122.軍馬奪還の任務を受諾 ***SIDEティム
リヒター帝国は最強国家だ。エーデルシュタイン元帥閣下率いる帝国軍の強さは、他国に引けを取らなかった。イエンチュ王国のような武人の多い国もあるが、帝国とは同盟関係を結んでいる。政はラウエンシュタイン宰相閣下がまとめ、皇帝陛下の治世は安定していた。
末の妹姫が戻られ、皇族の結束は強まっている。周辺国との争いが始まるも、兵士や民の消耗なく進められた。民の中には、他国と揉めた事実すら知らない者もいるほどだ。上が有能だと、下は楽ができる。そう考えていた矢先、思わぬ命令を受けた。
「馬泥棒、ですか?」
「そうです。皇帝陛下はかなりお怒りでして、確実に仕留めるよう命じられました」
生かして捕らえる必要はない。殺せと伝えるのに、随分と回りくどい。貴き方々のお言葉ならば、侯爵の地位を持つクラウスが慎重になるのもわかる。
「承知しました」
「いつも通り、ドーリス殿はお預かりします。ちょうどいいので、ドレスの試着をお願いしましょう」
ローヴァイン侯爵を継いだクラウスは、幼馴染みだった。騎士階級は貴族の末端だが、平民より少し上程度の地位だ。貴族の豪華な生活や優雅さは縁がない。それでもクラウスは僕に名を呼ぶ権利を与えた。それも敬称なしで……友人だからと笑いながら、あっさりと。
彼の信頼は、思わぬ形で実を結んだ。目の不自由な妹ドーリスが、クラウスの弟と恋仲になったのだ。独立して子爵の地位を得る予定だと聞いて、正直安心した。子爵夫人になれば、生活の苦労をしなくても済む。働きに出て夫を支える暮らしは出来ないため、ずっと支援するつもりだった。
騎士の給与をつぎ込めば、ドーリスの生活水準が維持できる。そんな決意を、クラウスは崩してしまった。贅沢はできないが、領地収入で十分食べていける。上位貴族に嫁げるほど礼儀作法を学んでいないドーリスも、子爵家ならば務まるだろう。
「言っておきますが……」
「もちろん、宿泊は離れです。婚姻前に妙な噂を立てられるのは、弟にとっても不名誉ですからね」
にっこり笑って先回りするクラウスに、肩の力を抜いた。いつもの侍女にドーリスを預けたら、すぐ出発だ。生かして捕らえなくて構わないなら、二泊ぐらいか。頭の中で算段をつけ、連れていく部下の数を確認する。
「十人?」
「ええ、トリア様は迅速な処置を希望されています」
皇帝陛下のご命令という形だったが、実際は姫様のご希望らしい。そういえば、クラウスは姫様と婚約すると聞いた。愛称を呼ばせていただく栄誉と信頼も得たようで、ほっとした。
「遅れましたが、婚約おめでとうございます。クラウス、幸せになってください」
「ありがとう、ティム。馬泥棒の件、よろしくお願いしますね」
ドーリスに事情を説明し、泊りの準備をさせる。嬉しそうに口元が緩んでいるのが、兄としては複雑だ。侯爵家からの迎えの到着を待って、騎士団本部へ向かった。待機する騎士は同僚ばかり、気心の知れた連中で連携も取りやすいだろう。
クラウスの手配か? 本当に気の利くやつだ。軍馬に跨り、街を出て走らせる。渡された地図は範囲が絞られていた。街道から離れた集落、川沿いの一角だ。夕方の出発で暗い街道を抜け、途中から山のほうへ入っていく。
朝が来るまでに発見できればいいが……最悪は野営して朝から動くことになる。足を止めた軍馬が鼻を鳴らした。二回連続は、何かがいる合図だ。
ぽんぽんと首筋を叩いて了承を伝え、馬の報告を労う。同僚達が無言で剣を抜いた。当然、僕も手に剣を握る。ぎらりと刃が光った。
「突撃!」
大声を張り上げる必要はない。仲間に伝わる程度の指示を出し、後はいつも通りの連携で川へ駆け下った。川の手前が低い崖になっており、馬の姿が確認しづらい。だが、慣れた軍馬は斜面を気にせず全力で走った。
「対象、発見」
「障害を排除する」
最低限の会話で動きが決まる。軍馬の発見を叫んだ騎士にもう一人がつき、確保に向かう。残りは障害となる敵の排除だ。隣で叫んだ相棒がにやりと笑い、表情以上に獰猛な所作で斬りかかった。素人ではないのか、二人の男が反撃してくる。
複数人を相手に戦うことを前提に訓練を受けるのが、騎士だ。護衛対象を囲みながら、何日も持ち堪える戦いを教え込まれる。奪われた軍馬を背に庇い、正面に敵を睨んだら……もう勝利は確定していた。




