
ノックをして顔を覗かせたのは、エック兄様だった。名鑑を貸してくれたのは、彼だ。お陰で、あの広間ですぐに名前が出てきた。でもあの時覚えていたのは、伯爵位まで。子爵以下の新たな家や入れ替わりは知らなかった。アルムガルド伯爵が愚かで良かったわ。
「アルムガルド伯爵家の件です。先代が亡くなったのと同時期、隣国プロイス王国との取り引きに失敗しました。そこへつけ込まれたのでしょう」
一人娘である伯爵令嬢と結婚し、入り込んだ。すぐ行動を起こすつもりだったのかしら。あの程度の男を送り込んでも、利用価値はない。いえ、もしかしたら別の家に本命がいたのかも。そもそも、取り引きの失敗すら罠の可能性もあった。
エック兄様と様々な「もしも」を口にして検討する。こんな時間、久しぶりだった。高揚する私の推論に、エック兄様が修正や新たな情報を加える。煮詰まってきたところで、エック兄様はお茶を手配した。
「やはり、トリアは参謀向きですね。僕のサポートをお願いしたいくらいです」
「褒めても何も出ませんわ。可能な範囲でお手伝いさせていただきますけれど……」
代わりに、私の報復の手伝いもお願いしますね。言葉にしない物騒な願いを察して、エック兄様は頷いた。用意された茶菓子は小さめの焼き菓子、口に入れればほろりと溶ける。
「フォルト兄様から連絡はありまして?」
「いいえ。フォルトからの連絡は期待できません。敵を見つけたら一直線ですし……補佐役からの報告が、今日明日には入る予定ですよ」
「さすがはエック兄様ね。ついでなのだけれど……イングリットの養子縁組の件、プロイス王国に連絡してくださる? ルヴィ兄様ったら、ベランジェール様に相談していないの」
「言い争った直後なので、連絡しづらかったのでしょう。任せてください」
話が一段落したところへ、報告書が届いた。エック兄様がここにいるので、補佐官が運んでくれたみたい。侍女の手を経由して受け取り、兄様はじっくり目を通した。差し出すので、私が読んでも構わないのだろう。
記されていたのは、アルムガルト伯爵家の処分だった。婿入りした伯爵を除籍し、伯爵夫人が家を継ぐ。本来なら家の取り潰しもあり得る失態だが、伯爵夫人は何も関与していなかった。そのため、爵位を一つ落として、女子爵になり領地も半分近く返納する。
「夫人には気の毒なことをしたわ。子供はいるの?」
エック兄様が首を横に振るのを見て、複雑な感情に胸が詰まった。子がいないなら再婚も可能だし、アディソン王国側の親戚が関与する心配もない。でも、私はあの子のいる幸せを知っていた。父親が最低な男であれ、娘に罪はないし可愛いの。
気持ちを言葉にしようとして、何も言えずに唇を引き結んだ。




