138.馬泥棒の汚名の顛末 ***ビェルカ族長
一族の者が馬泥棒の汚名を着せられた。処刑されたと聞き、その遺体を奪う。大した兵力もつけていない荷馬車から仲間を回収した。たとえ死んでいても、同部族なのは間違いない。見慣れた彼らの姿に、悔しさがこみ上げた。
イエンチュ王国、第四の部族ビェルカは族長が代わったばかり。先代は叔父だった。強い男だったが、老いて力が弱る。他家に族長の座を渡さぬ、と俺に挑戦権が与えられた。叔父は結婚しておらず、子もいない。可愛がってくれた叔父を、弓の勝負で下した。
「強くなったな」
褒めてくれた叔父には、今後はゆっくりと過ごしてもらいたい。そう思っていた矢先の事件に、俺はかっか来ていた。頭の中が沸騰したように熱く、感情が収まらない。
「怒りに支配されるな、落ち着いて考えろ」
叔父は冷静になれと告げた。だが仲間が殺されたんだぞ、と口は勝手に感情を吐き出す。ゆっくりと黒い目を閉じた叔父は「殺されたのは弱いからだ」と言い切った。その言葉に、すっと頭が冷える。そうだ、仲間や親族であろうと、弱いから強い者に負けた。それだけだ。
「状況を確認しろ。リヒター帝国は同盟関係にある。オルティスの女傑ガブリエラ殿の嫁ぎ先だぞ。対応を間違えれば、首を差し出しても詫びきれん」
第二の部族オルティスの族長の姉、強大なリヒター帝国の皇妃に望まれた強者だ。彼女に確認の使者を送る必要がある。叔父に助言の礼を告げた翌朝、他部族から妙な噂を聞いた。
リヒター帝国の侍従が襲われ、軍馬を奪われた。軍馬を取り戻した騎士達は、捜し出した犯人を殺害したと。その騎士の強さを語る者らに、部族の女性は群がった。強い男の噂は、どの部族でも人気の話題だ。妻が聞いてきた内容は、俺が知る馬泥棒の嫌疑をかけられた話と似ていた。
襲撃された集落の場所、奪われた馬の存在、犯人を輸送中だったルート。すべてが重なっていく。もしや、恥知らずにも他国の軍馬を狙った不届き者が……一族から出たとでも?
慌ててガブリエラ殿へ使者を遣わそうとする。だが、準備を終えたタイミングで、第五の部族シャリアの町にリヒター皇弟が入ったと知る。第三の部族タバランテの女を妻に迎えたらしい。先ごろまで噂になっていた、女英雄殿か。
未婚の男性のみが、彼女を妻にする戦いに参戦できる。俺はすでに妻がいるため、一族から数人が挑戦して負けた話しか知らなかった。アデリナ殿は外へ出て、リヒター帝国の皇弟に負けたのか。ふと気づく。もしかしたら、アデリナ殿は馬泥棒の話を知っているかもしれん。
「叔父殿、タバランテのアデリナ殿に会ってくる」
「そうしろ。いいか! 感情を殺し、冷静に話せ。短慮は損をする」
「承知した」
叔父は地を這っていたビェルカの名誉を回復した男だ。強さもさることながら、賢さはどの部族も認めている。見習わなくてはならんな。深呼吸して馬に跨り、草原へ向かう。羊を放し馬を養い、タバランテは遊牧しながら暮らす。正確な位置は、近くで尋ねるしかあるまい。
運が良いことに、タバランテの若者と出会った。案内された先で、アデリナ殿から話を聞くことができた。ガブリエラ殿の義息子だという、アデリナ殿の夫とも顔を合わせる。淡々と説明する彼の言葉に、感情や私見は感じられなかった。事実を述べる者特有の、やや冷めた声が耳に残る。
「ならば、我が部族の無礼を詫びねばならぬ」
「手合わせで構わんぞ」
フォルクハルトと名乗る筋骨隆々の若者は、俺より一回り以上若い。だが皇族という生まれゆえか、堂々としていた。強さを重んじるイエンチュ王国の慣習通り、強さで決着をつけようと促す。部族長の地位を得るため戦ったばかり、俺は弱くないぞ!
半刻もせず、俺は草の上で空を見上げていた。乱れた呼吸で喉も胸も痛い。それ以上に叩きのめされた肩が痛んだ。戦ったからこそ実感する。この男は嘘をついていない。ならば、俺を騙した連中は裏切り者だった。守る対象ではない。
「俺の負けだ。嘘を教えた奴らと死体を引き渡そう」
ようやく整った息を吐き出し、身を起こした。立ち上がる際に差し出された手を掴み、そのまま握手の形で握る。リヒター帝国はお上品な国だと思っていたが、なるほど……強い女を惹きつける魅力的な男が多いらしい。ガブリエラ殿の夫とも、一戦交えてみたいものだ。